屋上の戦い

「あの男がエリック・マズロア……。この街の知事か」


「そうみたいだにゃ。ふん、ロビーの像で見たまんまだ、いけ好かない顔してやがる」


 二人がマズロアを見るのは初めてだったが、すでによく知った顔だった。

 ホテルロビーの彫像は、かなり再現度の高い像だったらしい。



「……君たち、この屋上にいったい、何をしに来たのかね?」

 威厳をまとった低い声が、少年少女らにかけられる。



「べっつにィ。あたしたちの部屋は四階だからさ。眺めがいいところに来てみたくて」

「困るね。ここは一般のお客様は立ち入り禁止なのだ」

「そりゃあ、こんなモン見られたら困るだろうにゃあ?」


 シィナは葉っぱを一枚、むしり取る。

 それをクンクンと嗅いで、うげ、と顔をしかめた。



「これ、魔法草でしょ? 育てちゃいけないって法律で決まってるんだけど、まさか知事さんが知らないワケないよね」


 そう言っていじらしい目線を向ける少女。

 マズロアは落ち着いた態度のまま、「なるほど。お前たちはマトリか」と言う。



 彼の言葉に、警備隊の面々はどよめいた。

「こんな子供が公安?」と驚いているようだ。



「驚くことではないさ。魔法薬取締局は、首都公安のなかでも異質な組織だ。

真正能力者であれば、どのような者でも取締官として採用するという。……たとえ年端もいかない子供でもな」


「ふん、詳しいにゃ?」


「エッジズニックスが一斉検挙されたことは承知している。いずれ公安の狗が嗅ぎつけてくるだろうとは思っていたさ」


 エルフの男とネコビトの少女は、ピリついた視線をぶつけた。



 緊張感がただよう中、レオンがシィナに耳打ちをする。


「……シィナ、どうする?」

「どうするも、こうするもないよ。この状況じゃあ戦うしかないでしょ」



 パーティ会場に潜入する前に見つかってしまったのだ。

 すでに作戦は破綻している。

 ならば戦うしかないだろう。


 幸い、まだ希望の芽はある。



「こっそり潜入する作戦は台無しになっちゃったけど。

でもさ、そもそもパーティをぶち壊すってのは、アドリア警察でも揉み消せないような状況にしてやるための作戦だったでしょ?

