第51話 弟、気高く強い令嬢に驚く

 俺は必死に姉の手を握って走る。


 どこか悪いことをしている感覚で楽しいと感じた。


 静かな校内を走るなんて、何十年ぶりだろうか。


 いや、もはや昔すぎて記憶にもない。


「ダミアン、止まりなさい!」


 姉に呼び止められ、その場で足を止めた。


「姉さんどうしたの?」


 振り返ると姉の顔は怒っていた。


 いつも照れている時と同じ顔だから、連れ出してもらって安心しているのだろう。


「公爵家がパーティーを抜け出すってどういうことかしら」


「だって姉さんが――」


「私がいつあの場から連れ出してとダミアンに言ったのかしら?」


 確かに姉は婚約破棄されても、パーティー会場にいた。ただ、俺は冗談でやっているイベントだと思っていた。


 でも姉の口調と表情に、どこか勘違いしていたのではと思い始めた。


 いつも姉には怒られてばかりいたが、こんなに睨んでくることはなかった。


「ごめんなさい。姉さんが辛そうな顔をしていたから」


「ふん、私は大丈夫だわ。これでもダークウッド公爵家の令嬢よ」


 姉は俺が思っているよりも気高く強い女性だった。


「さぁ、パーティーに戻るわよ」


 姉は何事もなくパーティー会場に向かって行く。


 ゲームのイベントだと思っていたが、何も考えていなかった俺が勝手に招いた事件だ。


 それを思うと次第に足取りが重くなる。


 俺はゲームの世界だと思っていた。


 しかし、姉からしたらみんなの前で婚約破棄された現実を生きる令嬢だ。


「姉さんは先に戻ってて」


「わかったわ」


 俺は少し考えてから戻ることにした。


 近くにあった教室に入ると、その場で座り込む。


 俺の何も考えずに動く行動が、貴族として生きている姉を苦しめたのだろうか。


 考えれば考えるほど、どうするべきだったのかわからなくなる。


 いきなり何人にも婚約宣言されたら、冗談だと誰もが思うだろう。


 それに相手は殿下、兄のオリヴァー、フェルナンの三人だ。


 冗談だと思わない方が無理な気がする。


 静かな教室に足音が近づいてくる。


 パーティーが終わったのだろうか。


――ガチャ


 教室の扉が静かに開いた。


「ダミアン様、こんなところにいたんですね」


 聞きなれた声に目を向けると、後ろにはクロが立っていた。


 涼しい顔をしていることが多いクロが、どこか焦った顔をしていた。


 髪からは垂れるように汗が流れ落ちている。


 よほど俺を探していたのだろうか。


「どれだけ探し――」


「間違っていたのかな?」


「ダミアン様?」


「あの時本当に姉さん辛そうな顔をしていたんだ」


 おっさんの俺でもみんなの前で婚約破棄されたら逃げ出したい思う。


 冗談だったとしても、俺なら辛くて逃げ出すだろう。


 そんな状況でも姉は凛々しく立っていた。


 まだまだ若いのに、そんな辛い思いをする必要性があったのだろうか。


「はぁー、ダミアン様は本当にバカですね」


「なぁ!?」


 クロはしゃがみ込むと俺と視線を合わす。


「ダミアン様は何も考えなくて良いです」


「それって俺をバカにして――」


「それは違います。みんなわがままなダミアン様が好きなんです」


 ん?


 どこかバカにされている気もするが、俺が間違っているのだろうか。


「ダミアン様はダミアン様らしく、みんなを振り回していればいいんです。もし、何かあったら俺が連れ出します」


「ぷっ!」


 どこか悩んでいたのがバカらしく感じた。


 クロは何かあるたびに、俺に逃げ道を作ってくれる。


 それは俺としてもありがたいし、いつも感謝している。


 綺麗な瞳には俺の姿が映し出されていた。


 いつもクロは本当の俺を見ていてくれている気がした。


「クヨクヨしていても仕方ないよね」


「それでこそダミアン様です」


 俺はクロの手を取ると、パーティー会場へ歩き出した。


「クロちんありがとう!」


 唐突にお礼を伝えたからか、クロは驚いた顔をしていた。


「俺はいつでも連れていきますよ」


「クロちん何か言った?」


 何かボソッと言った気がしたが、俺には聞こえなかった。


「ダミアン様は本当に手がかかると言いました」


「なぁ!?」


 そう言ってクロは俺の手を掴んで走り出した。

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