西の辺境 アドリア

 列車の汽笛音が寝不足の頭にキンと響いてきて、レオンは顔をしかめた。


「どうしたのレオン。なんか元気ないにゃ?」


「昨晩、あまり寝られなくて……」

「寝られなかった? どうして? もしかして、枕が変わると寝られないタイプ?」


「え? ……あ、ああ。そうなんだ」

「ふうん。難儀なやつだにゃ」


 ほんとうは、枕のせいではない。

 気持ちが高ぶっていて、寝付けなかったのだ。



 風呂場の騒動のあと、彼女の裸体が、ずっと頭から離れなかった。

 なんとか顔に出さないよう平静を装っていたが、内心ではもう動揺しっぱなしだったのだ。


 そんな状態のまま、彼女と同じ部屋で寝ることになる。

 熟睡などできるわけもない。



 さらにレオンを悩ましたのは、彼女の匂いだ。


 湯上りで温まった少女の体は、脳をほだすような匂いをめいっぱい振りまいた。

 旅館部屋に満々と広がる幽香は、少年の理性を夜通し乱しつづけたのだ。


 ――今でも、そうだ。



 二人が乗っているのは、アラゴ駅発、アドリア行きの列車。

 辺境を走る小さな列車だ。昨日乗った列車のような広い個室はない。

 二人掛けの席に、肩をならべて座っている。


 すぐ隣に座る少女から、ふわりと甘い匂いが香る。


 同時に、レオンの心臓がどくんと跳ね上がる。


 こんなに動揺する自分が情けない。


 たしかに彼女と出会ったときから、良い匂いだとは感じていた。

 だがもう彼女と組んで一か月以上経っているのだ。


 とうに慣れたはずなのに、どうしてこんなに心を惑わされるのか……。




「……そ、そろそろ到着するみたいだぞ」

 気を紛らわせたくて、別の話題を出した。


 列車はアラゴ周辺の山岳地帯をすでに超えており、その先の広大な平原地帯を進んでいた。

 見晴らしの良い野原から、しだいに樹木が散見されるようになる。

 景色が流れるたびに、樹木の数も増えていった。


 やがて、まばらな林から深い森へと景色を変える。



「んにゃ、もうすぐ到着だって? どんどん森が深くなるけど、こんなとこに街があるの?」


「アドリア市は大部分が森林だ。その中心に街がある。大昔はこの一帯の森に、エルフがいっぱい暮らしていた。その名残で、今でもアドリアの人口の大半はエルフというわけだ」


「……まさか暮らしぶりも昔のままなの? 辺り一帯、ずっと森ばっかで、なんにもないよ?」


 樹海のなかをただ一本の線路が突っ切っているだけで、ほかに道はないし、建造物も見えない。

 窓の向こうには、文明の気配がさっぱりない。



「あたし、ライフラインがまともに通ってないようなところで潜入任務なんてしたくないよ。水洗トイレやシャワーがないなんて、絶対ヤだからね」


「心配するな。むしろ首都にも見劣りしないくらいの近代都市だって聞いてるぞ」


「こんな森の中に近代都市? うそでしょ?」


「たぶん、もう少ししたら見えてくるぞ。……ほらアレ」



 ひしめきあう木々の上に、なにかがちらりと見えた。

 それは、ビルの先端だ。

 高い樹木の頭上に、人工的な建造物が遠く見える。



「アドリアは、森の中の限られた土地で発展した都市だからな。横に広がるんじゃなくて縦に伸びた結果、高層建築が多いんだそうだ」


 枝葉えだは生い茂る緑の絨緞じゅうたんから、ビルの先端が見え始める。


 一つ、二つと生え伸びてくる高層ビル。

 やがて近代都市の様相が垣間見えてくる。



「もしこの辺りの森で迷っても、遠くにビルの灯りが見えるから無事に街にたどり着けるらしい。だから、一番高いビルは、通称〝森の灯台〟って呼ばれてるんだそうだ」



 列車はついに森を抜け、開けた場所に出た。


 大きな建物が所狭しに建ち並んでいる。今まで見えていた景色とは一変し、近代的な都市様相が広がっていた。


 辺境地方は、文明の発展に置き去りにされた未発達の土地と、独自の発展を遂げた先進的な土地の二様にように分けられる。

 ここは後者のようである。



 西の辺境アドリア。

 レオンとシィナは、ついに任務地へたどり着いた。

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