第4話 魔晶石

 地面に倒れたクマはピクリとも動かなかった。死んでいるのだ。

 追われているときも大きいとは思ったけど、落ち着いて見ると、このクマは異様な大きさだった。

 ちょっとしたトラックくらいあるんじゃないだろうか。遠近感がおかしくなりそう。

 クマの体には無数の傷があった。体中、いたるところから血が滲んで毛皮を赤黒く濡らしている。見るからに痛々しい。もっとも、死んでしまったから痛みは感じないだろうけど。

 

「これ、クリスさんがやったんですか?」


 クリスが手にしていた剣は、いまは鞘に収めて背中にくくりつけられている。


「首の傷以外は違うわよ。もともとかなり弱ってたみたいね」


 巨大なクマを仕留めたことを自慢したり興奮したりする様子もなく、クリスは淡々と事実を口にする。

 すごく慣れている感じがした。普段からこんなことをやっているんだろうか。

 逃げ回ることしかできなかった私とは、生き物としての強さがまるで違う。見た目はこんなに小さくてかわいいのに。


「すごく強いんですね。クリスさんって」

「ま、まあ……それほどでもないけど? これでもわたし三ツ星だから。このくらいは楽勝ね」


 やっぱり少し自慢げかも。

 クリスはしゃべりながら、ナイフを手にして大きなクマのしっぽを切り落とした。

 

「何してるんですか?」

「何って討伐証明の部位を切り取ってるんだけど……あー、つまりヒトクイグマを倒した証拠を持ってくのよ。魔晶石だけじゃ討伐証明にはならなくてギルドからの報酬が減額されるから、魔物を倒したときは面倒だけどこういうものが必要なのよね」


 両手で抱えるほどの大きさに見えたクマのしっぽが、小さな袋にすっぽりと収まった。かさのほとんどは毛で膨らんでみえただけだったらしい。

 クリスの口からは聞き覚えのない単語が次々に出てくる。ギルド? ましょうせき?


「ましょうせき、というのは……?」

「そんなことも覚えてないの?」


 クリスが呆れたように目を丸くする。覚えていない、と言ったのは私が記憶喪失らしいという話をしたからだ。

 私の感覚では初耳なんだけど。


「ほら、あそこにあるでしょ」


 クリスの指を目で追っていくと、クマの体の上にぽやぽやとした光が浮いているのが見えた。

 目の錯覚かと思って角度を変えて見てみてもやっぱり浮かんでいる。しかもそれだけじゃない。青白い人魂みたいなものがクマの体からいくつも抜け出して、ひときわ大きい光の玉に吸収されていく。

 やがて人魂がすべて玉の中に収まると、クリスがクマの上に飛び上がってそれを手にとった。

 

「悪くないわ。これだけの大きさは久しぶり」


 降りてきたクリスの手には、大ぶりなリンゴほどの石が握られていた。形はまんまるで、青白く濁ったガラス玉のようにも見える。

 

「これが魔晶石。まあ、ここまで大きいものはなかなか目にする機会もないでしょうね」

 

 クリスの手の中にある魔晶石は、ぼんやりと青白く発光していた。

 こういうふうに光る石を、つい最近どこかで見たことがあるような気がする。

 なんだっけ……。ああ、そうだ。遺跡にあった大きな石がちょうどこんな色だった。いま思うとあれも魔晶石だったんだろうか?

 でも、あれはもっとずっと大きくて、私の背丈くらいあったんだよね。リンゴのサイズで大きいと言うならスケールが違う。

 

「これ、宝石なんですか?」

「そんなんじゃないわよ。純粋な魔力の塊。この大きさだったら……そうね、小さな城ひとつ吹っ飛ばせるくらいの力はあるわね」

「魔力……? って、そんなの手に持ってて危なくないんですか!?」

「平気よ。吹っ飛ばすっていうのは、まあちょっとした例え話よ。いまはただの石と同じ。落としても割れるだけで爆発なんてしないわ。まあ、こういうものは魔法使いか錬金術師が触媒にして使うでしょうね。大きい結晶は貴重だから」


 そう言いながらクリスは魔晶石をポーチの中にしまい込んだ。

 

「……それで、あんたどうするのよ。これから」


 私のことをちらちらと見ながらクリスが言った。

 

「どう、って何がですか?」

「わからないんでしょ。自分の家とか、帰るところも」

「ああ、そういえばそうでした。どうすればいいんでしょうか……。困りました」

「……行く宛がないなら、一緒に来る?」

「え?」

「いや、だから……わたしはアルメイリアに帰るから、あんたもついてくればいいんじゃない? 宿だって同じところに泊まればいいし……あっ、もちろん部屋は別に取るわよ!? それに、お金のことなら心配要らないわ。あのヒトクイグマはあんたを狙ってたから、囮になってもらったみたいなものでしょ。つまり共闘したってことで今回の報酬は山分けにすべきだし、そうしないと不公平だわ。そうよ、換金したらあんたに渡さなくちゃいけないじゃない。だから一緒に来てもらわないとわたしが困るのよね。わかった?」


 一息に言い切ったクリスが催促するような目で私を見上げる。

 つまり街まで連れて行ってくれるってこと?

 しかも泊まるところの面倒まで見てくれるらしい。報酬のことはさておき、断る理由のないくらいありがたい話だった。


「ねえ、ちょっと、聞いてるの?」

「あ、はい。ぜひご一緒させてください。というか、私からお願いしたいくらいの話なんですけど」

「そう。決まりね。じゃあ片付けたら出発するわよ。まあ、アルメイリアまではそんなに遠くないからゆっくり歩いても暗くなる前には着くはずよ」


 クリスはなんとなく嬉しそうに微笑んだ。

 命を助けてくれただけじゃなく、こんなに親切にしてくれるなんて。いい人すぎる。

 

「あの、クリスさん」

「なに?」


 焚き火のほうへと向かうクリスを呼び止めて手をにぎった。


「ありがとうございます。見ず知らずの私に親切にしていただいて」

「べ、べつに。だって、こんなところに放っておくわけにもいかないでしょ」

「優しいんですね。それにとっても強くって」


 大きく開いたクリスの目を見て気がついた。

 瞳の色が、澄んだ青色をしている。近くで見ると透き通った水のようですごくきれいだ。


「は、ちょ………………近いっ」

「え? あ、すみません。クリスさんの目の色、すごく綺麗ですね。見惚れてしまいました」

「なっ、なに言ってるのよ」


 手を離すとクリスが飛び退くように後ろに下がった。白磁のようだった頬が赤く色づいていた。

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