巡る日々 一週間後…

 早々と日々が過ぎていった。

 やることといえば、意味のない巡回だけ。


 一週間も経つと、レオンも少し土地勘がついてきた。

 首都都中央駅を軸として、繁華街、裏町、各区住宅街など、それぞれの位置関係をおおむね把握できている。


 あるいはシィナがこれからどこへ向かおうとしているかも、おおよそ予想できるようになった。


 この進路なら、きっとあのビル群を縦断するつもりだろうとか、

 あの区画をゆっくり周遊するつもりだろうとか。



 巡回業務を開始してから一時間ほど経った。

 繁華街を抜けて、大きな交差点に差しかかる。シィナは直進を選んだ。


 レオンはすぐに行き先を察する。



「新人クン、そろそろ歩き疲れたんじゃないか?」


 ああ、やっぱりな、とレオンは苦笑する。


「中央公園に行って、休憩にしようにゃ」



 ***



 中央公園の小高い丘の上の休憩所。

 シィナはベンチに座って、ふにゃあと息をつく。


 自分の尻尾をまじまじと見た。毛並みが気になったらしい。

 ポケットから折りたたみ式の小さなヘアブラシを取り出して、尻尾の毛を梳きはじめる。獣人少女のたしなみだ。


 柔らかい黒毛がブラシで撫でられ、ほぐされていく。


 その感覚はレオンには想像もつかないが、どうやら心地よいものらしい。

 シィナは目を細めて、猫耳を枝垂れさせている。

 ブラシで尻尾を撫でるたび、先端に提げられた鈴がちりんちりんと音を鳴らした。



「シィナ先輩、その尻尾のピアスって……」

「〝しっピ〟ね」


「ああ、はい、しっピ……。なぜ、つけてるんですか?」

「なぜって? べつに大した理由はないよ。興味があったから、それだけ。ピアスを開ける理由なんて、そんなもんでしょ」


「……それって、いつの話ですか……?」

「もう、三年ぐらい前だよ。十歳の頃かな」


「十歳⁉ 親は反対しなかったんですか? 十歳でピアスなんて……」


 もちろん、幼子のピアッシングを許す親がいたってかまわない。価値観は人それぞれだ。


 でもシィナの場合、穿孔せんこうする場所が問題だ。

 尻尾と獣耳は、獣人にとって誇るべき部位のはず。そんなところに穴を空けるなんて、同じ種族の親なら止めるのではないか。



「親の反対? ないよ、そんなの。だってあたし、親、いないもん」


 シィナは、実にあっけらかんとした態度で、そう答えた。


「あ……、そ、そうだったんですか」

「気まずそうにすんなよ。べつに、あたしにとっちゃ普通のことだし」


 シィナは折りたたみ式のヘアブラシを、パチンと閉じた。


「あたしは孤児なんだ。マトリになる前は、スラム街で暮らしてたのさ。いろいろあって、マリアにスカウトされて、今はこうしてまともな生活できてるけど」



 シィナは丘のふもとのグラウンドに目を向けていた。

 そこには様々な子供たちがいる。


 親に連れられて散歩をしていたり、

 友だち同士でボール遊びをしていたり、

 ペットの散歩をしていたり。……どれも、シィナにとっては遠い世界なのだろうか。


 しかし少女の目に悲しみはない。


 マトリとして公安に所属する少女は、世間の子供たちと隔絶した立場にある。

 でもその現状を憂いている様子はなかった。


 きっと今を前向きに生きているのだろう、それなら彼女を憐れむようなことを言うのは失礼だ。

 レオンは同情や哀れみといった感情を、心の脇にそっと捨て置いた。



「そういう環境なら、子供のピアスぐらい大したことではないんでしょうね……」


「うん。まあ、獣人なのに、獣耳とか尻尾にピアスするってのは、変な目で見られても仕方ないかもしんないけどさ。だけどあたしはべつに、猫耳や尻尾が誇りだなんて、こだわっちゃいない。


あたしは思うんだ。どんなことでも、こだわりすぎると泥沼だってね。


あたしはピアスが好き。それなのに、もし種族の誇りなんてものにこだわって、せっかく好きなピアスが楽しめなかったら、そんなのバカらしいでしょ?

