第16話 ケントゥリオ①


◇◇

ユスティニアの森 最深部付近

エリシア=ユーヴネル



 時空転移の反応があったのはユスティニアの森の最深奥からわずかに北に離れた辺りだ。

 上級の冒険者ですら一度入り込めば簡単には戻ってこれない深部へと進みながら、この世界へやって来た《来訪者》達のことを考えていた。


「はあ、難しい……フレメア様~この仕事は私には荷が重すぎますよ~~……」


 いきなり訳の分からない世界に連れて来られて、頼りになるのは誰かか与えられた超常的な力。

 そういう状況になってしまったのならば、その"力”を振るってしまうのも自然な流れなんじゃないだろうか?

 そういう意味では、彼らもまた時空の魔女ロザリアの"被害者"だと言えるんじゃないだろうか?


 元々人と接するのが得意なタイプじゃないというのに、ましてや初めて会う人が善良かどうかなんてどうして判るだろう?


「分かりやすい悪党であっとくれるといいな……そしたら一番簡単なんだけどな」


 そっちの方がシンプルで都合が良い。

 分かりやすい悪党なら殺すだけだからだ。


 彼らがその力を、その牙を、この世界のか弱い民に向けるのならば、それは私たちの敵だ。


 そういうケースは幾度ととなく過去にもあった。

 国を奪おうとした来訪者、気分だけで数千人を虐殺した来訪者――


――


 だから、無害な善人であるか、害悪な悪人であるかのどちらかであるのが望ましい。


 深部に近づくにつれて、引き倒された木々や、大きく抉れた地面が目立つようになってきた。


 それらは全て、ここで壮絶な破壊があったことを示している。


 間違いなく鹿の頭に巨人の躯――《ケントゥリオ》が通った跡だ。


「やっぱり……最深部から目覚めて来ている……」


 余計な思考を打ち切り気を引き締める。


 気を引き締めて戦わなくてはなくてはならない相手だ。

 対するのはこの森にいるのはいくら特能を授かっているとはいえ、元々は碌な戦闘経験すらない一般人だ。特能ギフトの力を使う暇もなく蹂躙されていることだろう。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 地鳴りを伴って、遠くから咆哮が聞こえてきた。


「この咆哮……遠くから聞こえてきているのにこの大きさ……」


 嫌な予感がする。


 森の奥へと進んでいた足がいつの間にか早足になっていたことに気づく。


 さっきまでいっそ死んでくれていれば楽なのにとさえ思っていた来訪者たち。今では無事でいてほしいのかそうでないのか、良くわからない。


「……違う。会うよりも先に死なれていたら善か悪かも分からないからだ……」


 自分に言い聞かせるように独り言を呟いて咆哮のする方へ駆けて行った。




◇◇


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 鹿頭の巨人がけたたましい雄叫びを上げた。

 あまりの爆音に思わず耳を塞いだ。


「うっ……!なんて声量だよ、耳が裂ける……!」


 森の中を逃げていた時に何度も聞こえて来たのはこれか。

 耳を塞いでも耳鳴りが鳴って平衡感覚を失いそうになる。


 そしてその僅かな隙を、この獣は決して見逃さない。

 振りかざした拳をこちらに向かって振り下ろして来た。


 それを間一髪のところで避ける。


「あっぶねえ……」


 ついほんの数瞬まで俺がいた場所は地面が大きく抉れ、その拳の破壊力をこれ以上なく物語っていた。


 拳を避けるとそのまま真紅の大鎌で振り下ろされた腕を切りつける。が、大鎌の刃は鋼鉄の体毛によって逆に弾かれてしまった。


(ぐっ……硬い!!体毛が硬すぎてまともに刃が通らない!やっぱりまともに戦って勝てる相手じゃない!)


