第10話 宵月の烏


「エリシ——」


「しっ――」


 俺が声を上げるよりも先に、エリシアは俺の口に手を当てた。


「声を上げないで。……大丈夫、


 俺の口をふさいだままエリシアはそう言うと、そのまま部屋に入り後ろ手で静かにドアを閉めた。

 そのまましばらくドアに耳を当てて部屋の外の様子を伺っていたが、周囲から物音が聞こえて来ないのを確認すると、ふうと一息ついた。


「ごめんごめん、もう大丈夫。喋ってもいいよ」


 そう言ってぱっと俺の口から手を離したエリシアは、を床に降ろした。


 エリシアが降ろしたそれは、人間の死体だった。

 灰色のローブを着てフードを目深に被ったその人物は、首元から血を流して事切れていた。

 ローブの隙間から、赤黒い液体がぽたぽたと床に垂れている。


「お前…………」


 死体を指さしてエリシアに顔を向けると、エリシアが片手をぶんぶんと横に振った。


「いや、私が殺した訳じゃないからね!?路地裏で襲ってきたから、返り討ちにして事情を聴き出そうとしたら自分で首を切ったの!!本当だから!」


 俺が口を開く前に、エリシアは慌てて否定し始めた。


 いや、別に殺したとは言ってないんだけど……

 というか、エリシアの性格的に例え襲ってきた相手だとしても殺しはしないように思う。

 たぶんこの男は本当に自害したのだろう。


「……で、なんでエリシアが狙われるようなことに?」


 エリシアに尋ねると、エリシアは少し考えこんだあと口を開いた。


「分かった。ただでさえ短期間でランク上げなきゃいけないっていうプレッシャーの中、これ以上アマヤに負担を掛けたくなかったんだけど……こうなった以上、貴方ももう無関係ではいられないから、伝えておく」


 エリシアはそう言うと、倒れている男の首元を捲って俺に見せた。


「見て、この紋章」


 男の首元にはのような刺青が入っていた。


「この紋章は、この大陸最大規模の犯罪組織、《宵月の烏アル・ヴェーダ》の構成員であることを示す証。つまり、私を襲ってきたのはこの宵月の烏っていう組織ね」


「なんで、その犯罪組織とやらがお前を狙って――」


 言いかけてなんとなく察した。

 エリシアの所もまあ……大概碌でもない組織だしな。碌でもない組織どうしの抗争ってところか。


 嫌だ嫌だ。悪の組織同士の諍いに、善良な一般人を巻き込まないで欲しい。


「……いや、なにその迷惑そうな視線。言っておくけど、この火種は貴方なんだからね」


 エリシアから、意外な言葉が飛び出して来た。


「……俺?なんで俺がその宵月の烏とお前達の組織の火種になるんだよ」


「それは……」


 素直に尋ねると、エリシアは少し考えたあとに話し始めた。


「……この世界には、私達の組織と同じように別の世界から来た貴方たち《来訪者》の存在に気付いている組織がある」


「…………………」


「《来訪者》を保護する方針の私達とは対照的に、積極的に《来訪者》の力を利用……いや、悪用しようとしている組織もある。その中で最も大きいのが、《宵月の烏アル・ヴェーダ》。いや、宵月の烏は来訪者を取り込んで大きくなってきたと言っても過言じゃない」


 保護、ね……

 果たして組織の施設で飼い殺しになることと、その宵月の烏とやらに利用されるのとどっちがマシかな。


 ……どっちせよ、俺たち《来訪者》には選択の余地さえ無いのが腹が立ってくるな。


 フラメアに対する苛立ちが沸々と湧き上がってきたが、一旦抑える。

 今はそのことはいい。


 それよりも――


「……つまり、《来訪者》である俺が狙われてるってことか?」


 率直に尋ねると、エリシアは微妙な顔をした。


「いや、どうかな……アマヤが来訪者だっていう確証があるなら、わざわざ私を狙うより直接アマヤを攫った方がずっと楽だと思うし」


「なんで?」


「私の方が強いから」


「あそ……」


「アマヤが来訪者だと気づかれたっていうよりは、私の方が組織の構成員だと割れていて、私が都市に新しい冒険者を連れて来たから、探りを入れに来たのかもしれない」


 エリシアが襲撃を受けた今日は、俺たちがこの都市に来てからまだ6日目だ。

 タイミング的にもその線が濃そうだ。


「私たちは魔物の襲撃とかで故郷を失った難民の保護もやっているから、私が貴方を都市に連れて来たからってだけでは来訪者だという確証までは持てないと思う。アマヤは組織に保護された難民として振舞って」 