あたしに言わせれば〝こだわりなんて犬に食わせろ〟ってカンジだね」



 シィナは同種族に囲まれることなく、荒涼としたスラムに揉まれて生きてきた。

 種族の誇りなんて気にしないのは当然かもしれない。


 でもそれは必ずしも悪いことではない。


 尻尾と猫耳、それぞれ輝くピアスは、とてもかわいらしいのだから。

 少なくとも彼女は、種族の観念に縛られることなく、純粋にオシャレを愉しんでいる。そこに口出しするのはナンセンスだ。



「シィナ先輩の考えはよくわかりました。種族に反意があるというわけでもなく、ただ純粋に、オシャレとしてピアスを差しているということですね。

それも結構だと思います……が、しかし、そんな音の鳴るモノをつけていたら、捜査に支障をきたすのでは……?」


「もちろん、真面目に捜査するときは外すよ」


 ということは、ピアスをつけている今は真面目に捜査活動をしていないということだ。……いやまあ、分かっていたことだが。



 ***



 公園での休憩は、いつも一時間以上かかる。


 その間、シィナはずっとダラダラと怠けているが、レオンは勤勉だ。

 この時間も、せめて巡回の意義を果たそうと、公園内を見渡して、怪しいやつがいないか目を光らせていた。


 それは、ちょうど昼時が過ぎた頃。


 東入り口から公園に入ってくる人影が見えた。

 上はTシャツに、下はポケットがたくさんついたカーゴパンツという服装の若い男だ。


 その人物は、ランニングしている人の横を通りすぎて、グラウンドを突っ切って、まっすぐこちらのほうに向かってくる。


 近づいてくると、顔立ちが見えた。

 切れ長の目に、高くとおった鼻筋、そして横髪をかき分けて伸びる長い耳。

 エルフ族だ。



 とりたてて怪しい雰囲気を感じたわけではない。

 ただなんとなく、その男を目で追った。

 そいつは、迷いのない足取りで広場を通り抜けて、丘のふもとにあるトイレに向かった。



「どうかしたの、新人クン?」

「いえ、ちょっとあのエルフが気になって」


「なんだアイツ。東の入り口から入ってきて、まっすぐ西トイレに入るなんて」

「たしか、この公園の西トイレは古くて汚いって言ってましたよね」


「うん。あんなトイレ、だれも好き好んで使わないよ」

「あのエルフは、ずいぶんと奇特なやつなんでしょうか」


「うん。……それとも、もしかすると……」


 シィナは、なにやら考え込むように言葉尻をすぼめていった。



 男が西トイレの中に入った後。

 しばらくして、また一人、東入り口から公園に入ってくる人影が見えた。

 丈の長いサマーコートに身を包んだ男だ。その耳は、ツンと尖っている。



「またエルフがきた。あいつも西トイレに向かっていってるね」

「本当ですね。迷いない足取りで、まっすぐ西トイレの方へ歩いて行きます……」


「あいつも西トイレに入るだろうにゃ。それで、すぐに二人仲良く出てくるぞ」

「どうしてそんなことが分かるんですか……?」


 レオンが不思議そうに尋ねるが、シィナは真剣なまなざしでエルフの姿を見つめていた。

 レオンもならって、エルフの動きを観察する。


 二人目のエルフも、辺りを警戒してから、西トイレに入った。


 そして、ほんの数秒後。

 たしかにシィナの宣言通り、二人のエルフが同時にトイレから出てきた。

 かと思えば、すぐに別々の方向に向けて歩き出す。



「どういうことでしょう。わざわざ、あんなところで待ち合わせ? いや、それにしては別々の方向に歩いていきましたが……」


「こりゃあ思わぬ収穫かもにゃあ」

「収穫?」


「きっとやつら、今、あそこで魔法薬の受け渡しをしたんだ」

「え⁉」


「汚くてだれも使わないトイレ……イケナイことをするには、意外な穴場ってわけだにゃ」


「それは、そうかもしれませんが……こんな白昼堂々、しかも人の多い公園で?」

「だからこその穴場でしょ」


 たしかに、とレオンは思い直る。

 マトリである自分が、『まさかそんなのあり得ない』と思うからこそ、あのトイレが穴場になるわけだ。

 あまりマトリが警戒しない、意外な場所ということである。


「新人クン、行くよ」と、シィナがすっくと立ちあがる。


「あいつらを追うんにゃ。急ごう、見失っちゃう」


 シィナはそう言うと、尻尾の鈴を手早く外して、ポケットにしまった。

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