殺し屋ミフネのカワイイ・クイズ

山郷ろしこ

殺し屋ミフネのカワイイ・クイズ

「あたし、殺し屋やめるわ」

「は?」


 目を丸くする僕の前で、ナイフの切っ先が引き抜かれた。支える左手が離れると、死体はどさりとリビングに倒れる。ナイフから滴る鮮血を拭いつつ、ミフネは「だから」とこちらを睨んだ。


「やめるから、殺し屋。これを最後の仕事にするから」


 足元の死体を、ミフネの細い指が示す。四十三歳、シングルマザーと会社員をやっていた「それ」は、もうぴくりとも動かなかった。こいつがどうしてこんな目に遭わなきゃならなかったのか、僕は知らない。それどころじゃない。


「いや……いやいやいや」


 僕はミフネに一歩近づく。つきっぱなしのテレビでは、夜のニュースが読み上げられている。


「なんで?」

「なんでって、なんでそんなこと知りたいの」

「なんでって、なんで教えてくれないんだよ」

「なんででもいいじゃん」

「どっちが?」

「どっちも!」

「いいわけないだろ」


 僕はため息をつくと、ミフネはフンとそっぽを向く。ツヤツヤとした黒髪が、首の動きに合わせて揺れた。


 はっきり言って、ミフネは凄腕の殺し屋だ。殺し屋と客をつなぐ仲介業者として、僕は迷いなく保証する。見た目はそのへんの美少女で、力が強いわけでもないが、どんな巨漢がターゲットでも天才的な早業で任務を遂行するのだ。


 これまで何度も彼女に仕事を回してきたし、「ミフネに回せ」とオーダーする客だって少なくなかった。僕にとって彼女は、収入に不可欠な相棒なのだ。昔から衝動的な奴ではあったけれど、だからって急に辞められては困る。


「勘弁してくれよ、どうして急にそんなこと? 君にいなくなられたらどうしたらいいか」

「何それ、あなたってそんなにあたしラブだった?」

「ラ……ラブだよ。生活に必要なんだ。今さら節約自炊生活しろって言われても、うちには菜箸の一膳もない」

「つまんないラブだなぁ」


 ミフネはその場にしゃがみ込み、手袋越しに死体と指を繋いでみせる。それから「ん〜」と天井を仰ぐと、どういうわけかニヤリと笑った。猫に似た目を細くして、面食らう僕をじっと見る。


「じゃあさ、当ててみてよ。あたしのクイズに正解できたら、もう一回だけ仕事してあげる」

「……もう一回だけ?」

「だけ〜。さて第一問、あたしが殺し屋やめたい理由はなんでしょう?」


 僕は腕を組んだ。一回だけではしょっぱいが、なにせミフネは勢いだけで行動する奴だ。少しでも時間稼ぎができれば、考え直してくれるかもしれない。


 ニュース番組はCMに入り、イケメン俳優が転職サイトの求人数を叫んでいる。その声を掻き消すようにして、僕は答えた。


「良心の呵責かしゃく、とか?」

「あなた、本気で考える気ある?」

「あ、あるよ」


 だが確かに、こいつが良心を痛めているとは思えない。前に二人で飯を食ったとき、突然儚げな目つきをするので不安になって「どうした?」と訊いたら、ミフネはやけに芝居がかってこう言ったのだ。


「あたし……やっぱり才能がありすぎる。あたしって、まるで深紅の薔薇のようだわ。生まれながらにして鮮血の赤に染まっている……」


 それを聞いたときの虚脱感を、僕は今でも忘れられない。悲しみをたたえた横顔に、多少は胸も高鳴っていたのに……って、いやいや。


「分かった、今までの中二病が恥ずかしくなってきたんだろ」


 蘇りそうになる高鳴りを抑えて、僕は二つ目の回答を出した。しかし当たり前だが、ミフネは不機嫌に「ハズレ!」と返す。


「あたしが中二病だったことなんてあった?」

「自覚がないのかよ」

「自覚する事実がないんだもん」

「じゃあ何だよ、警察にでもマークされたの?」

「そんなヘマしない」

「なら、技術に自信がなくなってきた?」

「まさか!」


 ミフネはますますご機嫌ななめだ。立ち上がり、デニムスカートから伸びる足を開いて仁王立ちになると、やれやれと言わんばかりにため息をついた。


「じゃあヒントあげる、ヒント。あなたがこれ以上あたしをバカにできないようにね」

「ヒント?」


 正解させたいかさせたくないのか、どっちなんだ。そう思う僕の胸にビシリと指を突きつけて、ミフネはやはりビシリと言った。


「キーワードは、『カワイイ』!」


 カワイイ、と僕は繰り返す。殺し屋としての進退と、「カワイイ」というキーワード。ふたつがどうしても結びつかず、ポカンと口を開けてしまう。そんな間抜け面に不敵な笑みを返しながら、ミフネはリビングのドアへ離れた。僕はそれがやけに悔しくなって、腕を組む。


 ……待てよ。殺し屋とカワイイが結びつかないことこそが、最大のヒントなんじゃないか? 殺し屋とカワイイは遠く離れている。殺し屋は可愛くないからだ。となるとミフネは、可愛くないのが嫌なんだろうか? でもそんなこと、今まで一度も言っていなかったのに。


 ミフネを見る。ツヤのある黒髪、自信に満ちた猫のような目。細い指。スカートから覗く、長く滑らかな白い足。ミフネだって、自分の可愛さはよく分かっているはずじゃないか。たとえ殺し屋でも、ミフネ自身の可愛さが損なわれるわけじゃない。


