アドリア捜査2日目 受付嬢いわく
すっかり調査が行き詰ってしまった。
二人は仕方なく、マズロア・ホテルへと戻る。
「ただいま、受付のお姉さん」
「404号室のお客様。お帰りなさいませ。街の観光は楽しんでいただけていますか」
「まあね。二日もあれば、充分、堪能できたよ」
「素敵な街でしょう、アドリアは」
「そうだね。とっても素敵だ」
思ってもないだろう。白々しいものである。
外出時と帰宿時は、カギの受け渡しのためにカウンターに寄る。
レオンとシィナがカウンターに立ち寄るとき、対応してくれるのはたいていモニカだった。
彼女とはすっかり顔なじみになっている。
無表情で、淡泊な口調の彼女。
声質も実に低温で、一見すると冷厳な性格かと思えるが、実はとても人当たりの良い女性である。
カギの受け渡しをするとき、いつも優しく話しかけてくれた。
ホテルの生活に不便はないか、街の観光は楽しめているかなど、親身な話題だ。
シィナも、彼女のことを気に入っているらしい。
嬉しそうにモニカと話をする。
ただし、モニカとの会話はあまり盛り上がりすぎても良くない。
しばらく会話がつづくと、モニカは決まってある人物のことを話題に挙げはじめるのだ。
「旅の方に喜んでいただけて、私も光栄ですわ。アドリアはとても平和で豊かな街ですからね。すべて、知事であるマズロア様のおかげです」
モニカの目線が遠くに向けられる。
シィナもつられて振り返った。
その視線の先にあるのは、ロビーの一角に堂々と立つ彫像だ。このホテルのオーナーおよびアドリアの知事を務める男、エリック・マズロアの像である。
シィナは、やれやれまた始まった、と肩をすくめた。
モニカは、いつもの凛とした顔つきから一転、うっとりと陶酔するように顔を緩ませる。
「ホント、お姉さんはマズロアのこと、尊敬してるんだね」
「もちろんです。この街に住むエルフで、彼を敬っていない者など一人もいません。
アドリアがエルフの聖地として繁栄しているのは、ひとえに彼の尽力あってのことですから」
「尽力? ふつうに知事やってんじゃないの?」
「もちろん、彼のおこなう市政が素晴らしいことは言うまでもございません。でもそれだけではないんです。
マズロア様は知事に就任される以前から、エルフの〝種族統一運動〟を推し広めていた
エルフの種族統一運動。
はじめて耳にする言葉だった。
シィナが聞き返すまでもなく、モニカはその思想について語りはじめる。
「一概にエルフ種族といっても、各地を発祥とするさまざまな部族があるんです。それぞれ肌や瞳、髪の色などが異なります。
……歴史を見れば、エルフ種族のなかでも部族のちがいによって争いや格差はありました。
ですが、今はどのエルフもみな平等です。部族関係なく、同じエルフ種族としてまとまろうという考えが広まったためです。それが〝種族統一運動〟です」
モニカは
他愛無い世間話から、遥か逸脱し、エルフの種族観についての話だ。
レオンは、さぞ退屈しているだろうとシィナの顔を横目で見る。
ところが、少女は意外にもモニカの話をちゃんと聞いていた。
「エルフがあつまって暮らしている土地というのは、アドリア以外にも多くあります。しかし、これほど多種多様なエルフ部族があつまる街はアドリアをおいてほかにありません」
「そうなの?」
「ええ。アドリアの市民は、他地方から移り住むエルフを快く迎え入れています。そのように市民の懐が深いのは、もとよりマズロア様のご活動があったからこそでしょう」
たしかに、アドリアの街を歩いていると、いろいろなエルフとすれ違う。
白肌や褐色肌。
透きとおった碧眼や、吸い込まれそうな深紅の瞳。
輝かしいブロンドヘアや、深みのある黒髪……。
実に多種多様な容姿である。
それでも耳の形状だけは全員に共通している。
どんな肌でも、どんな瞳でも、尖った耳を持っていれば同じエルフ種族だ。
ならば格差や争いなど無用、みな平等である。
――それがエルフの〝種族統一運動〟。
かねてよりそれを推し広める活動をしていたマズロア。
彼が知事となって、アドリアはその思想を体現する街となったのだ。
「知事となった今でも、彼は活動をつづけてらっしゃいます。週に一度ていど、このホテルの上層フロアでおこなわれる特別パーティです」
「特別パーティ?」
シィナの猫耳が、ぴくんと跳ねた。
「なにそれ? どんなパーティ?」
「パーティといっても、にぎやかなものではなくて、
アドリア以外から、各地で政界に携わる方や、貴家の当主、由緒ある部族の長などのエルフのお偉い様方が招かれて、種族全体の安寧や発展などについて意見を交わし合うそうですよ。
いうなれば〝種族統一運動〟の中枢会議とも呼べるでしょう」
シィナは、意味深な目つきでレオンを見上げた。
彼はまだその意図を汲み切れていない様子だ。「なんだよ、その目は?」と言いたげに眉をひそめる。
シィナはもう少し突っこんで聞いてみる。
幸い、モニカは〝マズロア心酔モード〟に入っており、彼に関することはなんでも
「ねえねえ、その特別パーティって、具体的にどんなの感じなの?」
「具体的にと聞かれましても……。パーティの詳しい様子なんて、私などではとても及び知りません。
今の話だって、人づてに聞きかじった噂ていどの情報ですよ。なにせ、きわめて厳粛なパーティですから。
給仕係も、ほんの雑務係でさえも、限られたごく一部の従業員しか呼ばれないのです。ぜひ、私もいつか関わってみたいものですが……」
遠い目をしながら、切実そうにモニカは言う。
シィナがまたレオンを見上げた。
今度ばかりは、シィナの意図が彼にも伝わったようだ。
ただし、懐疑的ではある。
「そんなわけない」と、また眉をひそめていた。
「……いけませんね。私としたことがつい長話をしてしまいました……」
ようやく我に返ったモニカ。
浮ついていた心を正すように、コホン、と咳払いをする。平素の淡泊な表情に戻った。
「私も仕事がありますので、このあたりで失礼させていただきます」
「うん。お話しできてよかったよ。ありがと、お姉さん!」
東邦生まれの褐色エルフは、一礼したあと、カウンターの奥の部屋に入っていく。
受付に立つばかりではなく、裏での作業もあるのだろう。
代わりに別の受付係がやってくる。
シィナとレオンもすぐにその場を立ち去った。
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