アドリア捜査3日目夜~4日目朝

 その夜、かろうじて眠りにつけたレオン。


 しかし眠りはかなり浅いようだ。

 終始、色く鮮明な夢を見た。とてもおそろしい夢だ。



 自分が狼になって、ひとびとをい殺してまわる夢。


 幼い頃になんども見た悪夢だが、ここ最近はと見なかった。

 昔よりも想像力が鍛えられているのか、殺戮さつりくの感触はとてもリアルである。



 逃げ惑う人々を、野獣となって追いまわす。

 肉に歯を刺すと、口内に血の味が溢れかえった。


 歯先に硬い骨の感触がある。

 そのまま顎に力を入れると、ばきばきと骨が砕けるのだ。

 その音が、頭蓋骨の中で反響する……。



 背後から甘い匂いがした。

 たまらなく良い匂いだ。

 この匂いを嗅ぐと、血が熱くたぎる。



 匂いに惹かれて振り返ると、遠くに少女の背中があった。

 ネコビトの少女だ。

 黒毛の尻尾を揺らしている。

 尻尾の先には鈴が提げられていて、ちりんちりんと音が鳴っていた。



 狼はすぐさま駆け出した。

 四本の足で地面を蹴って、ものすごいスピードで、少女に向かっていく。


 彼女がゆっくりとこちらを振り向いた。

 なんてかわいい女の子だろう。



 おいしそう。

 たまらない。



 狼は……レオンは、大口を開けて、……シィナに飛びかかった。


 ……………………

 …………

 ……




 ***




 頭に強い衝撃を受けて、レオンは目を覚ました。


 奇妙な浮遊感があった。

 足が床から遠のいて、天井に頭をぶつけている。


 ……と思ったが違う。

 眼下に見えるのが天井で、頭が接しているのが床だ。

 自分の体がひっくり返っている。どうやらベッドから転げ落ちて床に頭をぶつけてしまったらしい。



 なんとか体を起こす。

 シィナはまだ静かに眠っていた。いつも通り、少しだけ背中を丸めながら行儀よく寝ている。


 彼女はちゃんとベッドの半分のスペースを守っていた。

 シィナに押し出されたわけではなく、自分が暴れたせいでベッドから落ちたのだ。



 寝ぼけて暴れてベッドから落ちるなんて、生まれて初めての経験である。

 どうしてこんなポカをしてしまったのか……。



 そのとき、たった今見ていた夢がフラッシュバックした。



「――――うっ」


 すえた血の臭いと、肉のあたたかさと、骨の砕ける音……。

 夢の生々しい感触がよみがえる。


 たちまち吐き気が込みあげてきた。

 レオンはあわててトイレに駆け込む。


 乱暴に扉を閉めてから、便器に顔を向けた。

 ……間一髪、床を汚さずにすんだ。



 昔と同じだ。

 狼化を忌避きひするあまり、悪夢を見て、寝起きに吐く。



 公安に入ってもう一人前になれたと思っていたのに、自分はまだこんなに弱いのか。

 洗面台で口をゆすぎながら、レオンはとてもみじめな気分になった。



 トイレを流して、洗面台で口をゆすいでから部屋に戻る。

 ちょうどシィナが起きていた。

 ピアスを手に取っており、今まさに尻尾の穴に差そうとしていたところだ。



「どしたんにゃ、レオン。トイレに長いこと入ってたみたいだけど」

「ああ、ちょっとその、大きい方が……。はは、朝からすまないな」


 いらぬ心配をかけてしまわないよう、レオンは笑ってごまかした。



「大きい方? うそつけ、ゲロ吐いてたでしょ。嗚咽おえつが聞こえてきたぞ」


 バレていた。


「それとも何? レオンは口からうんこ出すってのか?」

「いや、あの……」


 どうやって説明すればよいか分からず、レオンはしどろもどろになってしまう。



 シィナは「やれやれ」と肩をすくめると、手に持っていた鈴をナイトテーブルに戻した。

 ピアスを差すのをやめて、ベッドに腰を下ろした。

 そして「こっちきて」と言いながら、隣をぽんぽん叩く。


 これ以上ごまかすのは無理だ。

 レオンは観念して、シィナの隣に座りこんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る