1-2. 脱出


「え!? どこ、ここ!?」


 甲高い女子高生の声に、和泉は思わず体をびくりと震わせる。


 おかしい。

 ここはどこ。

 なんでこんなところに。

 夢?

 でも、他の人も見えてる。

 自分だけじゃない。

 でも、なんで。



 次々と浮かぶ言葉に吐き気が込みあがり、視界が狭くなる。暴れ出しそうなくらい早まった動悸がおさまらない。

 頭の奥がガンガンと痛み、はっはっと口で短く呼吸を繰り返す和泉の耳に、穏やかな女性の声が届いた。


「異世界からいらした皆様。どうか私の話を聞いていただけませんか?」


 遠く、見慣れた体育館よりも広い部屋の奥、玉座と思われる椅子に座った女性が話を始めた。


「驚かれるのも無理はありません。ですが、突然の召喚に応えてくださりありがとうございます」

「は? 召喚?」

「応えるって? どういうこと?」

「まじかよ。異世界かよ」

「ちょっと、話すの待ってよ。頭整理つかないんだけど」


 女性の言葉に、高校生たちが次々と疑問を投げかける。

 実際、和泉も女性が言った「召喚に応える」というフレーズに思わず顔を顰めた。

 一体いつ、召喚を許可したというのだろうか。


「違うのですか? 異世界から来られる方々は、女神様より特別な力を与えられ、こちらの世界へと降り立つのです。

 皆様ももちろん、女神様からこの世界で必要とされる力を与えられているのではありませんか?」

「女神ぃ? 何それ突然。めちゃ胡散臭い」

「え? 特別な力ってチートってこと?」

「やべっ、俺勇者?」

「あんたはちょっと黙って。あんたが勇者なんてあるわけないじゃない」

「お願いです。確かに力を授かっているはずなのです。どうか自分の中の力と向き合い、“ステータスオープン”と言ってください」

「まじ? まじで“ステータスオープン”とかあるの?」

「本当にうるさ。そんな恥ずかしいこと言えるわけないじゃん」

「俺はいくぜ! “ステータスオープン”!」


 男子校生の一人が右手を振り上げつつ大きな声を上げた瞬間、彼の目の前に光のカケラが集まりまるでCGのウィンドウのようなものが作られた。


「ままままじかぁぁ!」

「すげっ! ホントにステータス見れちゃうのかよ」

「本当に異世界ってこと?」

「あたしもやるぅ!」


 高校生たち四人は“ステータスオープン”で次々とウィンドウを開き、熱狂した叫びを上げている。

 すぐ目の前で展開されるまさに異世界の魔法に、和泉も少しずつ興奮を感じ始める。

 異世界! 本当に異世界に来たのだ!

 まさか、ステータスを見る魔法が実際にあるなんて!

