3つ目の答え

 アドリアの街は、すっかり茜色に染まっていた。

 やがて夕日が樹海の果てに沈みきったあと、暗い空に月明りが灯る。


 ついに夜のとばりが降りた。

 それに代わり、マジックパーティ突入作戦の幕が開くのだ。



 二人は403号室を出て、廊下の奥まで歩く。

 やがて非常口にたどり着いた。


 幸い、ここまでだれともすれ違っていない。

 今のうちだ、急いで非常口を開けた。



 外に出る。ぬるい夜風が少年少女の髪を撫でた。


 ここは四階だ。

 最上の四十階まで、折り返しの階段を上がっていかなければならない。



「こりゃ屋上まで上るのは苦労しそうだにゃあ。一気に駆け上がりたいところだけど、足音立てられないし。慎重に行くしかないか」


「階段を上る前に、忘れてることがあるぞ、シィナ」

「え? 忘れてること?」


「尻尾の鈴は外してから行くんだ」

「……あ、そうだったね」


 いけないいけない、と尻尾を手繰たぐり寄せて、先端についている鈴を外す。



「普段からピアスつけてると、もう体の一部みたいになってるもんだからさ。つい外すの忘れちゃうんだよね。レオンもつけてみれば分かるよ」


「ご先祖からいただいた体だ。そんなふうに穴を空けるなんて、俺にはとてもできない」


「先祖がくれた? 何言ってんにゃ、自分の体は自分のモノだよ」


「そんなことはない。遠い先祖から血が受け継がれてきて、それを糧にして、俺たちの体はつくられてる。この血は、体は、ご先祖からいただいたものだろう」


「なんだそれ。じゃあレオンは〝貰いモン〟の体で生きてるつもりなの? それって居心地悪くない?」


 シィナは少し不愉快そうな顔をしながら、鈴をポケットに入れた。




 鉄製の階段は、なにげなく踏めば、カン、と甲高い音を鳴らしてしまう。

 万が一にもバレてしまわないよう、一歩一歩、慎重に足を置かなければならない。


 エレベーターとは違って、ゆっくりと一歩ずつ上っていくと、ビルの高さをまざまざと感じさせられた。


 鬱蒼うっそうと木が生いしげる樹海のなかでいても、頭一つ突き抜けて見えるこのビルは〝森の灯台〟と呼ばれる。


 アドリアにおいて他の追随ついずいを許さないほどの圧倒的な高さを誇っている。

 地上から見上げただけでは、屋上の様子がどうなっているかなんて、まったくわからなかったほどだ。



 ビルの中程なかほどまでたどり着いた。

 すでにかなりの高さだが、この外階段は隣のビルとの狭い隙間にあるので、景色を見通すことはできない。


 眼下には光点一つない暗闇があるだけ。

 まるで底の深い峡谷きょうこくいあがっているような気持ちになった。



「なんかさ、こうやって高い階段を一段ずつ上がっていくと、この任務も終盤だ、って感じするよにゃあ。

エッジズニックスの連中を捕まえてから、ついにやつらの密売ルートの大元までたどりついたんだもん、感慨深いよね」


「感慨にふけるのは早いぞ。最後まで気を抜くなよ」


「はいはい、わかったにゃー」

「……相変わらず軽い返事だな」と、レオンはため息交じりに言った。



「たしかにアドリアでの任務は、今夜で終わりになるだろう。だが、密売ルートを完全に潰すのは、まだ先になるぞ」

「え? どうして?」


「ここはあくまで密売の元締めに過ぎないからな。

最終的には、魔法薬の栽培畑をさがしだして、そこを潰さないといけない。そうしないと魔法薬そのものの根絶にはならない」


「あ、そっか。アドリアには、魔法草の畑はなかったんだもんね……」



 シィナは、アドリアの調査をしていた当初の〝疑問点〟を思い出す。


 街中を調べまわった末に、3つの疑問点があがった。




 ①密売人はこんな人口密集地でどうやって身を潜めているのか。