 蜘蛛も黒狼も一撃で切り裂く大鎌ですら、コイツの体毛の硬さの前には刃が通らない。


「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 刃を弾かれて体制を崩したところすかさず鹿頭が突撃してくる。


「ヤバい……【影槍】!!」


 そう唱えると地面から伸びる鹿頭の巨人の影はゆらゆらと動き出し、束になって槍状になってその巨体を貫いた。


「グォォォォォッ……!」


 鹿頭の巨人が怯んで動きが止まる。


(……やっぱりな。どれだけ体毛が硬くても影槍だけはコイツに効果がある)


 鹿頭を貫いたのは実際には質量を持たない只の影だ。

 実際には何も貫いていないし、「貫かれた」と影に触れた者が錯覚しているだけだ。

 だが、質量を持たないからこそこの影はたとえ鋼鉄の体毛をも貫くことができる。


 影槍に貫かれた鹿頭の巨人は直ぐに外傷がない事に気づいて再び動き出すだろうが、それでも一瞬の時間稼ぎには十分だ。


 明らかに、蜘蛛や犬とは生物としてのレベルが二三段違う。

 ゲームで例えるならまだ一面なのにいきなり中ボス大ボスが出てきたような気分だ。


 もはやこの攻防を何度繰り返しているか分からない。

 俺が影槍を使えなくなるのかが先か、それともこいつの無尽蔵にも思える体力が尽きるのが先か。

 まるで勝ち目の無いギャンブルをしているような気分だった。


(ヤバいな……少しは勝ち目があるかもと思っていたけどこのままだと本当に……)


 そんなことを考えてながら鹿頭の巨人の拳を避けたせいで、着地に失敗した。


(マズい……!姿勢を崩した……!次の拳を避けきれない!)


 体勢を崩した俺に対して、容赦無く"死の拳"が迫った。

 この身体と言えど、もちろん正面から喰らったらひとたまりもない。


「くっ―――――」


 地面に倒れかけながら、右手だけで大鎌をぶん回してけん制する。

 力もこもっていない破れかぶれの攻撃だ。この巨人の前には何の脅威にもならないだろう。


 しかし――


「グオッ……!」


 鹿頭の巨人はなぜか怯んで後ずさった。


 その様子を見ながら起き上がりつつ考える。


「……なんで今、攻撃してこなかったんだ?」


 こっちは体勢を崩していて絶好の追撃のチャンスだったはずだ。

 事実、さっき正面からあの拳を食らっていたらひとたまりも無かっただろう。


 なのになぜ今、攻撃するどころか俺の破れかぶれの攻撃に怯んだのか。


「……もしかして、?」


 まるで右腕だけは攻撃されたくないかのような挙動だ。

 こいつには鉄壁の守りを持つ毛皮があるのだから、振り回された大鎌なんて気にせずに俺を攻撃してしまえば良かったんだ。


 それなのに頑なに攻撃されることを嫌がるということは――


 先ほど鹿頭の巨人がかばったと思わしき箇所をじっくりと見る。


?」


 鹿頭の巨人の右腕の前腕部は――毛皮が黒く焼き焦げていた。


「そうか……日野がこいつから逃げながら火炎魔法の特能ギフトを放っていたんだ……だからあの箇所だけ黒く……」


 毛そのものが黒くて気が付かなかったが、他にもいくつか焼き焦げている箇所がある。

 日野の特能ギフトの攻撃を受けていた箇所だろう。


「毛皮が焼き焦げた個所をかばったってことはつまり、日野の特能ギフトは効いていたんだ……」


 そこまで考えると、思わず笑いが込み上げてきた。


「……は、はは!あいつ!!」


 日野は白鳥を守って逃げながらも、この化け物にしっかり痛手を負わせていたのだ。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」


 再び迫りくる死の拳を避けると、すかさず右腕の毛皮が黒く焼き焦げた個所を大鎌で切り裂く。


――真紅の大鎌は焦げて脆くなった外皮を切り裂き、鹿頭の肉を抉り取った。


「刃が、通る……!!」


 勝ち目の無いギャンブルに、一筋の光が差し込んだ。





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