何でも屋沢木へようこそ!

根本鈴子

第1話 旅行中毒

 二階建ての建物の二階に、女の事務所がある。

 駐車スペースは一台分だけあり、駐車スペースのすぐ横にある階段を上がると女の事務所だ。

 一階は建物のオーナーが一人で切り盛りしているカフェがあり、女もよく利用している。

 その女は、今日も外に看板を出した。

 そこには「何でも屋沢木」と書かれている。

「これでよし」

 女は沢木詩織。二十代後半でいつもパンツスーツが良く似合う、人間が好きなただの一般人である。

「マスター、おはようございます! コーヒー貰えますか?」

 一階のカフェで、建物のオーナーであるマスターにコーヒーを貰いに行くと、マスターは「ちゃんと詩織ちゃんの分を作っておいたよ」と言って、ペーパーフィルター用のコーヒーの粉を袋に詰めたものを沢木に渡した。

「ありがとう! マスター!」

 そう言いながら沢木はマスターにお金を払う。

 マスターはそれをしっかりと受け取り、レジに打ち込んで沢木にレシートを渡した。

「いいって。それよりほら、もう営業時間じゃないのかい?」

「あっ、いけない! ありがとう!」

 そう言って、沢木はコーヒーを片手にカフェを出て事務所に行くと、早速コーヒーを淹れ始め、事務所の中はコーヒーの香りが漂う。

「やっぱり、朝はコーヒーよね。さて、今日は依頼が来てくれると嬉しいのだけれど……」

 沢木はそんなことを呟いて、コーヒーメーカーから出てくるコーヒーを見ながら、微笑むのだった。


 沢木が事務所でコーヒーを飲みながら本を読んでいると、扉が開いたことを告げる鐘の音が聞こえた。

「いらっしゃいませ」

 にこりと微笑みながら沢木がそう言った視線の先に、二十代前半と思わしき小柄で可愛らしい女性が立っていた。

「あの、ここって、何でも屋さん……ですよね?」

「はい。そうですよ。沢木詩織と申します。よろしくお願いします。さあ、まずはお掛けください」

 沢木はそう言うと女性にソファーの方へと案内する。

「……てっきり、探偵事務所みたいな感じで、もっと殺風景なお部屋なのかなって、思ってました」

「あはは、そう思いますよね。でも私は何でも屋ですから。何があっても不思議じゃないでしょう」

 女性は辺りをきょろきょろと見ていた。

 沢木の事務所は観葉植物など、とにかく植物による緑が多い。

 そこへ外からの太陽の光もあり、ちょっとした植物園のようにも見える。

「さて、本日のご依頼はどのようなものでしょうか?」

「えっと、こんなこと、本当に頼んでいいのか悩んだんですが……」

「何でもどうぞ。無理なら無理と言いますから、大丈夫ですよ。言ってみるだけ言ってみてください」

「あの、私、旅行中毒なんです。週末は必ずと言っていいほど旅行に行かないと落ち着かなくて……。それを、どうにかしたくて」

「週末に旅行、いいじゃないですか。何が問題なんですか?」

「お金を使いすぎてしまいますし、休みにデートも行けないって、彼氏に振られてしまいました……」

「いや、それは彼氏さんが……、元彼氏さんが問題なんじゃないでしょうか。あ、そういえばお名前お伺いしてませんでしたね。お名前を教えていただけますか?」

「本野今日子です」

「ちなみに、会社員ですか?」

「はい。と言っても、まだ入りたてです。新入社員、頑張ってます」

「新入社員、頑張っていらっしゃるのですね。それで、話が戻りますが、ご依頼は旅行に行ってしまうのをやめたい、ということでしょうか?」

 本野はこくりと頷く。本野のショートボブの髪が窓から入ってくる風でふわりと広がる。

「その旅行がどういうものかわからないので、次に行く時に私も一緒に行ってもいいでしょうか……? そうしたら、もしかしたら旅行に行きたくなってしまう理由とか、やめるきっかけとかがわかるかもしれないので。もちろん、本野さんがよければの話ですが」

