電子ザリガニ釣り

元とろろ

電子ザリガニ釣り

 電子ペットの寿命はバッテリーの寿命だ。

 ネイバーダイン社は全ての商品の日常的なメンテナンスにおいて部品交換のようなを拒否していたし、超長寿命バッテリーの開発に成功したサードパーティーに対しては電池が切れるより短い期間の活動しか許さなかった。

 家族の一員として提供する商品をは扱わないという姿勢を徹底し、電子ペットは確かに新しいだけで生命ではあるという印象を社会に定着させていた。


 そういった企業努力が一方的な押し付けとは言い難く、事実ペットを飼う顧客の方でもその上に電子とつくかどうかをはっきりさせようとしない傾向があった。

 それは自身や家族の名誉を守るためでもあるが、ペットに愛着を持つための努力とも言えるだろう。

 しかしそのような努力を重ねてなお共に生活する人工生物に愛着を持てない人間というのもなくならないのだった。


 その遊水公園の入り口には「池に生き物を放さないでください」と書かれた看板が掲示されている。

 本当に生身の生き物であれば手放したがる人間はまずいないのだが。

 ドクショウは薄緑に濁った泥臭い水面を眺めた。

 この池に一体の電子ザリガニが捨てられたのだという。

 違法である。


 電子ザリガニは電子ペットの中でも問題が多く既に生産中止となっている。

 最も深刻な欠陥が関節の脆弱性だ。

 胴体部に内蔵されたバッテリーは脚の付け根と近い位置にあり、脚がもげた結果バッテリーが露出、損傷し、漏れ出したバッテリー液に持ち主が触れるという事故が複数発生した。

 バッテリー液は人間を含む大多数の自然物にとって有害である。

 ネイバーダイン社はこれについて注意喚起を行ったが公式に失敗であるとは認めなかった。

 ザリガニの脚がもげやすいのも、生物の体液が不用意に触れていいものではないということもごく自然なことだと主張した。生産中止の理由も単純に他の製品と比べて売れ行きが芳しくないからだということになっている。

 ともかく、ネイバーダイン社が責任を取らないのだから、電子ザリガニの善良な飼い主たちは最後まで自分で面倒を見るしかなくなったのだ。


 ドクショウの仕事は善良でない飼い主たちが放棄した電子ザリガニの回収である。


 ドクショウは注意深く池周辺の観察を続けた。

 魚の死体が浮かんだり茂る草が変色したりはしていない。

 電子ザリガニの毒液はまだ漏れ出していないのだろう。

 通常の手順での捕獲がまだ間に合うはずだ。

 ドクショウはレベルA防護服に身を包んだまま捕獲用具の準備を始めた。

 昔ながらのやり方である。

 持ち込んでいた木の枝の先に糸を結び、糸の先に10cmほどに切った乾燥イカを括りつけ、さらにその先にガン玉を取り付ける。

 電子ザリガニの居場所がわかれば目の前に釣り糸を垂らしたいのだが、広い池のどこに潜んでいるかは不明だ。

 仕方なしに適当な浅瀬で釣りを始める。

 電子ザリガニは鋭敏な知覚能力を持ち、しかも人間に対して警戒心を持たない。そういう風に造られている。

 稼働可能な状態を保っているならば自然の池には存在しない餌の匂いを感知して自分から近寄ってくるはずだ。

 移動速度も絶望的に遅いわけではない。

 なんのトラブルもなければ長くとも一時間以内には終わる仕事だ。


 ドクショウは釣りをする間にはいつも自身の仕事の意味というものを考えざるを得なかった。

 環境保護のために重要な仕事である。

 作業自体はごく簡単な、まさに誰にでもできる仕事でもある。

 ドクショウ自身の関心は捕獲した電子ザリガニの末路に合った。


 電子ザリガニの取り扱いについて、いくつかの法が定められている。

 電子ザリガニを自然に放つことは禁止されている。

 電子ザリガニの飼育を新たに始めることも禁止されている。

 電子ザリガニのも倫理的な観点から禁止されている。

 寿命を迎えた電子ザリガニの処分方法も厳格に定められている。

 捕獲した電子ザリガニは国立水族館が面倒を見ることになっていた。そこの職員というのがドクショウの身分である。


 今まで捕獲した電子ザリガニたちはきちんとした設備の元で飼育され展示されている。悪いことではない。

 電子ザリガニたちと飼育員の関係も良好である。

 それでも館内で仕事をしている最中、電子ザリガニの水槽の前で立ち止まる客の少ないことに気づく度、ドクショウは何とも言えない寂しさを感じていた。

 水族館の飼育員が館内で飼育する生物に対して抱く感情と、一つの家庭の中で飼い主がペットに抱く感情とはどれほどの差があるのだろう。

 少なくとも電子ザリガニを池に捨てる人間が水族館の同僚たちに勝る点はないはずだが。

 水族館側が望んで電子ザリガニの飼育を始めたわけでもないというのも事実ではある。

 実際に関係を持った飼育員と電子ザリガニにはもはやそういう事情も関係ないのだろうとも思う。

 電子ザリガニはよく人に懐くのだ。ドクショウはそれをよく知っている。


 程なくして電子ザリガニがハサミで餌に組みついた。

 ドクショウは慎重に糸を上げ、電子ザリガニの背中を摘まみ、移動用の水槽にそっと入れた。

 この後は法に従って水族館に持ち帰るだけだ。

 簡単な仕事である。


 ドクショウは水族館へ戻る道すがら、かつて個人的に飼育していた電子ザリガニのことを思い出していた。

 寿命を迎えたのは三年以上前のことである。

 電子ザリガニ全体の生産期間の短さを考れば、各個体の寿命には相当なぶれがあるのだと思われた。

 ドクショウはその電子ザリガニのから厄介なバッテリーを取り出し、飼育放棄された電子ザリガニの一部分のみが発見された場合に取るべき手順に従って処理をした。

 バッテリー以外の部分は今でも家に飾ってある。電子ザリガニの体が腐ることはない。

 繰り返しになるが、寿命を迎えた電子ザリガニの処分方法も法で厳格に定められている。

 機能停止した電子ザリガニを分解することは違法である。

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