 ②この閉鎖的な街でどうやって魔法薬を出荷しているのか。


 どちらも、街の統治者マズロアが密売人ならば説明がついた。



 しかし疑問点③、魔法草の栽培方法については、どうしても説明がつかなかったのだ。


 魔法薬の栽培には日光が必須だ。

 しかしこの街は、周囲を木陰に、街中はビル影に日光を阻まれており、魔法草の栽培に適する場所がどこにもない。



「この街で栽培できる場所がない。たぶん草はどっかから仕入れてるってことだよね」

「ああ、そういうことになる」


「もともとアドリアが魔法薬の出どころだって話だったけど、さらにその大元があるってことか。

マズロアの野郎をとっ捕まえた後も、さらにその先を追わなくちゃならないんか。マトリの仕事はたいへんだにゃあ」


「マズロアを捕まえたあと、彼から情報を聞きだせればいいんだが……やはり簡単には口を割らないだろうな」


「ヤツらが口を割らなくたって、関係ないよ。あたしたちなら余裕だ。二人でここまで追ってこれたんだから、きっとその先も難なく……」


 ――と、シィナはそこまで言って、ハッと思い出す。



「……あ、そっか。あたしたち、この任務がおわったら、バディ解散するんだったね」


「ああ……。栽培畑を突きとめるのは、俺たちのどちらかが単独で請け負うか、それともまったく別のバディに引き継がれるか……。

どっちにしても、俺たち二人で成し遂げることはできないな」



「あーあ。どうせなら、このヤマは最後まであたしたちでケリつけたかったにゃあ」


 エッジズニックスの検挙から始まった密売ルートの追跡。

 二人で始めた仕事なのだから、二人で決着をつけたかったと、悔やまれる。




「ほんとにこの街に栽培畑ないのかよー。今夜、密売の元締めどもと一緒に畑もぶっ潰してやれれば、いいんだけどにゃ!」


「街の調査をして、栽培畑はないって結論づけたじゃないか。アドリアには、魔法薬の栽培に必要な日光を充分に受けられる場所がない」


「まだ見落としてる場所があったりして」


「日光がよく当たって、それなりに面積があって、魔法草を育てられるような場所だぞ? あれだけ街を調べてまわったのに、そんなの見落とすなんてことは……」



 と、言葉の途中で急に黙るレオン。

 眉をしかめながら、クンクンと鼻を利かせはじめる。



「なんだか妙なにおいがする……」

「え? 妙なにおい? どこから?」


「上からだ」


 二人して顔を見上げた。

 しかし折り返しの階段なので、見えるのは先の段の裏側だけだ。



 すでに、上層階の高さまできている。

 階数で言えば三十五階ぐらい。

 あと五階分、上った先が屋上だ。


 二人は今まで以上に慎重な足取りで、階段を上っていった。


 夜風に流されてうまく捉えられなかったにおいも、段を上がるごとに存在感が増していき、……やがてレオンはその正体を確信するに至る。



「……これは、魔法草だ」


 ツンと鼻の奥をつくような刺激臭。

 間違いない、これは魔法草のにおいだ。



「魔法草のにおい? ヤツら、もうパーティをおっ始めてんの?」


 シィナはビルの壁を凝視ぎょうしする。

 今ちょうど、三十九階の高さだ。

 ということは、この壁の向こうが特別パーティ会場である。



「……っていうかレオン、いくらなんでも嗅覚良すぎじゃない? ここは外階段だよ? ここから建物の部屋の中の魔法草のにおいまで嗅ぎつけるなんて……」


「いや違う。建物の中からのにおいじゃない。においの元は、まだもっと上だ」


「え?」



「……そうか。日光が当たる場所……!」

 レオンはそのとき、ある事実に気付く。


 警戒も忘れて、残りの階段を一気に駆け上がっていった。



 あわててシィナもついていく。

