第2話 話さないで。

 翌日になり、俺は学校帰りに病院へ寄る。

 相川あいかわの自殺未遂があって、学校は午前で終わり、生徒の心のケアに務めることとなった。

 俺は特に念入りに事情を話すこととなった。

 疲れた。

 ちょっと病院のコンビニでお見舞いの品を買って、病室に向かう。

 薄紫色の髪を風に揺らし、窓の外を眺める相川。

 その姿はうっとりと見惚れるほどに美しい。

 さすがだ。

 そっと歩み寄ると、その紫紺の瞳がこちらに向く。

「あっ。モブくん!」

 明るい笑顔で彩られた顔がとても可愛らしい。

「俺の名前は石田いしだしん。名前だけでも覚えて帰ってくれ」

 クスクスと笑い出す相川。

「石田くんね。でも帰るのはあなたの方よ」

「すいませんでした」

「ま、冗談だけど♪」

 浮かれたような声音を上げる相川。

 死の淵に立った者とは思えないような明るい声に戸惑いを覚える。

「石田くんには感謝しているの。わたしを救ってくれたから」

 ニヘラと笑う相川。

「そうだ! 連絡先を交換しようよ!」

「え。ああ……」

 助けた以上、最後まで面倒を見ないといけない。

 そんな気がした。

 俺は怖ず怖ずとスマホを取り出すと、相川と連絡先を交換する。

 女子の連絡先は初めてじゃないがやけに不安感が増してくる。

「ふふ。ありがとっ♪」

 差し込む陽光が埃をキラキラと輝かせている。

「晴れて良かったな」

 昨日は酷い雨だった。

「そうね。わたしが降らせたから」

「え」

「冗談かな。でも雨だと気持ちも沈むよね」

「そうかもな」

 そんな顔で冗談を言うんだ。

 相川ならクラスの人気者にもなれた可能性もある。

 冗談も言えるのだから。

「もう一度、やり直さないか?」

「……」

 俺の言葉に目を伏せる相川。

「正直、戻りたくない」

「でも加害者の主犯はネットで晒し叩かれている。そう遠くないうちに引っ越すことになるらしい」

「そんなの望んでいない」

 優しい子だ。

 でなければこんな言葉は出てこない。

 彼女は芯も強く、優しい子なんだ。

 なんて。

 なんて子を好きになってしまったのだろう。

「俺は相川さんが来るのを待っているよ」

「……そう」


 そのあとすぐに俺は帰宅した。


 翌日。

 俺は学校に着くと、いつも通りの座席に落ち着く。

 千瀬ちせがこちらの顔を覗き込んでくる。

「なんだよ。千瀬」

「べつにぃ~? あの事件以来、ヒーローあつかいされていることに気がつかないなんて、鈍感だねぇ~」

 うざったいような言い方をする千瀬。

 茶髪を腰まで伸ばし、サイドテールにしている彼女。

 同じく茶色の瞳を好奇心旺盛な様子でくりくりと動かしている。

 ねっとりとした声音でこちらを見る。

「ヒーローなキミにあたしからの プ レ ゼ ン ト」

 そう言って、俺の頭に何かをのせる。

「なんだ。これ?」

 俺は包み紙を見て、困惑する。

 千瀬らしからぬ行動でもあると思った。

「あたし、本気だから」

「?」

「本気だから!」

 そう言って立ち去る彼女の後ろ姿を見届けて、包装紙をやや丁寧に開く。

 中から現れたのはクッキー。少し形がいびつだ。

 まさか手作り?

 よく分からんが、頂こう。

 口に運ぶと、メモがチラリと落ちる。

 よく見てみると、メモには放課後体育館裏で待っている、とのこと。

 え。なんだろう?

 もしかして告白!

