聖獣の花嫁 捧げられた乙女は優しき獅子に愛される

沙川りさ/角川文庫 キャラクター文芸

はじまり

 ──ある星の輝く夜。

 世界の北に位置するとある地で、一頭の美しいが、一人の少年の夢枕に舞い降りた。


 その獅子は、ファフニールという名の聖獣であった。

 聖獣とは、この世の森羅万象に宿る、強大な力を持った長寿の精霊のような存在である。

 ファフニールとは、獣の姿と人の姿を併せ持つ美しい獣。この獅子は風がなくともなびく長いたてがみを持ち、どうもうな獣の長というよりはむしろ、高貴にたたずむ巨大な猫のようでもあった。

 他方、その少年はたぐまれなる心清らかな者であった。

 自らも貧しいのにもかかわらず、より貧しい人々や病の人々を助けるために駆け回る。自らはパンくずを食べ、硬い岩肌に幾ばくかのわらを敷いて眠る日々である。

 獅子は少年に、そんな貧しい人々を救えるような国を作るようお告げを与えた。

 小さくとも、貧しい人々が安穏として平和に暮らせる、そんな国を作るようにと。

 少年はお告げに従って初代国王に自ら即位し、アーレンバリという王国を興した。

 国は栄え、人々は富み、幸せに暮らした。

 初代国王はお告げを与えてくれた獅子に感謝した。そのあかしとして、アーレンバリ王国の真ん中に位置する丘の上、緑豊かな森の中に、獅子をまつるための神殿を建立した。

 人々も獅子に感謝し、神殿の周りに集った。やがてそこは街になった。

 初代国王がいなくなった後も、のちの王たちの計らいにより、街は城壁によって守られ、城壁の中の文化や暮らしもまた守られた。

 城壁の中の街はヒェリ・バーリ──『聖なる山』と呼ばれ、のちにアーレンバリ王国から都市国家として認められることとなった。

 時が経ち、周囲の国々の発展とともにアーレンバリ王国の近代化が進み、王政が廃止され共和制を執るようになっても。アーレンバリ共和国が軍部によって統治される軍事国家となった今でも。

 建国から千五百年もの月日が経った今でも。

 ヒェリ・バーリの中では、神殿を中心とした古き良き街並みが守り続けられているのである。


 獣の姿と人の姿を併せ持つ美しい獣、聖獣ファフニール。

 ヒェリ・バーリの神殿が建てられたとき、その傍には、かの獅子のための屋敷もまた時を同じくして建てられた。

 美しい獅子は今、美しい青年の姿で、その屋敷で暮らしているのである。

 それはあるひとつの探し物を、人間の世界の中で見つけ出すためであった。

 その探し物とは、花嫁だ。

 長い時間を生きる聖獣である青年は、自らと共に生きてくれる花嫁を、千五百年もの長きにわたってずっと探し続けているのであった。聖獣の花嫁に選ばれるためには厳しい『おきて』が存在するため、獅子自身にも容易には見つけ出すことがかなわないのだ。それは聖獣が『掟』に縛られ、『掟』に従って生きる存在であるためであった。

『掟』のことなどあずかり知らぬ人間たち、殊にヒェリ・バーリの娘たちはいつの時代も、聖獣ファフニールの花嫁になることを夢見ていた。それはおとぎばなしに登場する王子様へのあこがれ、崇拝に近いものであった。一歩引いた場所からかんぺきな額縁の中の美しい景色を眺める──聖獣に向けられる視線はその類いのものであったのだ。


 これは、そんな美しくも孤独な聖獣の物語。

 そして、自分が選ばれたいなどとは一度だって夢見たこともなかった、聖獣の花嫁の物語である。

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