お仕事失敗談

明鏡止水

第1話

とある人が私のエッセイにいいねをしてくれました。いいねや星をくれた方の作品を読みにいこう!

読ませてください!


時間が経つと忘れちゃう!


さあさあ。


そしたらですね。

短文でわかりやすくて面白いのでね。

一気に60話くらい読んじゃったのですよ。

ちゃんと読んでますからー!

一気にいいねが約60ついて不安にさせたらすみませーん!

面白かったでーす!

止まらなくて、80話以上あるようなので残りはゆっくり読ませて下さーい!


面接の失敗で落ち込んでいた時に無心で読めて助かりました!


他にもコメントくださる方や、読み返したい方の作品とか覗きに行くかもです。


読んだエッセイがお仕事関連のおもしろ小噺だったので、私はパート先の古株の通称「先輩」をカンカンにさせたお話を書こうかと、思ったのですが。


他の方にエッセイへの感謝を伝えたら、なんだか満足してきてしまいました。

でも、ここでやめたらタイトル詐欺ですよね。

明鏡止水の、お仕事での、男性店長から放たれた


「あなた、なんなの」


という。

ずどん! という衝撃の鉄槌とか書いておきたい。


あれは、明鏡止水が中身中学生(それもパートもアルバイトの違いも社員の人の苦労も知らない)、社会的情報弱者だった情弱な痛烈悲壮激昂ヒストリー。


明鏡止水は中学二年生冬から、寒くなると吐き気と喉の狭さ、貧血のような症状、震えるほどの寒さ、ストレスからくるゲップがいつも出そうでそれでいてゲップをしたら吐くのではないか、学校で吐きたくない、という更なる心理的ストレスとの戦いで。


ついにうつ病めいた症状でせっかく受験に受かったのに高校に通えなくなる、しかも二、三日で。


という当時の十代にはキツイ時期がありました。


家庭内も地獄の時があり、バリキャリになって働いて金の亡者になるのが当時の野望でした。


ちなみに大きい病院にも行きましたが仰臥位から端座位に切り替えただけで脈が20上がると言うこと以外、医者はわからず「理由はわからない」と若い男性医師二人と、中年の小児科医から中学生の時言われました。

小さい病院では診断がバラバラで多くの病名を言われました。


明鏡止水は死にたかった。

なんとか吐き気のない食欲のある時間に。

家にあるスナック菓子をありったけ食べて死のうとしたり、トーストにマーガリンを山になるまで塗って油脂を沢山摂って死のうとしたり。

自分の体を傷つけたくはなかったのでリストカットはせずに、今度は何も何日も食事せずからからの干上がった餓死で死のうとしたり。


結果三日持たず水を飲んでしまったり。


そんな明鏡止水でも、なぜか乗り物恐怖症やうつ病やパニック障害を経て、通信制の高校を卒業したのです。


学校の友達ゼロ。

アルバイトも中卒で見つからずお小遣いはほとんどなし。

貰っても漫画を買い、うつ病を和らげ。

新刊のために寿命を伸ばす。


ちなみにアルバイトの面接に行っても落ちまくり。

美容室は中学一年生の時に一回連れて行ってもらったきり、パニック障害で行けない。

服は買えないから妹のお下がり。

ちなみに私はLサイズだとすれば、妹はMサイズくらいの体格差。

冬はコートを着て中の服を誤魔化し、夏だけ七分丈のTシャツでムダ毛を隠す。

脱毛、除毛、という発想もありませんでした。


いつ、お仕事失敗談へいくのか。


明鏡止水の時間を15歳から22歳まで、なんとか飛ばしましょう!

はい、友達は、0人!