 突然来た春に俺は舞い上がる。

 だが、どこかで冷静な自分もいる。


 と教室のドアが遠慮がちに開かれる。

 そこから、顔を覗かせたのは相川だ。

「あ。石田くん!」

 トテトテと駆け寄ってくる相川。

 その姿は少し大人びたように感じる。

 愛くるしい瞳と、膝丈よりもちょっと上のスカートを翻し、俺の席に接岸する。

「今日は来たよ!」

 褒めて、と言いたげな顔をしている相川。

 ここで変にこじれるのも困るので、俺は彼女の求める言葉を選ぶ。

「よく来たな。偉いぞ」

「うんっ♪」

 まるで子犬のように喜ぶ。

 尻尾があれば盛大に左右に振っていただろう。

 予鈴が鳴り、俺は席に座るよう促す。

「じゃあ、また後でねっ!」

 そう言って手を振りながら席に戻る相川。

 何がそんなに嬉しいのかは分からないが、以前よりも明るくなっていた。

 それはいいことだろう。

 いじめを行ってきた連中も今は自宅謹慎。ネットでは炎上し、収集がつかなくなっている。

 先生たちが擁護したのが返ってあだとなり、抗議の電話や実際に嫌がらせが起きているらしい。

 無論、相川の情報も出回っているが、ネットでは〝天使〟と呼ばれている。それが炎上を激化させる要因の一つでもあるのだが。

 いじめをしていた連中は余すことなく、退学を言い渡されるだろう。

 そうでもしないと炎上はさらに過激化することが目に見えていた。

 授業も停滞気味になり、ほとんどが自習である。

 俺がチラリと見ると、相川は手を振って応える。

 なんだか恥ずかしい。


 放課後になり、俺は千瀬に呼び出された体育館裏に向かう。

 が――。

「どこ行くの?」

 相川がきょとんとした顔で、俺を見てくる。

「いや。ちょっと」

 俺にだってどんな理由があるのか、分からない。

 だから応えるのはこれが精一杯である。

「おんな?」

 相川が鋭い視線を向けてくる。

「え。あ、まあ……」

「話さないで」

「え」

「わたし以外の子と話さないで」

「い、いや、それはちょっと……」

 俺にはできない。

「本当は男の子とも話して欲しくないのだけど」

 相川の紫紺の瞳に怒りの熱が灯るのがよく分かる。

「いや、でも……」

 千瀬を待たせるのは良くないだろう。

 あいつのことだ。何時間も待つに決まっている。

 そんなの、俺には耐えられない。

 俺だって善意の心があるのだ。

 彼女を苦しませるわけにはいかない。

「なんのようかも分からないんだ。聞くだけ」

 俺は相川の手を振りほどき、体育館裏へと駆け出す。

 体育館裏は手が届いていないのか、植物が生え散らかしている。

 そこでしばし待つと、千瀬が顔を覗かせる。

「来て、くれたんだね……」

「ああ」

「あたし、今回の事件であんたがすごい人だって分かったよ」

「そんなことないさ」

 屋上から飛び降りる人がいる。

 そんな方が珍しいのだ。

 俺は無視してきた。

 その罪悪感が消えることはない。

 相川を本当の意味で助けることなんてできなかったのだから。

 ちらっと見ると、草葉の陰から相川が顔を見せている。

 そんなに心配することもないのに。

 と、相川は藁人形を取り出し、釘を構えている。

 え。なんで?

「あたし、今回のことで見直した。あんたに惚れちゃった」

 てへっと小さく舌を覗かせる千瀬。

「あんたにはまだ分からないかもだけど。あたしと付き合って」

 すっと頭を下げて、手を伸ばす千瀬。

「好きです」

「~~~~っ!」

 千瀬のそんな真剣な顔は見たことがない。

 いつもとのギャップに俺は心臓がばくんっと跳ね上がるのを感じた。

「ダメ……?」

 小さく声を上げるのを見て、俺はドギマギする。

「ええっと……」

 血涙を流して見ている相川が視界に入った。

「ごめん。今は考えられない」

 そう言って俺はそそくさと立ち去る。

 泣き叫ぶ千瀬を置いて、後ろ髪を引かれる思いで駆け出していく。

 彼女を見捨てるのが正しいとは思わない。

 でも、俺には彼女を助けるすべも、またそんな立場でもないと知る。

 後ろをついてくる相川を見て、ホッとする。

 何もしないでくれてありがとう。

 相川が出ていけば、話がこじれるだろうし。

 しかし、相川がそんなに俺の男女関係を気にしているのだから、意外と病んでいる。あるいはメンヘラなのかもしれない。

 俺とて相川が嫌いなわけじゃない。

 でも拘束が厳しい女子って少し怖いんだよな。

 俺はこれから先の道しるべに不安を覚えつつ、学校を後にする。


 ずっとついてくる相川に向き直る。

 と、相川はバレていないと思ったのか、電信柱の陰に隠れる。

 俺はため息を吐き、その姿を追う。

「相川さん」

「ひゃい!」

「どうしたの? 俺のこと、ずっと追いかけていたでしょ?」

「いにゃ、ええっと」

 困ったように顔を歪める相川。

 噛んだのも、彼女の焦りを表しているように感じた。

「なんで追ってきたの?」

「そ、それは……浮気、していないか、知るため、に……」

「浮気、って俺たち、付き合っていないよね?」

 とげのある言葉をあえて突きつける。

 そうでもしないと、彼女はますます過激化する恐れがあるからだ。

「そ、う……だよね……」

 しゅんと落ち込む相川。

 耳があれば、垂れていただろう。

 尻尾があれば、丸まっていただろう。

 そんな姿にキュンとしていたのはナイショだ。


 俺、どうするべきかな。

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