 さっきからレオンが何を言っているのかよく分からなかったが……。

 階段を上りきって、ついに屋上に出たとき、シィナもついにその答えを目にする――。




「なるほどにゃ。ってわけか……」



 ……それが、3つめの疑問点の答えだった。



 広々とした屋上に、各辺三メートルほどの枠組みがいくつも並んでいる。

 レンガで造られた枠の中には土壌どじょうが敷かれ、そこから無数の植物が生っていた。



 そこは、ビル影の影響を一切受けない。

 さらに人目に触れず、普段はだれも立ち寄らない。


 ――違法の薬草を育てるのにこれ以上ないほど好条件だ。



 土から生え伸びるのは、どこにでもありそうな緑色の葉っぱ。

 だけどよく見れば異質なのがわかる。


 葉脈の部分が、毒々しい紫色をしているのだ。

 まるで毒の血を通わせているかのよう。こんな植物はほかにない。



 そして最たる特徴は、辺り一面に広がる異様なにおいだ。


 鼻腔の奥をつつかれていると感じるような刺激臭。

 ここまで大量の魔法草が密集していれば、レオンでなくても、そのにおいをつよく感じられる。



 間違いない。これは魔法草。

 魔法草の栽培畑は、〝森の灯台〟マズロア・ホテルの屋上にあったのだ。



「なんてこった。あたしらはずっと、魔法草畑の下で暮らしてたってことか。

……灯台もとくらしならぬ、灯台元ってか」


 うまいこと言うものだ、とレオンは思ったが……感心している場合ではない。



 魔法草の栽培畑は屋上にあったのだ。

 こんな重要な場所で、侵入者の警戒を怠るとは思えない。 

 どこかに監視カメラが設置されているのではないか。


 レオンは辺りを見回す。

 カメラは、すぐに見つかった。


 屋上扉の横に一つ、

 屋上全体を映すために塔屋の上に一つ、

 そして、非常階段の鉄骨の上部に一つ……。


 少年少女の姿は、すでに3つのカメラレンズから睨まれていた。




「シ、シィナ、まずいぞ‼」

「……わかってるよ。狼狽うろたえんなって」


 マジックパーティがおこなわれる今夜、多くの警備員がホテルの上層階に配置されているはずだ。


 侵入者の報はすぐさま彼らに伝えられ、この屋上へと乗り込んでくるに違いない。

 もはや逃げ隠れする猶予なんてないのだ。



 それを悟ったシィナは、ならば迎え撃とう、とすでに応戦の構えであった。


 屋上扉の向こうから、バタバタと足音が聞こえる。

 直後、扉が蹴破られ、十数人の警備員がいっせいに屋上に突入してくる。



「ずいぶんな武装だにゃあ。ただのホテルの警備員って風体じゃない。よく見りゃケーサツも混じってやがんぞ」


 屋上に乗り込んできたエルフたちの半数は、一般的な警備服を着ている。

 もう半数は、森を意識したような穏やかな緑色の制服だ。

 アドリア警察の制服である。


 ホテル警備とアドリア警察の混成部隊。

 異様なメンツだが、それぞれ主導者は共通している。



「あたしの言ったとおりだったね。アドリア警察もグルだ」


「ああ。……ということは、密売の元締めも、もちろん見立てどおり……」


 屋上扉を背にして、武器を構えるホテル警備とアドリア警察の武装隊。



 その間を抜けて、スーツ姿の男がゆっくりと姿を現した。


 月明りを受けて輝く美しいブロンドヘア、

 透きとおった青い瞳、

 日に焼けていない色白の肌。


 いかにもエルフといった精悍せいかんな男だ。


 足元に広がる違法栽培には目もくれず、非常階段口に立つ少年と少女をまっすぐ見据えている。


 このホテルのオーナー、

 そしてアドリアの知事をつとめる男、

 エリック・マズロアだ。

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