 もしかして、他の誰かに可愛くないと言われたのか? それを気にして、殺し屋をやめたいなんて言ってる? だとしたら、彼女にそこまで思わせる相手は。


「……男か?」


 ミフネがチラリと僕を見る。それからわずかに口角を上げて、答えた。


「そうとも言えるかも」


 その言葉に、どういうわけか血が冷える。殺しの仕事を目の前にするより強い恐怖が、僕の背中に汗をかかせた。速くなる心音に急かされて、早口が喉から滑り出る。


「う、嘘だろ、待ってくれよ。なんでいきなりそんなことになるんだ、っていうか誰だ? 詐欺師のマチヤ? 半グレのカネダか? いや違うか、昔のカタギの友達とか……お、お前高校出てるんだっけ?」


 家主の死んだリビングに、僕の焦りが充満していく。焦る自分にも焦っているのに、どうしても口を止められなかった。どこかからガタンと物音がして、しかしそれにも気を向けられない。そうして問いを投げ続ける僕に、ミフネは突然、プッと軽い笑いを漏らした。


「ざんね〜ん、時間切れです!」


 さっきまでの不機嫌はどこへやら、彼女はカラカラと明るく笑う。「時間切れ?」と途方に暮れて繰り返す僕を、薄い唇がまた笑った。


「正解は、『いとこが生まれたから』でした! 分かる? いとこ。これがもうタマのようにカワイイ男の子でさ!」

「は……はあ!?」


 いとこだと? それだけのことで僕をあんなに翻弄したのか? 緊張の糸がぷつりと切れて、僕はその場に立ち尽くす。そんな僕の気を知ってか知らずか、ミフネはその場でターンを決めている。


「写真で見ただけなんだけど、うすピンク色でお肌もモチモチで、まさに天使ちゃんって感じなの! まさかここまで年の離れた、カワイイいとこが生まれるなんて……これって奇跡だよ、絶対たくさん抱っこしたい! あの子の人生を見守りたい! だからあたしは、この血濡れた両手を洗いたいのよ、フフフ」

「ふ、ふ、ふざけるな!」


 切れた緊張が怒りに変わって、僕の身体を動かした。ミフネに駆け寄り、死体を挟んで向かい合う。自慢げに顎を上げる殺し屋に思いきり、やり場を失った感情をぶつける。


「なんだよそれ、そんなことのために殺し屋やめる必要ないだろ!」

「これは『そんなこと』なんかじゃないもん。あたしが導かれた運命だもん」

「何が運命だよ、やっぱり君は中二病だ! クソッ、返してくれよ! 僕の動揺とプライドを返してくれ!」

「うるさいな、それって自分で捨てたんでしょ? いいじゃん殺し屋やめるくらい」

「よくない! だいたい君が子供とまともに向き合えるわけないだろ、絶対ウッカリ怪我させて出禁だ」

「ハァ!? そんなことするわけないから! あたしがどんだけ子供に優しいか知らないの?」

「フン、知ってるよ。ナイフで胸を刺しちゃうくらいだろ」

「ブッブ〜、ハズレ〜。毛布のように優しく抱きしめるくらい、が正解でした〜」

「なわけあるかよ!」


 血を流し続ける死体の上で、僕らはギャーギャー怒鳴り散らす。僕は失われたプライドのために、ミフネは信じる運命のために。これは退けない戦いなのだ。「なんだと〜!?」「このヤロ〜ッ」そうして互いに掴みあい、相手を鮮血の水たまりへ引き倒そうとした瞬間、ミフネが背にしたドアの奥から小さな影が、飛び出してきた。


「お母さん!」


 子供だ。人がいないのをよく確認したつもりだったが、見逃していたのか。依頼人から渡された写真そのままのそいつは、涙目で叫びながらミフネの背中にぶつかった。


「きゃっ!?」ミフネは悲鳴を上げ、僕の胸ぐらから右手を離す。僕があっと声を出す間もなく、殺し屋の手は、銀色の光を振り抜いた。


 子供の胸に、ナイフが突き刺さる。


 どさり。母親よりも軽い音を立てて、子供もリビングの床に伏した。流れ出す血を慌てて避けて、僕とミフネは二歩ずつ下がる。凄惨な光景に僕はなぜだかひどく安心して、ため息と同時に声を出した。


「……正解した」

「え?」

「正解しただろ。胸にナイフを刺しちゃうくらい、君は子供に優しかった」

「それは……」


 ミフネはバツが悪そうな顔で、折り重なったなきがらを見下ろす。


「正解だったね。ピンポンピンポン」

「じゃ、もう一回だな」

「え、何が」

「僕がクイズに正解したら、もう一回仕事するって約束だ」

「えぇっ!?」


 驚くミフネの声を無視して、僕はリビングのドアをくぐる。仕事現場への長居は無用だ。この稼業をずっと続けていくなら、危機管理には手を抜いちゃいけない。


「ほら行くぞ、そろそろ掃除屋も来る時間だし」

「ちょっとやめてよ、さっきのはクイズじゃないってば!」


 そう言いながらも、ミフネは僕を追ってくる。死体をぴょいと飛び越える彼女に、僕は白々しく微笑んでみせた。


「悪いけど、僕にとっては君が運命の天使ちゃんなんだ」

「……今度、菜箸をプレゼントするね」

 

 テレビでは、また退屈なニュースが読み上げられている。その声とふたつの死体を置き去りに、僕らは最後じゃない仕事場を出た。

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