「あ、いいですよ。なんだか、友達と旅行に行くみたいで嬉しいくらいです」

 それから沢木と本野は連絡先を交換し、また書面において依頼内容の確認や料金の説明などをした沢木。そして、本野の時間が来て帰るまで、沢木は本野の旅行話を聞いていた。


 本野が帰ってから、沢木は話を整理していた。

 旅行をやめたいと言ってはいたが、旅行の話をしている時、本野はとても楽しそうだった。それを無理矢理なくすというのも、正しいとは沢木は思えなかったのだった。

 とにかく、旅行に同行して続ける、続けないを決めては遅くないと思い、沢木は依頼人の本当の気持ちを考えてその日一日を過ごした。


 旅行の計画は全て依頼人である本野が決め、沢木は本当にそれに付いていくだけ……のつもりが、本野の提案により、同じホテルの同じ部屋に泊まることとなった。

 一泊二日の短い旅行。

 昼はひたすら観光をして、二人は話しながら旅を楽しんでいた。

「それにしても沢木さんって、毎日パンツスーツなんですね……」

「すみません。旅行なのに。でも、いいですね。旅行って」

「わかりますか!?」

「ええ」

 本野は旅行の思い出を語り始め、沢木はそれを相槌を打ちながら聞いていた。

 キャンプに行ったり、フルーツの産地に行ってフルーツ狩りをしたりと、いろいろと楽しめて日常のネガティブなことや悩み事などが吹き飛ぶのだとそれはもう嬉しそうに本野は沢木に話した。

 だからこそ、沢木は思う。こんなにも瞳をきらきらと輝かせることが出来る旅をするのに、それをやめさせてしまうなんて……と。

 人間というものは何かを支えに日々生きている。本野の支えは、ひょっとしたらこの旅行が生き甲斐のようになっているのではないだろうか。

 でも、金額がそれなりに掛かる。

 

 ならば……、近くへの小旅行を提案してみようか。

 沢木の依頼に対する答えは、決まった。

「本野さん、旅行中毒とのことですが、私、旅行はやめなくていいと思いますよ」

「え?」

 本野は戸惑ったが、そこに沢木なりに考えた答えを伝えると、本野も少し思うところがあるようで、少し考えてからぽつりとこう言った。

「規模の縮小……。日帰りとかにして、移動手段を自転車とかにしたら、負担は軽くなりますね」と……。

 そして二人の旅行はその後、何事もなく終わり、それぞれ帰路に就いた。

 沢木は帰宅すると「あの答えでよかった、よね」と言い、旅行中にあまり出来なかったメールのチェックなどをして、一日を終えるのだった。

 

「沢木さん、本当に、ありがとうございました!」

 旅行から数日して、本野からお礼を言われた。旅行中毒であることに変わりはないが、その規模を縮小するなりして、上手く付き合えばいいと、そう言ってみたのだ。

 そして本野は言われた通り、今、旅行とは上手く付き合えているらしく、さらに旅行が趣味という共通の趣味がある人と知り合って、結構イイ感じな関係になりつつあるのだと嬉しそうに沢木に報告した。

「あの時、やめろって言わないでいてくれてありがとうございました」

「いえいえ、私はただ正直にそう思っただけですから」

「何でも屋さんって、ただ何でも引き受けるだけじゃないんですね。だから、私は今とても幸せな気持ちです」

 本野はそう言って微笑み、何度もお礼を言いながら沢木の事務所から去って行った。

「また機会がありましたら、よろしくお願いします」

 沢木はそう言って本野を見送った。


 窓から風が入り、カーテンが揺れる。

 コーヒーメーカーからコーヒーの入った音がして、沢木は目を細めて微笑んだ。

「さてと、コーヒーでも飲もうかな」

 時計は、午後三時を指していた。

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