甘い夢をみていた ――続・ささくれに絆創膏――
香坂 壱霧
一
「高校、受かったんだよ」
潮風が冷たすぎる防波堤に向かう道すがら、自転車の後ろで陽太くんにしがみつきながら言った。
「それって、前に言ってた女子校ですか」
「違うよ。私なんかのために私立行かせる金はないんだって。お母さんに言われちゃった。だから県立しか受けられなかった」
「そうなんだ……。早瀬先輩、頭いいから……どこですか、高校」
「
「さすがっすね……。進学校じゃん。俺が絶対受からないとこですね」
陽太くんは、「さみぃーっ」と言いながら、防波堤に向かうのをやめたのか、左に曲がった。
「寒いから、店……ドーナツ食べに行きます。合格祝いでおごりますから」
「いらないよ」
「今まで勉強教えてくれたお礼もあるんで。それならいいでしょ?」
「じゃあ、ホットチョコレートも飲みたい」
「チョコレートドリンク飲んでください。それはバレンタインのお返し、です」
「ホワイトデー過ぎてる。忘れてたんでしょ」
「覚えてましたよ」
ドーナツ屋に着いてから、それぞれ食べたいドーナツとドリンクを頼んで、空いている奥の席に座る。
話すようになった夏から、八ヶ月が経っていた。
その頃、陽太くんは
私たちが通う白水北中で陽太くんに勝てる人はいなくなったらしい。北中内では、「及川陽太の彼女は早瀬優実」と噂されているみたいだけど、誰もそれが本当かどうか、聞いてこない。陽太くんが怖いからだと思う。
ぼんやりしていると、陽太くんはオレンジジュースを飲んでいた。
私は、もくもくとドーナツを食べている。視界の隅で、陽太くんが私を見ているのがわかっても、気づかないふりをしていた。それが嬉しいことだとしても。
「……高校行き始めたら、防波堤は来れなくなる?」
「どうして?」
「東高、授業が七時間目まであるって聞いた」
「最初からそうじゃないよ」
「でも、勉強ついていけなくなるのは、まずいんじゃないかって……思います」
「それは陽太くんが心配することじゃないよ。大丈夫。頑張るから」
「早瀬先輩の……頑張るってのは無茶しそうだから嫌いです」
頑張って陽太くんのお姉さんのように振る舞っていても、ときどき素に戻ってしまう。
陽太くんの言葉が、姉のように慕う人に言うものじゃない……そう感じてしまうとき、嬉しくなって、甘えたくなる。
年下の陽太くんに甘えることができない。
「無茶しないよ。勉強ついていけないと思うくらいなら、進学校を受験しないから」
「担任に押し切られたんじゃなかった?」
急に敬語が抜けた。不機嫌な低い声の陽太くんが、私を見る。
「押し切られたっていうか……、進学校だけど、私なら大丈夫って思ってる」
「家で勉強する時間が増えるの……本当に大丈夫?」
「なんで怒ってるの?」
「最近、また、しんどそうにしてるの、気づかないふりしてたんです」
「だったら……気づかないふりを続けてくれたらいいのに」
ドーナツはあと一個ある。でも、もう食べられない。
甘い夢がさめてしまう。
言葉に少しだけ棘を感じた。でも、その棘は優しい。悪意がないから痛くない。
「俺、今よりもっと強くなるから。家のこと、俺ができること少ないだろうけど、それ以外なら先輩の近くにいなくても大丈夫なくらい強くなるから」
「強くなって、どうするの」
「ガキの浅知恵かもしれないけど、及川陽太の彼女ってことになれば、誰も手を出せないくらい、強くなるから」
私は思わず笑ってしまった。浅知恵かもしれないけど、気持ちが嬉しい。
中学生男子ができる精一杯だと思うし、陽太くんは本当にそれを叶えてしまうだろう。
「笑うなよ……真剣なんだけど」
「ばかにしたんじゃないよ」
「俺なんかができることって、それくらいなんですよ。俺みたいな不良と真面目な先輩なんて、釣り合いとれてない。勉強できないから足掻いても東高には行けない」
「釣り合いって、なに? 陽太くんが周りの意見を気にするなんて、似合わないよ」
「似合わなくていい。カッコ悪くても……」
陽太くんは、ムスッとしたままオレンジジュースを飲み干した。
「ドーナツ、食べて」
私は甘い夢をまだ見ていたいから、それを陽太くんに預けたくてそう言った。
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