犬猫の仲

「二人とも、おつかれさま。お手柄だったわね」


 警察局へ犯人身柄の引き渡しを終えて帰署した二人を、マリアが労いの言葉で迎える。



「バディ結成してたった一週間で初検挙なんて、すごいことよ」

「いえ、そんな……」


「あのエルフが気になるって言いだしたのは新人クンだったじゃん。無意識に、怪しいやつを見極めてたわけだ。きっとそういう意味でもってことなんじゃない?」


「……そ、そうでしょうか」


「あのエルフを捕まえられたのは、新人クンのおかげだよ。謙遜すんなって」



 シィナにそう言われるのは、レオンにとって意外だった。


「ふーん、新人クンは見てるだけでなんもできなかったね」

 とか、

「新人クンは情けないにゃあ」

 とか、てっきりそんなふうになじられるかと思っていたからだ。


 少なくともシィナは、すでにレオンのことをバディとして認めているようだ。


 ならば自分も認めてやるべきだ。

 相棒として、信頼のおける相手として。



「ところでシィナちゃん。活動報告書、溜まってるよね」


 称揚しょうようもほどほどに、とつとしてマリアが切り出す。


「今回の分もあわせて、明日には出せるかな?」


「う、うええっ⁉ ちょっとマリア、それは無理だよお」


「…………」

 シィナがごねると、マリアは黙ってしまった。

 表情は笑顔のままだ。しかしどこか冷ややかな笑顔にも見える……。



「シィナちゃん。私、前から言ってたよね。『溜めてる報告書、近いうちに出してね』って」


「それはそうだけど……。せっかく違反者を捕まえたんだもん。今日は気分良く帰りたいよ。かったるい書類仕事なんて、やってられないにゃ」


「…………シィナちゃん?」


 そばで二人の会話を聞いていたレオン。

 マリアの声を聴いて、ぞくり、と背筋に悪寒が走るのを感じた。


 彼女の清く透き通る声……その声音はいつもと変わりないが、なんというか、温度が変わった気がした。

 身の底から凍えるような、冷たい声に変わったのだ。



「シィナ先輩、あの……」


 まずいと思ったレオンは、シィナをいさめようとする。


 しかし、それよりも先に女性長官の方が動いていた。


 ツカツカと硬い靴音を鳴らしながら、小柄な少女に詰め寄っていく。

 シィナは、なにがなんだか分からないうちに、壁際まで追い立てられた。



「んにゃっ⁉」


 気が付けば、猫耳に冷ややかなモノがあてがわれていた。


 拳銃だ。

 マリアの右手に、重厚な自動拳銃が握られている。


 いったい、どこから取り出したのか。いつのまに抜いたのか。

 すでに撃鉄も起こされている。

 傍から見ていたレオンもまったく気づかなかった。



「シィナちゃん。これ以上わがまま言っちゃだめよ」


 冷徹そのものといった声が、頭上から降り注ぐ。

 シィナは、猫耳にあてがわれる銃口よりもむしろその声の方が冷たく感じ、びくっと身を震わせた。



「違反者を検挙したのはよくやったわ。だけど、事務作業もれっきとしたマトリの仕事なんだからね。逃げ切ろうなんて思ってはだめ。それは長官である私が許さないからね」


「マリア長官、銃を向けるのは、さすがに……」


 レオンが間に入ろうとするが……そんな彼に向かって、マリアは左手を突き出す。


 その手のひらに、一瞬だけ奇妙な紋様が浮かぶのが見えた。

 歪みのない円、その中に複雑な幾何学模様、線に沿って書き連ねられる細かな文字。


 ――魔法陣だ。


 なぜ長官の手に魔法陣が?