……それなら、ここで暴れりゃいい。やつらでも揉み消せないぐらい、でっかい証拠が、今まさに目の前にあるじゃないか」


 魔法草の栽培畑という、まさに動かぬ証拠がここにあるのだ。



「いっそ、コソコソ隠れ立てする必要がなくなって都合がいいにゃ」


「……そうだな。潜入作戦が台無しになったとしても、やるべきことは同じだ。要は、あのエルフたちをこの場で蹴散らしてしまえばいい」


「そのとおりだよ、レオン。よく分かってんじゃんか。――おいっ、この高慢こうまんちきなエルフども! 今からその鼻っ柱へし折ってやるからにゃ!!」


 なんとも派手な宣戦布告をおこなうシィナ。


 一方、マズロアは警備に向けて小さく「やれ」と指示をするだけ。




 指示を受けた武装隊は、すぐさま引き金を引いた。

 すでに少年少女に向けられていた銃口から、一斉に鉛玉が発射される。

 そこに躊躇は見当たらない。


 レオンのえりが、シィナによって強引に引っ張られる。

 屋上の硬い床に押し倒された。


 非常階段の鉄骨に銃弾があたり、カカカンッ、と甲高い金属音が響く。



「レオンは下がってろにゃ」

「わ、わかった!」


 レオンは起き上がると、すぐに非常階段の踊り場まで後退して、身をかがめた。

 鉄骨に囲まれた踊り場なら銃弾を防いでくれる。



 一斉に発射された銃弾をあっさりかいくぐったシィナは、魔法草畑に飛びこんだ。


 違法栽培の葉っぱのなかをガサササと突き抜けると、銃を構える警備員の目の前に勢いよく飛び出る。

 そのまま、顔面に飛び蹴りをかました。


 体には防具をつけていても、ヘルメットは被っていなかった警備員。

 少女の鋭い蹴りを顔面にモロに受けて、鼻血を吹きながら倒れた。



「くっ……!!」すぐにほかの警備員、警察官が銃口を向けなおす。


 シィナは口元に張り付いた葉っぱを「ぺっ」と吐き捨てると、またすぐ駆け出した。



「くそっ!!」

「大人しくしやがれ!」

 と叫ぶエルフたちを翻弄ほんろうするように、シィナは屋上内を駆けまわる。




 屋上を照らすのは淡い月灯りだけだ。

 薄暗いなかで、俊足の猫を目で追いつづけることは不可能だった。


 一方、猫の目は暗視がよく利く。

 もちろん動体視力も、俊敏性も、常人のそれをはるかに上回るものだ。



 シィナは魔法草畑のなかに潜ったり、

 フェンスに掴まったり、

 縦横無尽に駆けまわった。


 そしてさんざん銃の照準を乱したところで、不意に奇襲を仕掛ける。


 一人蹴とばして、また駆けまわってから、もう一人。

 みるみるうちに、エルフの数が減っていく。



 そんなシィナの戦いぶりを見て、レオンは唖然としていた。


 彼女の戦闘能力の高さは、充分、理解しているつもりだった。

 ……だが、今までレオンが見てきたのは単独犯との戦闘ばかり。


 俊敏に動き回り、多人数の相手を蹴散らしていくのがネコビトの能力の真骨頂。

 レオンがその力を目の当たりにするのは初めてだった。

 シィナのあまりの無双ぶりに愕然とする。



 なによりレオンが驚くのは、シィナが〝敵を鎮圧すること〟にてっしている点だ。



 シィナの蹴りは、直撃すればオークでさえ気絶させられるほどの威力なのだ。

 全力で振り抜けば、エルフの首を跳ね飛ばしてしまうことだろう。


 彼女はあれだけの人数を相手にしながら、間違っても命を奪ってしまわないよう、ちゃんと加減をしていた。



 シィナは能力を使いこなしている。

 これぞマトリとしてあるべき姿だとレオンは思った。



 同時に、自分の無力さを思い知る。


 いたいけな少女を前線に立たせて、自分は後ろで身を隠している。

 情けないことに、今の自分はまったくの役立たずだ。



 ……いや、今はそんなことを考えて落ち込んでいる場合ではない。

 レオンはかぶりをふって、戦況を見据みすえた。




 注視したのは、屋上扉の前に立つ男。エリック・マズロア。


 彼は、警備や警察が次々と倒されていくのに、まったく動揺している様子がない。

 刻々と追い詰められている状況のはずなのに、ロビーの彫像で見たとおりの毅然とした表情である。


 冷静なまま、ゆっくりと、右手を宙にかざしはじめた。


 レオンとマズロアは、広い屋上のほぼ対角にいる。

 それなりに距離があり、彼の細かな所作までは見えない。


 だがレオンには、彼がなにをやろうとしているのかが、はっきりと分かった。

 男の手の先にじわじわと魔力が集まっていくのを、嗅覚で捉えたのだ。



「シィナ!!」


 ばちちちちちっ、レオンの声は雷鳴によってかき消される。


 薄暗い夜の屋上に、一筋の閃光がまたたいた。

 少女に向かってまっすぐほとばしる。



「――――っ、あぶにゃっ‼」



 レオンの声は、ぎりぎり聞こえていたらしい。

 シィナは魔法草畑に飛びこんで雷撃を回避した。


 雷鳴が止んだあと、「ぷはっ」と、葉っぱの中から顔を出す。



 マズロアの手には、奇妙な光の紋様があった。

 狂いのない真円、

 その中には複雑な幾何学模様が描かれ、

 線に沿って細かな文字が書き連ねられる。


 魔法陣だ。

 青白く光り、宵闇の中に怪しく浮かんでいた。


 雷撃魔法である。



「あいつはマジックパーティの主催者だからにゃ。

とーぜん、自身もマジック吸ってやがるのは予想してたけど……。でも、まさか魔法を発現するまでいってるとはね」