「なんだそりゃ。難民?」


「もしくは、故郷を失った少数部族とか……まあなんでもいいけど」


 そこまで言うと、エリシアは真剣な表情になって俺に言った。


「宵月の烏は、既にこの都市にかなり深くもぐりこんでいる。どこに構成員がいるか分からないし、たぶん、冒険者の中にも潜り込んでいると思う。いったいいつ、どこから接触してくるは分からない」


 そこまで言うと、エリシアは胸に手を当ててそう言った。


宵月の烏アル・ヴェーダの構成員は私達が探し出す。アマヤ、貴方は自分のランクを上げることだけに集中して」


「私は数日、姿をくらます。特に既に組織の構成員だと向こうに割られている私がこれ以上貴方と接触していると、ますます貴方が来訪者だという疑いが強くなる。この都市に来てから数日、私と行動を共にしていたアマヤには接触があるかもしれない。逆にもし無かったら……既に接触しているか」


 エリシアはそう言うと、ぱんぱんと服をはたいて部屋を去って行った。


 エリシアが去った後、ユスティニアの森にもいた全身を白衣に包んだ調査員が俺の部屋に来て、宵月の烏の男の死体とその一切の痕跡を消していった。


◇◇◇


 エリシアへの襲撃から一晩明けて、俺は酒場にいた。


(面倒くせ~~……)


 ニレナが数日都市を空けるから、その間一緒に依頼に行く冒険者を見繕わなきゃいけないのに、頼みのエリシアは昨晩の襲撃のゴタゴタで暫く姿をくらます。しかも《宵月の烏》がどこから接触してくるか分からないと来た。


 ただでさえ自分のことで精一杯なのに、更に周りの冒険者まで疑わなきゃいけないとか……


 それに……被害妄想だろうか?確かにここ数日、都市ステイリナのどこに行っても常に視線を感じるような気がする。

 そこまで考えて、エリシアの言葉が浮かんだ。


『いったいいつ、どこから接触してくるは分からない』


「……………………」


「やあ、やけに考えてこんでいたね」


 声をかけられてふと顔を上げると、やけに綺麗な顔の女が


「うぉっ!?」


 驚いて思わず椅子から立ち上がった。その拍子に椅子が後ろに倒れて大きな音を立てた。

 酒場中の注目が俺たちに集まった。


(いつから座っていた……?ていうかなんでわざわざ対面なんかに……?) 


「……ああ、ごめん。驚かせちゃったかな?随分考え込んでいたから、なかなか声を掛けづらくてね」


 対面の女は、驚いて立ち上がった俺を見て楽しそうにくすくすと笑った。

 努めて平静を取り戻しながらも、対面の女を観察する。


 歳は俺より少し上だろうか。

 肩の辺りで切りそろえた金髪に、青い瞳。

 元の世界ならそれこそモデルでもしていそうな整った顔立ちの女だ。


 だが、その胴には歴戦を思わせる傷のあるチェストプレートに肘当て。つまりは……彼女も冒険者ということだ。


「おい、ステラが新人(ルーキー)に絡みに行ったぞ」


「へっ、いい気味だ。ニレナの腰巾着くせに調子に乗ってやがるから、鼻っ柱をへし追ってやればいいんだ」


 立ったまま思わず考え込んでいると、周囲から陰口が聞こえてきた。

 マジか、もう嫌われるの俺?なんで?

 どこに行っても、こんなんばっかだな。


 ステラと呼ばれた対面の席の女は、周囲の視線にも変わらず座ったままニコリ笑ったまま、こちらに視線を向けている。


(誰だこいつ……?)