 込み上げる熱に突き動かされるように、自分のステータスを見ようと和泉も声を上げようとしたその時。


「ステ――」

「待つんだ」


 地面についたままの自分の左手を誰かが掴み、小さな声で制止される。


「え?」

「お願いだ。まだ、待ってほしい」

「何を……」

「静かに。お願いだから」


 高校生たちの盛り上がりにかき消されそうなほど小さく、硬い声で繰り返される願いに緊張が走る。和泉は視線を前に向けたまま、横にいるはずの男性に小声で返す。


「なんで?」

「声に、出さずに、心の中だけで“ステータス”と言うんだ」

「え?」

「お願いだ。やってみて」


 必死な声に促され、心の中で「ステータスが見たい」と願いながら“ステータス”と唱える。

 すると目の奥、いや、頭の奥で自分のステータスが開示されたのを感じた。

 いくつかわからない項目があるが、どうやら自分のステータスで間違いないようだ。だが、これは――


「見えた?」

「はい。見えました」

「ごめん。何も聞かないで使ってほしいスキルがある。君の“隠密”で僕と君の存在が見えないようにしてほしい」

「え? ……分かりました」


 緊張を含んだ男性の言葉に、和泉は彼の願い通り、先ほど見えたステータスの中にあった自分のスキル“隠密”を意識する。

 ゆっくり、ゆっくり、左手でつながった自分達の存在感が周りの景色に溶け込むように薄く消えていくのを感じる。


 一歩先では高校生たちがそれぞれのステータスで盛り上がり、それをなだめる女性の声が続いている。

 だが、今、確かに自分たちは彼らとまるで違う空間にいるような、認識されていない状態になったことが分かった。


「ふぅ、ありがとう」

「いえ、こちらこそ」


 男性も、和泉のスキルで認識されない状態になったのを感じたのか、左手は和泉に添えたままで少し力を抜く。


「意図的でしょうか」

「おそらく」


 存在感がなくなったとはいえ声までが聞こえなくなったとは限らない。二人はお互いに届くだけの声量で短く会話をする。

 確かにあの女性は“ステータスオープン“と言った。だが、“ステータス“だけでも自分のスキルなどを見ることはできた。ではなぜ“ステータスオープン”なのか。

 違いは、ウィンドウが他の人にも見える形で現れるかどうか。

 それを必要とした理由とは。

 その答えは深く考えないでも出た。


「悪い方のパターンか」


 男性がつぶやいた言葉に、思わず小さな笑いが出そうになる。

 きっとこの人も異世界転移物の小説などをたしなむのだろう。和泉が出した結論と同じだ。


「ここ、移動できますかね」

「君のスキルだったらなんとかできそうだが、問題はこの体勢とこの荷物だな」


 自分たちが想像するパターンであれば、このままここに留まるのは危険だ。すぐにでも移動した方がいいだろう。

 だが男性に言われて彼の体の向こう側を見ると、彼が持っていたスーツケースが転がっていた。

 確かに通常でもガラガラとうるさいこの荷物を、音を立てずに移動させるのは難しそうだ。そもそも、気配を殺したまま立ち上がれるかも怪しい。


「ん?」


 立ち上がって移動することを考えた時、違和感を覚える。だが今はそのことを深く考えるべきではないと、思考を元に戻す。


「気づかれないように立ち上がってここから荷物を持って移動、できると思いますか?」

「分からない。――ひとつ、お願いがあるんだ。君の隠密スキル、そこに集中してみて何か他にできることがないか、情報が出たりしないか?」


 男性のお願いに和泉はうなずきだけで返し、“ステータス”でみえた隠密スキルのさらに奥に意識を集中させる。

 無意識に閉じた瞼の向こうに、スキルの詳細が浮かび上がった。



  隠密(∞)

  自分と対象の存在感を消す

  存在感を構成する気配、におい、音など全てを含む



 はっと知らずに詰めていた息を吐き、目を開ける。

 確かに見えた、スキルの詳細。

 そこには気配だけでなく、においや音まで消してくれるとあった。

 まさに自分が、自分たちが望んでいるもの。

 この場にふさわしいスキルを自分が持っていることに興奮が止まない。

 だが、まだ早い。喜ぶのはまだだ。


 ゆっくりと、再度発動している隠密スキルに集中する。

 先ほど発動した時よりさらに強く、自分たちを囲うように隠密を展開させる。

 ずんっと周りの空気が濃密になったのを感じ取る。


「これで、大丈夫でしょうか」

「ああ、ありがとう。大丈夫なはずだ」

「では、まずゆっくり立ってみます」

「そうしよう」


 手を軽く繋いだまま、慎重に時間をかけて立ち上がる。そばにあった松葉杖は床に転がったままだ。


 ――やっぱり。


 先ほどの違和感。それは自分の膝。

 あるべき違和感がない。

 痛みが、ない。

 サポーターでぐるぐる巻きにされた膝には全く痛みがない。

 完全に治っている。


 よく分からない。

 隠密スキルといい自分の膝といい、誰かが、何かが、“ここを離れろ”と言っている。

 和泉はそう感じた。


「とりあえずは、大丈夫そうですね」

「次は荷物だな」


 立ち上がった自分たちに注目しているのは誰もいないようだ。

 次に、男性がカラカラと空回るスーツケースの車輪を押さえながら、左腕全体で抱え込むようにして持ち上げた。

 スキルで音が伝わらないとは言え、引っ張って歩くよりは良いと考えたのだろう。

 和泉も足元の松葉杖を右手で拾い上げて男性の方を向いた。


「え?」

「ん?」


 和泉の目に飛び込んできた新たな激しい違和感に、思わず左手を離しそうになり慌ててぎゅっと握りしめる。

 ついでに霧散しそうになった隠密スキルにも力を込め直す。


「あ、えっと、なんでもないです」

「何でもなくなさげだけど。

 ――とりあえずあっちに進もう」

「はい」


 両手が塞がっている状態だからか、顎で進行方向を示す男性を見上げながら和泉も歩き出す。

 万が一スキルが切れてしまったら、自分たちがどうなるか分からない。

 頭から離れない衝撃を何とか抑え込み、この大きな部屋から脱出することに集中する。

 慣れていないせいか、高校生の声が大きくなったり女性の声が聞こえるたびに隠密にムラが出てしまう。

 男性にもそれが伝わるのか、少し進むごとに心配そうに見てくるが、和泉に声をかけることはしない。和泉の集中力を切らさないようにしてくれているのだろう。

 彼の気遣いに感謝しながら、繋がった手、空気、自分たちを包む全てをスキルで覆い、さらにそれがブレないように意識する。

 キンっと隠密の膜が硬くなった気がする。繋がった左手をグッと握り返された。


 ――大丈夫。このまま進める。


 近づいてくる開け放たれたままの外への扉。

 両脇を守る兵士のそばを通り抜ける時、遥か後方から女性と高校生たちの明るい笑い声が響いていた。



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