ラブトゥーユー
黒墨須藤
はなさないで
「さあ最終、4コーナーを回って、先頭はタコアシハイセン、続いてアンリアル、後ろからラブトゥーユー、カナシダセンコー、ミカポン、タイケパカパカ。タコアシハイセン粘っている、アンリアル、アンリアル来た、ラブトゥーユー伸びて来る、200切った、アンリアル、アンリアル、ラブトゥーユー届かないか、アンリアルだ、アンリアル!」
男は実況の音声に、深く息を吐く。
大穴が飛び込むレースだった。
ジョリジョリと髭の生えたアゴをさすりながら、払戻金の勘定をする。
机に置いた灰皿から昇る紫煙に混じって、嗅ぎなれた匂いが鼻をくすぐる。
「うおっ」
スマホの画面が光って、着信の文字が浮かぶ。
逡巡して、応答する。
「……」
「……なんだよ」
人の気配はするが、電話の向こうは静かだ。
「切るぞ」
「……えてる?」
「あ?」
「今日が何の日か」
「知らねえよ」
ブツッと電話を切った。
思えばアイツはいつもうるさかった。
あれこれ言われなくても分かってるっての。
「はなさないで」
分かってるっての。
「はなさないで」
うるさいっての。
「はなさないで」
だからうるさいっての!
「はなさないでって言ったのに」
ゾッとして飛び起きる。
ああ、全く。
目覚ましが鳴る前に起きちまったじゃねえか。
いつもは空の灰皿も、今日は千客万来、いや先客がいる。
「つまらねえな」
携帯の画面を開くと、メッセージアプリを開いた。
既読は付いていない。
「さあ最終、4コーナーを回って、先頭はタコアシハイセン、続いてアンリアル、後ろからラブトゥーユー、カナシダセンコー、ミカポン、タイケパカパカ。タコアシハイセン粘っている、アンリアル、アンリアル来た、ラブトゥーユー伸びて来る、200切った、アンリアル、ラブトゥーユー、アンリアル、ラブトゥーユー、どっちだ、アンリアルか、ラブトゥーユーか!」
ギリギリの接戦になり、掲示板を前に馬券を握りしめて確定を待つ。
「アンリアルやろなぁ」
「いやいやラブトゥーユーやろ」
「接戦やなぁ、ハナ差ないで」
確定が出た。アンリアルだ。
ふと携帯を見ると、不在着信が入っていた。
メッセージアプリには、新着1件の表示がある。
折り返して電話をかけると、すぐに出た。
「おい」
「……はなさないでって言ったのに」
ブツっと電話が切れる。
「なんやアイツ」
そんなんだから学校でもいじめられてたんや。
親も親でちょっとおかしいわ。
まあ、でも、折角当たったんやから、ちょっといいもんでも買って、もう一度行ってみるとするか。
彼女の家の前に立って、心臓の音が聞こえるくらい早鐘を打っている。
綺麗に剃ったアゴに、汗がツーっと滴る。
着慣れないスーツは、いかにもおろしたてという匂いを放ち、手土産を握る手に力が入る。
インターホンを押すと、柔和そうな女性が玄関のドアを開けた。
女性に迎えられ、男は家の中に入っていった。
それを確認すると、ひとまずその場を離れることにした。
手を切らないよう気を付けて、カバンからタバコを取り出す。
女は慣れた手つきで火をつけた。
これとも、ようやくおさらばできる。
ぼぅっと煙を吐き出すと、澄み切った青い空に雨雲が浮かんだ。
携帯を取り出し、イヤホンを着けると、競馬の実況が聞こえてくる。
しばらくして、男が家から出てきた。
女はタバコの火を消し、イヤホンを外すと、カバンから新聞紙でぐるぐる巻きのそれを取り出した。
イヤホンからは、競馬の実況が流れている。
「さあ最終、4コーナーを回って、先頭はタコアシハイセン、続いてアンリアル、後ろからラブトゥーユー、カナシダセンコー、ミカポン、タイケパカパカ。タコアシハイセン粘っている、アンリアル、アンリアル来た、ラブトゥーユー伸びて来る、200切った、アンリアル抜け出した、ラブトゥーユー、ラブトゥーユー来た、ラブトゥーユー差し切るか、どっちだ、アンリアルか、ラブトゥーユーか!ラブトゥーユー!ラブトゥーユー差し切った!」
ラブトゥーユー 黒墨須藤 @kurosumisuto
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