 恐怖と驚きで、レオンの理解が追いつかない。


 手のひらに浮かんだ魔法陣がつよく発光したかと思うと、その直後にはすでに模様は消えており、代わりに……マリアの左手には重厚な拳銃が握られている。



「マリア長官⁉ そんな、俺にも銃を向けるなんて……」


「レオン君。バディは連帯責任なのよ。彼女の怠慢は君にも責任があるわ。わかってる?」


「わ、わかりましたっっ、すみません‼」


「あ、あたしもごめんなさいっ‼ い、言われた通り、明日に全部出すにゃあっっ」


 レオンとシィナは、ほとんど悲鳴をあげるように叫ぶ。


 それを彼らの誠意として受け取ったのか、マリアはそっと拳銃を降ろした。

 そして「分かってくれたらいいのよ」と、いつもの穏やかな笑顔に切り替わる。



「私はこれから警察局に行ってくるわ。犯人の事情聴取や事務処理の手伝いをしてくる。そのあと直帰するから。二人とも、おつかれさま。また明日ね」


 さわやかに挨拶をして、マリアは支所から出ていった。



「「…………」」

 残されたレオンとシィナは、無言で顔を見合わせる。


「マリアは怒ると怖いんだ」

「生まれて初めて、本気で死ぬかと思いました」

「あたしは何回もあるよ。報告書を溜めすぎると、いっつもこうなんだ」


 こんなに怒られると分かっていたなら、ちゃんと真面目に書類をこなしておいてほしかったとレオンは呆れた。


 だが今はそんなことよりも気になることがある。



「もしかして、今、マリア長官は魔法を使ったんですか?」


「そうだよ。マリアは〝魔女〟の血筋を継いでるんだってさ。そんで、高い魔力を持って生まれた。あたしたちと同じ、真正の魔法能力者ってわけ」


「知りませんでした……」


 そもそも〝魔女〟というのが確立された一つの種族だというのも初耳である。

 外見的な特徴はないし、においの特徴もない。

 言われなければ、気付かないままだっただろう。



「マリアが使うのは〝空間魔法〟っていう魔法。なんか、別空間的なところに拳銃を隠してて、いつでもすぐに取り出せるようにしてるんだってさ。……間近で見たらビビるよね。ファンタジーかよ、って」


「は、はい。実際に魔法を見たのは初めてだったので、驚きました……」


 レオンもシィナも、魔力を生まれ持ち、種族の力を発現しているとはいえ、魔法の術に関してはファンタジー感がまた別格だ。

 何もないところからいきなり拳銃が出現するなんて、鼻が利いたり、身体能力が高かったりといった能力とは格が違うように感じる。


 ただ、よくよく思えば腑に落ちた。


 それほど格上の能力を持っていればこそ、当局の長官が務まるというものだろう。

 透き通った声の持ち主で、とても穏和な雰囲気のマリア。


 だがその芯には、マトリを統べる長としての、たしかな威厳があった。




 ***




 シィナはとんでもない量の書類を溜めこんでいた。

 バディは連帯責任なので、レオンもその処理を手伝うことになった。


「まったく。どうして新人の俺が、先輩の書類仕事の手伝いをさせられてるんですか……」


「あたしたちはバディなんだから。この際、先輩とか後輩とか、そんなのカンケーないよ」


「……そうでしょうか」

「うん。だからさ、やっぱり敬語なんて使わなくていいんだよ新人クン!」


「…………」

 レオンは思いなおる。


 たとえ半年の差であろうと、先輩は先輩。

 敬意を払って敬語で接するべきだと考えていた。


 しかし、今のこの状況はどうだ。


 彼女が溜め込んだ書類を後輩である自分が手伝っている。

 これでは先輩の威厳もないだろう。敬意を払う義理なんてないじゃないか。



「そうですね。……じゃあ、タメ口でいかせてもらいます。その代わり、俺のことを『新人クン』って呼ぶのはいい加減やめてもらえませんか」


「そうだね。わかった。ちゃんと名前で呼ぶよ」



「じゃあ、改めて……これからもよろしくたのむよ、シィナ」

「えへへ。こちらこそよろしくにゃ、レオン」


 少年少女は、邪気のない笑顔で互いの名を呼び合う。


 イヌ科とネコ科、性格も正反対な二人だが、バディとしての相性は存外、良いのかもしれない。

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