【KAC20245】どうかこの手を

有宮旭

どうかこの手を

「なぁ…ちょっと放課後、その…一緒に、帰らないか…?」

それは覚えたての片言の日本語のようで。でも、その意図は言わなくてもわかる。

「うん、いいよ。もっちろん!」

精いっぱいのはにかみを返す。

彼女がバレンタインデーにあげた小さな袋。その中には、ちょっとごつごつした、でも綺麗に包装されたチョコレートがいくつか、入っていた。彼は、そんなものをもらうのは初めてで、でも彼女の方も小刻みに震えているように見えて、お互いにぎこちない仕草だったのを、お互い、昨日のように覚えている。


「なぁ、お前ってさ、こういうのよく作ったりするの…?」

帰り道。彼が唐突に小袋を見せてきた。そんなのまだ取っておいてくれたんだ。その気持ちが、小春日和の青空に反射する。

「ん-…そうだなぁ、お菓子作りは得意じゃないかな。」

わざとそっけなく返す。言葉を探して、どちらにもとれるような返事をする。

「なんだよそれ、答えになってねーじゃん。」

彼は戸惑ったような、少し困った表情を見せる。ここまでのイニシアティブは彼女が握っている。

「で、おいしかった?私なりに頑張ったんだけどなー。」

即座に満面の笑みで返す。一気に畳みかける。


「そんなの…聞くまでもないだろ。…美味しかったよ、紅茶が似合うくらいには。」

「なにそれー。紅茶と合わせるなんて、ガラにもないことしちゃってー。」

「いいじゃんか、見るなりに甘そうだったんだから…」

「そりゃチョコレートだもん、甘くないわけないでしょ?…あ、最近はビターなのも多いか。何はともあれ、お口に合ったようで何より!」


角を曲がると逆光になって、彼女から彼の顔は見えにくくなった。でも、彼女は満面の笑みを絶やさない。絶やしたら負けてしまいそうな気がするから。

「でー?ホワイトデーは過ぎたんですけど、今日帰りに誘ったってことは、ようやくお返し用意できたってことだよねー?」

ちょっと意地悪っぽくいってみる。いつも部活一筋だった彼が、果たしてどんなお返しを用意してくれたのか。そこまでは、さすがに彼女でも想像がつかなかった。


信号が赤になる。二人の足が止まる。不意に、彼が彼女の手を取った。

「ごめん!俺には、ふさわしいお返しなんて用意できなくって、でも、お前だけは、ずっとそばにいてほしくって!」

突然の告白に、彼女に動揺が走る。見れば、彼の方が肩を小刻みに震わせている。

「な、なぁにぃ急にー。小中高と、なんなら保育園から、ずっと一緒だったじゃなーい。」

咄嗟に出た動揺は隠せない。しかし、彼はそんなことに気づく余裕なんてない。

「でも、大学は違う。家も離れ離れになっちまう。これからは違う道を歩むんだってわかってる、わかってるけど!」

信号が青になる。喧騒が、周りの風景が、二人を取り残して過ぎ去っていく。

「わ、わかったわかった、だから手を離して、ね?」

先に彼女が正気に戻る。しかし彼はそんなことに気づかない。気付く余裕なんて、とっくに教室に捨ててきた。

「離すもんか!ずっと一緒だったんだ、離れたくなんかないんだ!」

彼の声に涙が混じるのが、はっきりとわかった。


「…わかった、わかったよ。大丈夫、離れたりなんかしない。だから、ね?」

しばしの静寂の後、優しく語り掛けるように彼女が言葉をかけた。

「ありがと。その代わり、どうかこの手を、離さないで?」

遠く太陽が、道端に立ち尽くす二人を見ていた。

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