アドリア捜査4日目 吐露と来賓
「ここ数日、体の調子がおかしいんだ。気分が動揺しっぱなしで、落ち着かない……」
「体調不良ってこと? どっか具合悪いの?」
「いや、そういうわけじゃない。……狼化の能力が、発動しかかっているんだ……。俺のなかに宿ってる、狼が、目覚めそうになっている」
「へ……?」
予想外の返答に、シィナは驚いて目をまんまるにする。
「体にもはっきりと変化があらわれてる。犬歯がどんどん鋭くなってる。尾てい骨だって。それに、どうやら嗅覚も上がってるみたいで……」
「ぜんぶ、イヌ科っぽい特徴だにゃ」
「ああ。そうだ。狼化の兆候に間違いない。
この能力は、ほかの種族とは性質がまったく異なる。たとえ真正の能力者だろうと、本人の意思と関係なく暴発することがあるんだ。
……そして、ひとたび狼になってしまうと、理性を失くして暴れまわることになる。きっとお前のことも、喰い殺してしまうだろう……」
ふたたび夢の情景が浮かんだ。
また吐き気が込みあげそうになり、レオンはあわてて呼吸を整える。
「狼化が発動したら、理性がなくなっちゃうって……。今まで、そんな経験があるの?」
「まさか。経験なんてない。俺は今まで能力を使ったことがないんだから。これからも、使わないでいるつもりなんだが……」
「使ったことがないのに、どうして〝制御できない〟って分かるの?」
「そりゃ分かるだろ。俺は使ったことがないけど、歴史を辿れば、人狼が暴れて被害を出した事例なんて、いくらでもあるんだ。
先祖はこの力を制御できなかった。
それと同じ血が俺にも流れてるんだ。だったら俺も、先祖と同じく、制御ができないはずだと考えるのは当然だろう?」
「……うーん、そういうモンなのかにゃあ……」
シィナはあまり腑に落ちない様子だ。
彼女にこの危惧が伝わらないのも、仕方ないだろうとレオンは思った。
シィナは、当たり前のように能力を扱えている。
ネコビトとしての俊敏性を活かして、違反者を捕まえることができる。
本来、マトリにとってそれが当たり前のことなのだ。異端なのは自分のほうだ。
「……でも、どうしてまた急に? 能力が暴発することがあるって言っても、今まで生きてきて、そんなの起こったことないんでしょ? なにか理由があるの?」
「それは……」
シィナの顔をうかがう。
彼女はいたって純粋な目で、首をかしげさせていた。
ここまできて本音を隠すなんて、誠実さに欠けるだろう。
レオンは正直に打ち明けた。
「……お前の匂いだ」
「匂い?」
「ああ。この部屋で生活するようになってから、どうしてもお前の匂いに気を取られてしまって……。
狼化の兆候が表れたのは、おそらくそれがきっかけだ。俺が情欲に流されてしまっているのが悪いんだ。……本当にすまない」
レオンは誠意を込めて頭を下げた。
まさか、そんな理由だとは思いもしない。
予想外のさらに遥か向こうのような回答に、 シィナはいっそう目を丸くしてしまう。
少し遅れて、「そ、そっか。あたしの匂いがねー……」と気恥ずかしそうに頭を
「ま、まあね。わかるよ。獣人っていい匂いがするもん」
「獣人がみんな、そうなのか? てっきりシィナがネコビトだから特別なのかと」
「いやー、まあ、ネコビト以外の獣人も、けっこういい匂いすると思うよ……?」
「そうなのか? まあ、俺は獣人に会ったのはシィナが初めてだから、分からないが」
「だから、べつにレオンだけが匂いフェチだとか、ヤラシイとか、そういうわけじゃないっていうかー、なんつーか、あたしもそのー……」
なぜか言葉を詰まらせるシィナ。
レオンは察した。
きっと彼女は気を遣っているのだ。
獣人の匂いに気を取られるのは仕方ないことだとして、レオンが罪悪感を抱かないようにしてくれている。
本当に、ほかの獣人もみんな良い匂いがするものかどうかはわからないが、せっかくシィナが配慮してくれたのだから、レオンはそのことについて追及はしなかった。
「……今はどうなの? あたしが隣にいるけど。今でも能力が暴走しそうになってるわけ?」
「ひとまず、今は大丈夫だ。……シィナに話して、胸のつっかえが取れたかな。わりと気持ちは落ち着いてるよ」
