強欲な女

如月姫蝶

強欲な女

 アタクシ、年寄りには飽き飽きしましたの。今度は、若い男がいいわぁ…… 


 俺は、親ガチャに失敗した。親父の借金のせいで、物心ついた頃から、借金取りの顔を見ずに済む日はないような有り様だった。なんでも、借金の原因はギャンブルだとかで、自己破産もできないらしかった。


 俺は今、ど田舎の限界集落で、息を潜めるように一人暮らししている。やっと成人したため、親元を離れて、縁もゆかりもないど田舎へと逃げ込んだのだ。

 村興しの名目で建てたのが、格安で利用できる老人ホームだなんて、その時点で終わってるだろ。けれど、俺が、その老人ホームで、作り笑顔で車椅子を押すことで、生計を立てているのも事実だった。

 そして、一先ず借金取りの姿を見ることもなくなったので、俺は、予想以上に心穏やかな日々を過ごすことができていた。

 借金取りの中には、俺の母親より年上のオバサンもいて、俺に肉体関係を迫ってくるようなこともあったので、本当に嫌だったのだ。


 俺は、老人介護の仕事の合間に、便利屋を副業とするようになった。

 その日は、村人の老夫婦に頼まれて、山菜を採るべく裏山へと分け入った。熊よけの鈴やスプレーをしっかりと携えて。

 そう。俺は、山の中で熊と遭遇することなら覚悟していた。

 でもまさか、あんな光景を目にすることになるなんて、思ってもみなかった。


 地面からニョキリと、人の腕が生えていたのだ。

 一本だけ、竹のように真っ直ぐに空へと伸びたその腕は、「離さないで」と縋り付くかのように、虚空に爪を立てていた。

 五つの爪を真っ赤に塗って、大きなエメラルドの指輪をはめていた。


 俺は、気づくと、村の寄り合い所にいた。座布団を枕にして寝かされていて、村でただ一人の警官に名を呼ばれて気づいたらしかった。

 寄り合い所は、神社の境内にあり、神社は、裏山の麓にある。俺は、無様な悲鳴をあげつつも、なんとかそこまで自力で辿り着いたようだ。

 神主が呼んでくれたという駐在の警官に、俺は、自分が目にした異様な光景について語った。俺が目撃したのは腕一本だが、腕以外は土の中に埋められてたんじゃないだろうか?

 あるいは、熊の胃袋の中とか……

 ただ、嫌でも目についた、やたら大きなエメラルドの指輪が、かつて俺に迫った借金取りのオバサンがはめていたものにそっくりだったということだけは、口にする気になれなかった。


「結論から言うと、事件性はありません」

 駐在は、その数日後、妙に福々しい笑顔で言った。


 その日、村の寄り合い所には、俺と、主だった村人たちが呼び集められていた。

 裏山で人の腕が発見されたなんて、当然、村にとっては大事件のはずなのに。

「事件性がないって、どういうことですか!?」

 俺は、叫ぶように尋ねたのである。


「このスライドを見てもらえますか」

 駐在は、室内に一枚の写真を投影した。

 たちまち村人たちがどよめいた。そこには、黒々とした一本の腕が、地面から空へと屹立しているのが、はっきりと映し出されていた。

「こんなもんを見てしまったら、誰でも驚くでしょう。では、次の一枚」

 次のスライドも写真だった。それは、黒く長いゴム手袋の片割れだったのである。

 まさか!……そんな……


「県警の話では、誰かが山ん中に、結構な量のゴミを投棄しとったらしいんですわ。で、ゴミから発生したガスが、ゴミの中にあったゴム手袋を、風船みたいに膨らませてこうなった——ということのようです」

 村人たちは安堵の息を吐き、俺を揶揄うような野次も飛んだ。

 その時、神主が口を開いた。

「皆さん、人が亡くなったわけではなくて、良かったではありませんか。もしかしたら、お山が、ゴミで汚されたことに悲鳴をあげて、それを、都会からやって来たこの若者が、私たちに伝えてくれたのかもしれませんね」

 神主は、駐在の双子の姉である。笑顔の雰囲気もよく似ていた。

 村の実力者である彼女の言葉に、村人たちは神妙に頷いて、集会はお開きとなったのである。


 村人たちが去った後も、俺は、寄り合い所にへたり込んでいた。

 俺が目撃したモノの正体は、本当に、ガスで膨れたゴム手袋だったのか?

 だったら、俺が見た赤い爪やエメラルドの指輪はどうなる? 目の錯覚だったとでもいうのか?……


 その時、俺のポケットでスマホが震えた。

 見れば、母さんからメッセージが届いたようだ。

 俺は、この村で暮らすようになってからも、母さんとだけは、時折連絡を取っていた。


「【朗報】借金取りの一人が死んだ♡」

 俺は愕然とした。だがなぜか、それがあのオバサンだという確信があった。

「死因は?」

「天罰♡……知らんけど♪」

 母さんという人は、以前からこんな調子だ。借金取りは他にも何人もいるはずだ。一人や二人が死んだところで、どうなるわけでもないだろうに……

 それに、そもそもの元凶は、借金を重ねた親父なのである。いずれ親父がくたばったら、絶対に相続放棄してやる。俺にだって、その程度の知恵はあるのだ——


「どうしたのです? 二つめの願いを思い描きましたか? 話さないでいてもわかるものなのですよ」

 俺は、「ひぃっ」と悲鳴をあげた。いつの間にやら、神主が、俺の隣に肉薄していたからだ。

「え?……なんのことですか? 二つめ?」

「そうです。あなたは、一つめの願いなら、以前この場所ではっきりと口にしたではありませんか」

 神主は、改めて笑みを浮かべた。福々しいけれど、どこか毒々しくもある笑顔だ。


 もしや、あの夜の飲み会ことか? この村に移住してすぐの頃、神社の境内にあるこの寄り合い所で、俺は、「歓迎会」と称して、慣れぬ酒を無理矢理、村人たちに飲まされたことがあった。

 酔った勢いで、例の借金取りのオバサンのことを、「死ねばいいのに」と罵ったような気がする。

 でも、まさか……


「この村の氏神たる女神様は、しばしば人の願いをお聞き届けになります。この村の生まれではない、他所者の願いであってもです」

 神主は、笑みを深めた。

「一つめの願いを叶えて頂いた者は、生まれに関わらず氏子となります。氏子たる者、この村を離れようなどとは考えず、一生にわたって女神様にお仕えせねばなりません」

「馬鹿を言え!」

 俺は思わず、声を荒げた。

 神主の言うことなんて、どうせはったりだろうが、俺は、いつまでもこの村で暮らす気なんぞ、さらさらない。車椅子を押したりオムツを替えたりすることに、一生を費やす気なんてないんだよ!

 いつか、親父がくたばったなら……


 神主の眼が、キラリと輝いた。

「氏子の中でも、二つめの願いまで叶えて頂ける者は、ごく僅かです。そうした者は、当然ながら、女神様から特別なお役目を授かることになります。女神様は、そうした氏子のことを、決してお離しにはなりませんよ」


「特別な……役目?……」

 俺の声は、なぜか震えていた。


 アタクシ、年寄りには飽き飽きしましたの。今度は、若い男がいいわぁ……

 体脂肪率が一桁になるくらいに、肉質の管理をヨロシクね!

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