 いや、待て……今、俺の陰口を叩いた冒険者が、この女をステラって呼んでいたな。

 "ステラ"……聞き覚えがあるぞ。しかもかなり最近だ。


 ……そうだ、エリシアから貰った冒険者のリストだ。

 急いで記憶をたどる。


 ステラ=グレイスタッド

 Cランク冒険者。

 この街でFランク冒険者として登録。そこから2年半という月日でCランクにまで上り詰める。

 18歳でC級に到達というのは当時の最年少であり、剣術と魔法の両方を使いこなす、"本当の天才"。


 ぱっと思い出せるのはこれくらいの情報だ。

 そもそも、冒険者リストに載っていた冒険者だって全員を憶えている訳じゃない。

 ステラのことを憶えていたのは、最年少でCランクに上がったというのが印象深くてたまたま覚えていただけだ。


 Cランク冒険者と言えば、熟練の冒険者であり、ギルドの主力だ。

 Bランクより上になると依頼を受けるよりもその名声で余所で雇われる方が遥かに稼げるので、真面目に依頼を受けなくなるそうだ。


 その点Cランクの冒険者はまだまだランクを上げようとするので高ランクの依頼も積極的に受けるのだそう。 

 だからこの酒場にいる冒険者達だって、たいていはCランクまでだ。

 Bランク以上になるとギルドから直接依頼が来るのでわざわざ酒場にたむろする必要がない。


 そしてそのCランクの冒険者の中で頭一つ抜けているのが、ステラ=グレイスタッドだ。

 その大物冒険者が、なんだって新人冒険者にちょっかいをかける?


「どうしたんだい?そんなに慌てて。私のことは気にせず食べ続けなよ」


 ステラ=グレイスタッドは、ほほ笑みながら俺が座っていた椅子を小さく指さした。


("座れ"ってことか……)


 警戒して座り直す——が、いつでもまた立ち上がれるように椅子には浅く座る。


 その様子を見て、ステラがクスリと笑った。


「ふふ、そんなに緊張しちゃって。それとも――何か、やましいことでもあるのかな?」


 ステラはこちらを品定めするように、目を細めて笑みを浮かべた。

 

「ステラ=グレイスタッド。C級冒険者だな。……何か用か?」


 俺がステラの名前を挙げると、それが意外だったのかステラは驚いた顔をした。


「おや、噂の新人(ルーキー)が私をご存じとは光栄だね」


「噂の……?」


 さっきの陰口もそうだったが、どうして俺なんかを気にかける?

 Cランクの冒険者に取ってみれば、Eランクの新人なんて小石も同然じゃないのか?

 

「気づいてないだろうけど、ここ数日の酒場は君の噂話で持ち切りだよ。皆君が気になって仕方がないんだ。多少のやっかみは……まあ、有名税みたいなものさ。誰だって通る道だよ」


 笑いながらそう言うと、ステラは言葉を続けた。


「『ふらりとこの街に現れて、ニレナを手なずけては怒涛の勢いでランクを上げ始めてるルーキーがいる』ってね」


 ……しまった、目立ち過ぎた。

 ランクを上げるのに集中していて、短期間で依頼を受け過ぎた。


 だけど、なるほど。合点がいった。

 やけに目立つ新人がいるから、俺にどんなタネがあるのか探りに来たのか。


 もしくは――


 ステラこいつが、《宵月の烏アル・ヴェーダ》の構成員か。


 この都市に来た初日にエリシアと行動を共にしていた俺に、宵月の烏が接触してくる可能性は高いらしい。冒険者として短期間の間に名を上げていくならなおさらだ。


 しかもエリシアの襲撃があった翌日に接触してくるあたり、状況的には一番怪しい。


 エリシアの予測が正しいなら《宵月の烏アル・ヴェーダ》の構成員は、このステラか――ニレナのどちらか。


「…………」


「そんなに緊張しないでよ、私は君と仲良くなりたいだけなんだ」


 こちらの警戒を読み取ったらしい、ステラはそう言うと身を乗り出して顔を近づけて来た。


「仲良く、ね……」


 Cランク冒険者のエース。

 そんな奴が語る『仲良くなりたい』なんて言葉を素直に信じる馬鹿はどこにもいやしない。


「例えば——親睦を兼ねて一緒に依頼デートに行くのなんてどうかな?」


 俺の怪訝な視線を欠片も気にすることも無く、ステラ=グレイスタッドはニコリと笑ってそう言った。

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