2-4-2

 辻を曲がると、先程までの大路より少し狭い通りに入った。呉服屋が多く並んでいる。仕立ての済んだ衣を扱う店があると良いが……と、朔弥が歩みを向けたとき、喧騒に混じって、男の言い争う声が、後ろから聞こえた。振り向くと、辻の手前に、人だかりができている。

 人垣の中心にいたのは、身なりの良い若者と、町人らしき老女、そして、老女の身内だろう若者だった。

 老女は足を痛めているのか、立ち上がれない様子だった。

「なにがそんなに偉いんだよ。怪我をさせたならびる、当然のことだろうが」

 身なりの良い若者を、町人らしき若者が睨みつける。

「格上の人間が、格下の人間に詫びるだと? 私の家は、いぬい家。今や北の国庁にも役職を得ている名家だぞ。その子息である私に、頭を下げろというのか、無礼者」

 身なりの良い若者――乾家の者が言い返す。隣に従者らしい初老の男がいたが、なだめるすべをもたないようで、おろおろと視線を彷徨さまよわせている。乾家は、朔弥も聞き覚えがあった。北條の家臣として、姓をたまわった一族だ。家臣の中では長く末席であったが、随分ずいぶんと出世したらしい。

「そもそも、高貴な人間が歩いてきたら、下々の者はみずから進んで道を譲るものだ。なのに、その老いぼれが退かないから、邪魔だと示したまでのこと」

「えぇ……さようでございます。後ろから来られたもので……あたしが気づかず、申し訳ないことでありました……」

「なんで婆ちゃんが謝るんだよ。悪いのは、ぶつかってきたこいつだろうが」

 町人らしき若者が、腹立たしげにこぶしを握る。そして乾家の若者を、さらにきつく睨み上げると、軽蔑するように、口角をいびつに引き上げた。

「名家とやらが聞いてあきれるぜ。あんたみたいなのが子息なら、あんたの代で没落だな」

「っ、なんだと⁉」

 乾の顔色が変わる。朱の差した頬を強張らせ、眉を吊り上げると、相手の胸倉をつかんだ。

「聞き捨てならんな。……知っているか? 都には、不敬罪ってものがあるんだ。高貴な者に楯突いて、投獄された者が何人もいるんだぞ? ならば私も、この場で下賤の者ひとり斬り捨てたところで、とがめはないな。その身をもって、権力とは何かを教えてやる」

 そう言い放ち、乾は相手を突き飛ばすと、腰のつるぎに手をかけた。

 しかし、その剣が、さやから抜かれることはなかった。

 つかを握る乾の手を、朔弥の手が、上から抑えていた。

 驚愕と途惑とまどいに目を見開き、乾が朔弥を見る。乾の背丈は朔弥と並ぶほどであったが、筋骨隆々とした体つきをしていて、腕は朔弥の倍ほどの太さがあった。だが、どれだけ力を込めても、朔弥の手は動かない。朔弥の異様な手の冷たさも、乾の狼狽ろうばいに拍車をかけた。

「……な、なんだ、おまえは……」

 乾の声が、上擦うわずる。

「そなたは、教わらなかったのか」

 乾の手を抑えたまま、朔弥が静かに口を開く。

ほこりとおごりを履き違えてはならないこと……人の上に立つには責任が伴うこと……身分の高さを理由に罪をまぬがれることがあってはならないこと……そなたに教える者は、いなかったのか」

 淡々と、問いかけるように、朔弥は言った。

 乾の顔が、先程とは別の色味の赤に染まる。

「う、うるさい……っ!」

 身をよじって後退あとずさり、乾は朔弥の手からのがれた。はずみで僅かによろめきながらも、荒く息をつき、今度は朔弥に向かってつるぎを抜こうとする。

 だが――

 乾の動きが、ぴたりと止まった。

 真尋だった。

 乾がつるぎを抜くより早く、真尋は剣の切先きっさきを、乾の喉もとに突きつけていた。

「……な……っ」

 乾が、悲鳴になりきれない上擦うわずった息を漏らす。

 真尋の剣は、ぴたりと狙いを定めたまま動かない。

 一歩、二歩、乾が後退あとずさる。ひたいには大粒の汗が浮かんでいた。

 やがて、

「今日のところは勘弁してやる!」

 捨て台詞とともに身をひるがえし、乾は、一目散に走り去っていった。従者も慌てて後ろを追いかけていく。

「勘弁してやるのは、こっちだっての」

 相手方の若者が、つかまれたえりもとを整えながら、大きく鼻を鳴らす。

「真尋」

 朔弥がたしなめると、真尋は小さく瞬きをして、静かにつるぎを収めた。

 遠巻きに見守っていた人々が、一気に安堵の息をつく。ほどけていく人垣。朔弥と真尋、そして若者と老女に、いたわりや称賛、励ましの言葉をかけて、町人たちは、それぞれの日常に戻っていった。

「ありがとな。助かったよ。……あんたの言葉も、その子の行動も、清々しかった」

 老女を背負い、若者が朔弥に微笑みかける。

「あたしは縮みかけた寿命が延びたよ……あんたたちが間に入ってくれなかったら、どうなっていたか……」

 若者の背中で、老女も眉尻を下げる。

「礼をさせてくれ。おれの家は、この先の呉服屋だ。仕立て済みの衣もあるから、贈らせてくれ」

 若者に案内された呉服屋は、大店おおだなでこそなかったが、よく整えられていて、反物たんものだけでなく、切り売りや仕立て売りも多く扱っていた。店主は若者の母親で、老女から事情を聞くと、大層恐縮し、煎茶と干菓子まで出してくれた。若者の父親は、商談に出かけていて不在らしい。

「まったく、この子は……曲がったことが大嫌いなところは父親譲りで……一本気なのは良いけれども、危なっかしくて仕方がなくて……」

 苦笑しながら、店主は店の奥から、綺麗に畳んだ衣を運んでくる。

 丁寧に仕立てられた、浅緋の衣だった。

 懐かしむように目を細め、店主は、そっと衣を広げる。

「元々は、赤の衣も反物も、たくさん置いていたのだけれど……最初に誰が言い出したのか、赤は縁起が悪いって、あまり売れなくなってしまってね……聞いた話、都で何か良くないことが起きたのがいわれらしいけども……今はもっぱら、青ばかりさ。もちろん、青だって、良い色だけどもね。対になる赤がないと、引き立つものがなくて、なんだか味気ないものさ……だから、久し振りに赤の衣を着ている人を見て、嬉しくなったよ。遠慮はいらないから、この衣を、その子に……着丈は少しばかり大きいが、今にもっと背が伸びて、ちょうど良くなるだろう」

 店主は慈しむように微笑んだ。朔弥と真尋に向けたまなざしには、同じ子をもつ親としての、温かな親しみの色もあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る