 マズロアの瞳には紫色の血管が網の目のように浮かんでいた。

 魔法薬による体へのダメージは確実に及んでいるはずだが、まったく気に留めてはいないようだ。


 周囲のエルフたちも、彼を異常だとは思わず、むしろ尊敬のまなざしを向けている。

 エルフたちの異質な価値観を目の当たりにして、レオンはぞっとした。



「知事が、重度のマジックジャンキーってか。こりゃ大スキャンダルだ。明日の新聞の一面はこれで決まりだね。

しかもホテルの屋上で魔法草栽培までしてて、ケーサツもグルで……、って、この分だと一面だけじゃ足りねーにゃ」


「……ふん。公安の狗が、勝手にほざくがいい。しょせん恵まれた者には、我々のおこないは理解できないだろう」


 マズロアは、低く呪うような声で言う。



「魔法は、かつてエルフが誇った神秘の術だ。我々のアイデンティティだ。魔法薬の使用は、先祖の誇りを再び取り戻すための敬虔けいけんな努めなのだぞ」


「努めだって? ……じゃあ、せいぜい明日から刑務所におつとめすることだにゃ!」



 少女の減らず口に苛立ったマズロアは、また雷撃を撃ち放った。


 だが、シィナはそれを簡単に躱してしまう。



「ほらね、やっぱり。前見たヤツとおんなじだ。しょせん、付け焼刃だよ。そんなまっすぐ飛んでくる雷撃なんて、避けるのは簡単だね」


「くそっ、小癪こしゃくな猫が……」



 もし彼が真正の魔法能力者だったなら、雷撃を自在に操ってみせただろう。

 あるいは少女が避けきる隙など与えないよう間髪入れずに連発することもできた。


 ……だが、ドーピングでむりやり発現させた魔法では、そこまで使いこなすのは難しい。



 方や、能力を完璧に制御して敵を圧倒する捜査官。

 方や、能力を制御しきれず苦悶の表情を浮かべる犯罪者。


 ――二人の対峙を遠巻きに見るレオンは、複雑な心境だった。



 レオンは真正能力者でありながら、その制御ができない。

 もし狼化の力を発動させてしまったら、たちまち理性を失くして、周囲のひとを危険にさらしてしまうのだ。


 ……これはつまり、マジックジャンキーと変わらないのではないだろうか。


 能力を使えず、戦闘は相棒の少女に任せっきりで、自分はそれを遠巻きに見るだけ……なんという体たらくか。



『たとえ戦えなくとも、マトリとして職務をはたそうという立派な志があれば、やっていける』


 ――マリア長官はそう言ってくれたが、それも結局、ただの気休めの励ましだったのだろうか。


 やはり自分には、マトリになる資格などなかったのか……。




「レオンっっ!! なにしてんだ、逃げろにゃあ!!」


 シィナの声で我に返った。


 あわてて振り返る。

 シィナが、こちらに向かって飛びかかってきていた。



 なぜか後光が差している。

 少女は背中に、まばゆい光をまとっていた。

 なにかの照明だろうか。いや、この屋上には照明なんて設置されていなかった。


 直後、気付く。

 それは雷光。



 光の向こうに、不敵に笑う男の顔が見えた。マズロアだ。


 レオンはハッとする。

 自分がいる場所は非常階段の踊り場。まわりは鉄骨で囲まれている。


 銃弾はいくらでも防ぐことができるが、雷撃を防ぐことはできない。

 直撃しなくとも、鉄骨にあたれば感電してしまう。


 マズロアはそれを見とがめて、こちらを狙ってきたのだ。



 レオンを踊り場から引っ張り出そうとして、シィナが手を伸ばす。

 だが間に合わない。少女は、雷撃の軌道上に体をねじ込んだ。




「ぃにゃァっ!?」


 バチィッという電撃が散る音と、少女の悲痛な叫びが、同時に聞こえた。



「シィナっっっ!!」


 急いで肩を抱き上げる。

 ガクガクと体を震わせていたシィナは、やがて意識を失った。




「……ふん。わざわざ相棒を庇いに行くとはな。バカな小娘だ」

 屋上扉の近くで、知事が嘲笑を浮かべる。


 ああ、本当だ、なんて愚かなことをしたんだ、とレオンも思った。

 本来なら簡単に避けられるはずの雷撃を、わざわざ受けてまで庇うなんて……。


 いっそ役立たずの相棒のことなど見捨てて、その隙にマズロアを蹴り飛ばしてやればよかったのに。



「ふはははっ! さしもの獣人も、雷撃魔法の直撃を受けては立ち上がれないか。

――素晴らしい! これがエルフの魔法術だ。我らの誇りだ!!」


 魔法草畑の向こうで、マズロアが笑っている。




「…………お前は、なにを言ってるんだ……」

 レオンは、怒りで肩を震わせた。


「なにが誇りだって……?」

「なんだと?」


「……今、お前は、その手でひとを傷付けたんだぞ?

それが、誇りだって?

こんな小さな女の子を傷付けておいて、いったいなにが誇れるって言うんだ……ッ!!」


 レオンは、少女を抱えながら叫んだ。



 だが、少年の切実な言葉は、あえなく夜風にさらわれてしまう。


 レオンが何と言おうと、エリック・マズロアは意にも介さない。



「ふん、吠えるな少年。マトリの戯言など、耳障りなだけだ」

 マズロアの手のひらが、レオンに向けられる。



 再び、眩い光が差した。

 電撃を浴びる苦痛を感じたのはせいぜい数秒だけ。


 そのあとにはもう、少年の意識は途絶えていた――……。

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