せいぜい、中学の頃の友達が二回お見舞いに来てくれたのと、もう一人メールのやり取りをしてたくらい。

その友達も私が友達に依存したら面倒、と徐々に距離を取られました。


さて。みんなが専門学校受験とか、センター試験とか、セミナーとかOB、OGとの情報収集のための付き合いとか。大学入試とか卒業試験? とか卒論とか資格取得とか、文化祭とか。


まあ、高校生から22歳までに体験するであろう大人への階段、通過儀礼を、明鏡止水は経験せずになんと「大人」になってしまったのです。


しかも中卒から高卒になった喜びも無く。

卒業も母にギリギリまで内緒にして少し驚かせようとしたり、担任の先生に「進路はどうする?」と聞かれて「(まず進路という言葉の意味するところがわからない)決まってないです」くらいは答えたと思うのですが。


さすが、通信制の高校。


「そつか⭐︎これからやりたいこと探す感じだね!(就く仕事見つける感じか!)」


軽い。あまりに優しくて軽くて。

真意の読めない「進路」と「やりたいことを探す」という言うワードの意味に気づけなかった明鏡止水。気づくと言うより何がわからないのか、そこに、質問が浮かばない明鏡止水。


だってねえ、死にたいやつが仕事とか生活とか考えると思いますか? 死にたいんですよ? 死ぬことを考えるに決まってるじゃないですか。


そんな明鏡止水が社会に出て、最初にアルバイトしたのは買取をする業界でした。

母がそろそろ働いてと言ったから。

相変わらず家計は火の車でした。美味しいものガンガン食べたかっただろうな、当時の自分。

まあ、そんな「自己」も生まれないくらいの相変わらずのパニック障害に耐える自分でした。

よく、親も働けと言えたものです。


物の価値もわからないのに買取業界でブランド品を明鏡止水が買い取る。


……変な話です。ルイ・ヴィトンのボストンバッグのなかのクロワッサンマークを探したり、当時NANAで流行ったヴィヴィアン・ウェストウッドの財布とか若者から年配の方まで。

色々ブランド物に関係なく、娯楽用品やスノーボード、チャイルドシート、知育玩具、壺、いろいろ持ち込まれました。


そんな中明鏡止水は五千円とか買取価格でつくはずのものを、なんと二百円とか五百円で買い取ろうとしてしまったのです。


店長には事前に言われていました。


「ほう、○○○(ブランド名、念のため伏せます)。できたら呼んで」


その店では店内が広いためマイクでお客様を呼び出すくらいの規模のお店だったのですが。


店長は、(買取価格が決まったら俺を呼んで)の意味で「呼んで」を言ったのですが。


お分かりかと思います。

店長ではなく。

新人で物の価値も分からず買取価格の把握もできていない明鏡止水は、伝票を仕上げるとお客様をマイクでお呼びしたのです。


当然、お取引は却下。


あとから書き記した伝票を前に店長から持ち込まれたお品の真の価値を伝えられ、


「おそらくもう、あのお客様はこの店に来てくれない」


と告げられました。魅力的なお品を買い取るチャンス、お客様の信頼、もし買取成立した際にショーケース並んだあの商品の存在感とお店での商品お取り扱いのグレードアップ。このお店の買取への信頼、評価。なにより今後もお客様が来店してくださる未来

全てを私がおとしめたことになります。


店長から「できたら呼んで、って言ったよね、


なんなの、あなた」


「はい……」


なんなの


あなた


凹むことは沢山ありました。どちらかと言うと体調不良と高温の室内、新人の身で多くのお買取、お客様からの「まだあなたが担当なの?」と言った発言の方が身にこたえました。


初めて務めるにはいい点もあれば悪い点もありすぎました。職場とは甘くない。みんながみんな優しい教員ではない。学校にだってひどい人がいるのに社会はまたとんでもなくひどいおばさんがいました。

