夢と悲しみは美しきかな(KAC20245参加作品)

高峠美那

前編

『…許せ。そなたを行かせたくはない。この私の腕は、生涯そなたを守るためにあるのだと、信じて欲しい…』


 ―――ああ、又この夢だ。 


 物心ついた頃から 時折見る夢。

 三月三日のお雛様と、お内裏様のようだと言えばわかりやすいのかもしれない。


 平安時代の平家一門の武将か公卿くげのような殿方は、長い刀を左脇に差し込み、頭の冠には立派なえいが立っている。


 そして、寄り添う意志の強そうな大きな瞳のお姫様は、どことなく自分に似ていた。


 黒い艶やかな長い髪。重袿かさねうちぎひとえに、柔らかい水縹みはなだ色の唐衣からごろも。緑と深紫が鮮やかで、白と紅色の藤の花が描かれていた。


 ――この二人が、誰なのかは知らない。


 だけど…二人の行く末は、知っている。何度も、何度も見るこの夢は、決して幸福で終わる事はない。


 まっすぐと、夢の中のひめが殿方の顔を見上げた。


『……どうか、わたくしをお見捨ておき下さいませ。わたくしを正妻にしても、たいした後ろ盾にはなりませぬ』


 庭の藤棚から垂れ下がる見事な房が、まだ冷たさを残す風にふわりと揺れた。


『たとえ…あなた様が正妻をお迎えになっても…わたくしは、あなた様のお側にいとうございました』 


 夢だというのに、藤の甘く爽やかなジャスミンに似た芳香が漂ってくる。


『…カオ』


 悲しみを含んだ声は、この夢が終わりに近づいた事を示していた。


『…もうすぐ、京の時代は終わりを告げよう。いつか…、いつの日か、生まれ変わってもそなたと出会えたなら…私はきっと、そなたを手放なせない。生涯そなた一人だけを愛し、そなたの為だけに生きよう。今宵の若月わかつきに誓って…』


 空には満天の星空と、輝く綺麗な三日月。

 月に照らされた夜の森から、時折響く『ピャーウ』という鳴き声はオオコノハズクか…。


『ピャーウ…、ピャーウ…』


 森がザワザワと揺れる。辺りはゆっくりと光が包み、白む景色に眩しくて細めた目をぼんやりと開けると…、花央かおはいつもの布団で目が覚めるのだった。


「…また、同じ夢。今日は一段とリアルだったな」


 ずくり…とする胸に手を当てて目を閉じると、背中に回された力強い腕と、息苦しさが花央かおの心臓を締め付け、慌てて首を振った。


 目尻が乾いて引きつるのは、泣いていたのだと思う。


 この夢を見るといつもそうだ。夢だってわかっているのに苦しくて切ない。


「はぁ。いったい何なんだろ…。もしかして前世の記憶とか?」


 布団を上の空でたたみ、真新しい制服に袖を通す。


「まさかねっ」


 花央は四畳程の狭い自分の部屋の隅に置かれた仏壇に手を合わせた。


「お母さん。私、今日から高校生になるよ。制服どうかな…。もう少し…生きていてくれたら、見せれたのにね」


 すっかり馴染んだ線香の匂いにホッと息を吐き出した花央は、合わせた手をゆっくりと下ろした。


「行って来ます。お母さん」

 

 立ち上がった花央の動きに、線香の煙が追いかけるよう揺らぐ。


 ひと月前に母親を亡くした。二人で暮らしていた花央にとって、とうとう天涯孤独になった瞬間だった。




 その日は中学校の卒業式を明日に備えた最後の総練習。

 花央にとって、小、中学校は良い思い出ばかりではない。母子家庭という事でいじめにあい、そんな花央に友達になろうと言ってくれる子はいなかった。


 小学校のランドセルは団地の子供のお下がり。だいぶくたびれた赤だった。今やピンクや紫など、カラフルなランドセルがほとんど。登校時、みんなの背中がお花畑のようで羨ましかった。


 中学に入っても、状況は変わらない。ほつれたセーラー服を丁寧に縫直し、スカートのヒダを押し布団で整える。


 母の負担になりたくないので、部活には入らず、唯一の楽しみは図書委員の当番で、放課後、本に埋もれて図書室にいること。


 それでも不登校にならず、なんとか学校に通えていたのは、愛情深い母を心配させたくなかったのと、花央の通う中学の保健医、風見恭太郎かざみきょうたろうの存在のおかげだろう。


 花央が中学一年の時に赴任し、三年間花央を気遣ってくれた。上靴にガラスを入れられ足を切った時は直ぐに担任に知らせて、「こんな事、あってはならない!」と、犯人をあぶり出してくれた。


 図書室で借りた本がビリビリに破かれた時は、どこに本を置いていたのかを事細かに聞いて、その時、その時間いた生徒を徹底して調べてくれた。


 証拠がなく断定はできなかったが、破いた犯人はかなりダメージを受けただろう。

 

「キミがおった傷の方が、もっと深いのだから同情する必要はないよ」


 そう言ってやさしく笑ってくれた風見先生に、花央は不思議な感情を持ったくらいだった。


 そして…無事、卒業式を迎えるという前日に――。


藤野ふじの 花央かおさん! 今すぐ病院へ!」


 それは、卒業式の総練習…生徒のピアノが『旅立ちの日に』のワンフレーズを引いた直後の事だった。



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