レオンに狼化の兆候が現れたのは、少女の匂いにあてられていたことが原因だったが、その悩みを一人で抱え込んでいたストレスも大きかったようだ。
相棒にすべて打ち明けた今は、ずいぶんと心が軽くなった。
とはいえ、今なお彼の嗅覚は、少女の甘い匂いを過敏に捉えている。
高揚感が消えたわけではない。
いつ、また切羽詰まった状況に陥るか分からない。
「一時落ち着いたからって、いつまでも安心していられないよな……」
レオンはしばらく考え込んでから、ある決意を固めた。
「シィナ。この任務がおわったら、マリア長官にバディ解散を申し立てよう」
「……は⁉ なんで⁉」
突然の解散話に、シィナは今日一番の驚きの声を上げる。
「え、な、なんで? なんで急に、そんな話になんの⁉」
「当然だろう。俺とお前が一緒にいるのは危険だ。
このままだと、俺はいつか狼化を発動させてしまう。お前とは距離を置いた方がいい」
「それは、そうかもだけど……」
「狼化はぜったいに発動させてはならないんだ。それがマクスヴェイン家の
レオンは、少女の顔をまっすぐ見つめて言った。
それは心よりの本音だった。
仕方ない。
今までもそうしてきた。
……やはり自分は〝一匹狼〟でいるべきなのだ。
「……そっか。レオンがそう言うなら、仕方ないね……」
そう言って頷いたシィナの横顔は、ずいぶんと寂しげに見えた。
シィナはベッド横のナイトテーブルに手を伸ばす。
置いていたピアスを手に取り、左の猫耳と、尻尾の先端にそれぞれつけた。
レオンがその様子をぼんやり見ていたら、
「む。なに見てんだよー」と睨まれた。
「い、いや別に……」と取り繕うレオン。
それから数秒、無言で目を合わせたあと、なんとなく二人で笑い合った。
このとき二人とも「できればバディを解消したくないな」と思ったのだが、お互い、それは言わないようにした。
「ふうー。朝から、ずいぶんと話し込んじゃったね」
「ああ。もう昼前だ」
「あらら、ほんとだにゃ。お日様ももうすっかり天に上っちゃって……」
と、窓辺によって外の景色を見たシィナは、ぴくり、と猫耳を跳ねさせた。
「レオン……っ!」
慌てた様子でこちらを振り返るシィナ。
どうしたのだろうか、レオンはベッドから腰を上げて窓辺に向かう。
彼女の視線の先を追った。
ホテルの裏手に、十人ばかりの人の姿が見えた。
レオンの目では耳の形状までは見えないが、おそらく全員エルフだろう。
そして、黒スーツの男たちに囲まれながら毅然とホテルに入っていく人物。
「どう思う?」と、シィナが尋ねてきたので、レオンは眼下に目線を向けながら答えた。
「あれは間違いなくVIP客だな」
***
正午をまわった頃に、もう一人。
その三十分後にまた一人。
しばらくして、今度は夫婦。
403号室の窓から監視をつづけていると、厳重な護衛つきでセレブリティ感ある出で立ちのエルフたちが続々とホテル入りしていくのが見えた。
「間違いないな。今夜、このホテルの上層階で特別パーティがおこなわれるようだ」
「へへ。ようやくか。あの気位が高そうなエルフどもの鼻っ柱を蹴飛ばしてやったら、気分がいいだろうにゃあ。ダンスクラブのときを思い出すよ」
「あれは、ひどかったぞ。本当は警察局の機動隊が現場に突入するはずだったのに、お前が作戦を無視して、一人で暴れまわったんだ。おかげで、現場はめちゃくちゃだった」
「でも、おとがめなしだったでしょ?」
「始末書の提出を言いつけられたぞ」
「そうだったっけ? 覚えてないにゃあ」
「お前は逃げたんだよ。結局、俺が一人で書いた」
「あはは、そうだったね。ごめんにゃ」
爽やかな笑顔でそう言うシィナ。
悪びれているようにはまったく見えない。
「……でも今回は、思う存分、暴れまわっていいんでしょ?」
「ああ。エルフたちのマジックパーティをめちゃくちゃにしてやってくれ」
「ふふん。腕が鳴るにゃあ」
と言いつつ、鳴らすのは尻尾の鈴である。
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