唯一食べ物を貰えたのでそこだけ許してあとは許せないことばかりです。


失敗談は多過ぎて例の「先輩」の件はかけそうにありません。


単純にいうと


この人が動かない決めたらと、みんなも動けない。


社員の指示があるのにみんな「この店のことを分かっていない」と当然指示を聞かない。


しかし、私は「社員」の絶対性を信じる洗脳とまではいかないまでも言うことは聞いた方がいい、という考えも持っていました。


スタッフの中に、絶対的ではないにしろ、「先輩」と呼ばれる古参の方がいて、とにかく自分の担当しているジャンルを他人に明け渡したがらない、担当しているジャンルの売り場を触られたら怒る、そう言う人がいる職場にもいました。


明鏡止水は、だんだん、鬱憤が溜まっていたのでしょう。新しい職場。そこでも入った頃、お菓子を大量発注する、夜型から朝方に切り替えるため、社会に馴染めるよう努めて結局寝坊する、と大変な騒ぎでした。


そして、その店が解体されるのが目前の頃。

明鏡止水は、考えたのです。

「先輩」や一部のスタッフは自分のジャンルの売り場を他のスタッフや学生にいじられるのを酷く嫌う。それはいい。なんだったら一番勝手にいじってしまってみんなに怒られるのが私です。

店長が嫌われていて厳しかったので売り場と売り上げを特に気にしていたのもある。

みんな仲は良かった。

でも、この店が解体され、新店舗になったら、いよいよ発注と陳列はより会社の支持するもの、導入された発注のシステムを人が目で見て調整するくらい。

陳列は。

レイアウトはもう他店や上が考えてくれているので「先輩」はきっとこの先。

わかっているかもしれないけれど、もう「先輩」の「先輩が言うから動けない」図を作ることはできない。

学生にもみんなに優しくて、ちょっと同じ言葉を繰り返して言う癖のある困ったところもある、お店の大事なスタッフの一員。


でも、改良したいのに「先輩が言うから、先輩がいるから動けない」は一員ではなく一因です。


お店が解体に近づいた頃、明鏡止水は「先輩」が休みの日に、とうとう、「先輩」の売り場を、大移動させました。


「先輩」のことを先輩ではなく、私は○○さんと、苗字と敬称で呼んでいました。けして尊敬の念を抱いていなかったからではありません。


その職場では、「先輩」が縛りだったのです。

それと同時に、甘えとは違う諦観でした。


「社員もこの店のこと分かってないし、先輩も言うこと聞かないし、先輩が動かないなら、ウチらも容易に動けないよね」


そんな解釈。


「先輩」


これからこの店無くなって、みんなそれぞれのチェーン店に移るんです。


その前に。


社員の指示通り、やるわけじゃありません。

お店のために、いつか先輩のためになるように、先輩の売り場、いじらせてください……。


はい。翌日。

先輩、カンカンです。

話しかけても

「あ、いいですから、いいですから!!!!!

あと私やるんで!!!!!」


傷つきませんでした。


「勝手に触っちゃだめだよー」と他のスタッフに言われましたが、軽い物でした。


私は早番。先輩は午後から閉店まで。


私は帰る時にバッグを売り場で放り投げて、


「○○さん!!

売り場いじって、申し訳ありませんでした!!」


謝罪。


この出来事が人生において何を意味するのかわかりません。

気に入らない先輩に噛みついてやったとかそういう武勇伝的なものでもありません。


先輩は、なんとか笑って、


もうしないように、


と言ってくれました。


他のスタッフも白い目で見てくる事もありませんでした。


多分、同じようなことしたスタッフ、他にもいると思うけど辞めちゃったんだろうな。


まあ、私もうつ病がひどくなってお店が解体される一ヶ月前に辞めたりしましたけど。


イヤミな人はずっと綺麗な仮面を被りながらも毒を吐くし、悪口は言わなくても指摘や意見はちゃんと言ってくれる人はいるし。


女ばかりの職場でも、いろいろあるんだなあ。

まだ可愛い方なんだろうけれど、と。


結局、いろいろ書いとるがな……。


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お仕事失敗談 明鏡止水 @miuraharuma30

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