糸
NADA
はなさないで
(はなさないで…)
頭の中で声がしたような気がする
気のせい?
うす暗い廊下を歩きながら
誰も居ない
明かりが暗くて先の方はよく見えない
ボンヤリとした頭で記憶を辿る
私、何してたんだっけ…?
今日は朝から大学の友人たちと湖へ釣りに行って…
美緒と女の子もう一人、あと男子二人と初めてのブラックバス釣りへ早起きして向かった
湖の岸辺で釣りを始めて、友だちの男の子が大きなブラックバスを釣り上げて…それから、私ともう一人の女の子は全然釣れなくて…
だんだんと飽きてきて、退屈した私たちは水辺で遊びはじめた
思い出した
その時、友だちの女の子が足を滑らせて湖に落ちてしまったのだった
男子二人から遠くに離れた所まで来てしまっていたので、大声で助けを呼んだけど聞こえなくて…
必死に手を伸ばす友だちの手を掴んで、引きあげようとしても持ち上がらない
浅く見えた湖は、底に足が着かないくらい深く友だちが自力で上がろうとしても足場が無い
「離さないで!」
藻掻きながら友人が叫ぶ
絶対に離さないように、美緒は両手で力一杯友人の手を引いた
その瞬間、踏ん張った足元の土が崩れてバランスを失った美緒は湖へと転落した
「美緒!」
水の中で友人の声を聞いた気がした
そこから、記憶が無い
ここは?何処だろう
服や髪は濡れていない
病院?無機質な廊下はそれっぽい感じがする
(はなさないで)
また、声がした
周りを見回してみるが、誰も居ない
ふと自分の手から糸のようなものが出ていることに、美緒は気がついた
何、これ?
左腕の長袖の袖口から白い糸が長く垂れ下がっている
服のほつれかと思い、引っ張ると暗くてよく見えていなかったが長く繋がっていて、辿ると床をつたって廊下の先まで続いている
糸を引くと左胸の辺りがひっつるような変な感じがした
もしかして、この糸を離さないでってこと…?
急にそんな気がして、美緒は右手で糸のようなものをしっかりと握った
光に反射する所々は見えるけれど、細くてほとんど糸は見えない
手のひらの感覚だけで糸を
(美緒、はなさないで!)
今度はハッキリと声が聞こえた
溺れながら叫んでいた友人の声が頭に浮かんでくる
深く息を吸い込んで吐き出すと、美緒は意を決して糸を辿っていった
これは、夢?
死後の世界?
この糸は友人の命の糸?
この糸が切れたら友人は死んでしまうの?それとも私が死ぬの?
どちらにしても絶対に離してはいけない
本能なのか第六感なのかわからないけれど、美緒の中で何かがそう言っている
一歩ずつ慎重に糸を辿る
少し周りが明るくなってきた
糸がキラキラと光って見える
廊下の奥の突き当たりにドアが見えてきた
小走りになってドアまで糸を辿る
ドアの目の前まで来た時、辺り一面眩しい光に包まれた
「美緒!美緒!」
涙の形相の友人が美緒の手を握りながら名前を呼んでいる
病院の緊急処置室の前で、友人たちと病院の看護師やスタッフ何人かが美緒の周りで忙しなく動いている
「美緒ー!よかった…!」
女の子の友だちが泣きながら抱きついてきた
意識が戻ったことがわかると、緊迫した雰囲気だった看護師たちの顔が皆緩んだ
付き添いの方は外来の方でお待ち下さい、と友人たちに声をかけている
「私を引っ張りあげてくれるのと同時に美緒が湖に落ちて、すぐに動かなくなって沈んだの」
腫れ上がった
「美緒ー!って叫んでたらアキラたちがすぐに来て…」
後ろに立っているアキラが続ける
「そろそろ飯にしようと思って、美緒たちを探しに行ったらずぶ濡れの祐実が叫んでるからマジでびびった」
横にいるリョウタも真顔で頷いている
「湖の中にいる美緒を見て、すぐ飛び込んで顔を水から上げたんだけど意識がなくてグッタリしてて…もう終わったと思った…」
リョウタが死にそうな目に遭った顔をして言う
「それで釣り糸を使って美緒と俺の体に巻き付けて岸にいる二人に引っ張ってもらって、何とか水から上がって…」
「リョウタが飛び込んで美緒を助けてる間にすぐに救急車を呼んだから、水から上がった美緒に心臓マッサージ?を救急隊員の人がしてくれて」
普段は冷静なアキラが興奮気味に話す
救急車にずぶ濡れの祐実とリョウタが一緒に乗り、アキラは荷物を持って自家用車で病院へ来たということだった
「釣り糸が美緒の腕に絡まってて、美緒の手と釣り糸をずっと握って…、救急隊員の人が声を掛け続けてくださいって言うから、美緒のこと呼び続けて…」
話ながら思い出して祐実がまた泣き出す
「このまま死んじゃったらどうしようって…」
泣きじゃくる祐実の肩にアキラが手を置く
「だけど、時々美緒がぎゅって、手を握る時があって…絶対大丈夫、絶対に助かるって…私、ずっと手を離さないようにして…離したら美緒が死んじゃう気がして…」
祐実の真っ赤な目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちた
美緒は湖に落ちた時、水温の冷たさとショックでどうやら心肺停止していたようで、肺に水が少ししか入らないですんだらしい
引き上げた後すぐに心肺蘇生措置がとられたことも幸いで病院の処置室に着く頃に意識が回復したということだった
検査の結果、異常も見つからず一同は胸を撫で下ろした
念のため病院に一泊して様子を見ることになった
「本当にゴメンね、それに助けてくれて本当にありがとう」
やっと少し落ち着いた祐実が言う
「ううん、私の方こそありがとうだよ、皆のおかげで助かった」
「私は何もできなかったよ」
と、祐実が悲しい顔をする
美緒は大きくかぶりを振って言う
「祐実が居たから、私、戻って来られたんだから」
不思議そうな顔をする祐実に、美緒は笑いながら夢みたいな体験について話し始めた
糸 NADA @monokaki
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