第77話 晴れる気持ち
迫中と一緒にテツ君を説得してみてから数日、俺はその変化を実際に目の当たりにしていた。
朝、奈桐を幼稚園へ連れて行くと、テツ君はさくらちゃんと手を繋いで俺たちの元へ来てくれることが多くなったのだ。
それに伴い、奈桐への抱き着きも無くなった。
そして、これは後からもみじちゃんに聞かされた話だけど、他に奈桐へ好き好きアピールをしていた男の子たち二人も、さくらちゃんとテツ君が諦めるよう説得したとか何とか。
奈桐は俺のことが好きで、他の男の子たちに興味はない。
無駄だからやめとけとか、そんなことを言ってくれたりしたのかもしれない。
あと、こうやって見ると、本当に俺は大人げないことをしてるなぁ、とか思ってしまう。
奈桐への好意の大きさゆえ、なんて言っても、俺の後を追うように成長していく恋人を直接傍で守り続けるっていうのも無理があるだろう。
そこは、以前に奈桐に言われた通り、俺たちの繋がり自体を信じるしかないわけだが、それでも時折不安に陥るのは否めないわけで。
夏の足音が近付く梅雨の夕方。
俺は、大学終わりの帰り道を一人で歩きながら、嬉しさと達成感の入り混じった感情半分、謎のむなしさ半分を抱えていた。
ただ、そんな折だ。
家まで残り一キロ程くらいのところで、向こうの方から走って来る小さい人影が見えた。
瞬間的にわかる。それが奈桐である、と。
「……え? 奈桐……?」
手に持っているのは一本の傘。
俺の名前を呼んでこっちへ駆けてくるので、俺も小走りで奈桐の方へ駆け寄る。
「おかえり、成。これ、雨降るかもしれないから持って来たよ」
「あ、お、おう。ありがとう。……ありがとうなんだけど、家まであと少しだぞ?」
俺の言葉を受け、奈桐は荒くなった呼吸を整えながら頷く。
「本当は駅まで持って行ってあげようかな、って思ってたの。天気予報で夕方から雨が降るって言ってたし」
「嘘。マジか」
「マジマジ。それで、成が濡れたら大変だなーって思って、持って来た」
にへら、と笑みながら言う奈桐。
そんな彼女を見て、俺は抱えていたモヤモヤを一気に晴れさせる。
思わず笑ってしまった。
奈桐は疑問符を浮かべる。
「……? いきなりどうしたの? なんか可笑しいところでもあった?」
「いや、別に。何でもないよ」
「あ、もしかして! 走って来たから髪の毛がぐちゃぐちゃになってて、それ見て笑ってる!?」
聞いて、もっと笑ってしまう。
「違うよ。そんなんじゃない」
「じゃあ何なの?」
「んー…………そうだな、今日も奈桐は可愛いな、って」
「考えてから言ってるじゃん……」
「可愛いって表現を可愛いってだけの言葉にしていいのか悩んでた。もっと豪華な表現の方がいいかな、と思って。お可愛らしい、とか」
「訳わかんないよ……」
むぅ、と頬を膨らませ、ため息をつく奈桐。
俺は笑みを浮かべたまま、奈桐から傘をもらって、それを広げる。
本当に雨がぱらつき始めた。
二人で相合傘をして歩き出す。
「なんかね、今日はまた食堂忙しめなんだって。お母さんが言ってた」
「え。そうなの? じゃあ、今日は俺もいつもより多めに働かなきゃなのか」
「ううん。それはいいって。バイトの人がたくさん入ってる日でもあるらしいからさ」
「お、マジか。だったら程々に働くだけでいい?」
「んー……ってより、成にはもう一つ別の仕事があるんだよね。急遽入ったんだけど」
「……? 別の仕事……?」
何だそれ。
首を傾げると、奈桐が傘の中で俺を見上げながら続けてきた。
「葉桐の受験勉強のお手伝い。なんか教えて欲しいところがあるんだって」
「んん……!? それこそマジか、だな……」
別に特別勉強できるって訳じゃないんだがな、俺。
もう大学受験してから丸一年ブランクがあるし。
「大丈夫、安心して? 科目も数学じゃなくて英語だから」
「それなら助かります」
俺が安堵したように言うと、奈桐は少し意地悪な色を顔に浮かべ、
「成、昔から数学苦手だもんね」
なんて返してくる。
けど、間違いじゃない。
俺は昔からずっと数学が苦手だ。
暗記系の科目ならいけるんだが、数学はどうも苦手。
基本の公式を応用して、それを当てはめていけばいい、みたいなことはわかってるものの、それでもできない部分があったりするのが俺なので、苦手だと認めて楽になることにした。高校一年の春の出来事だ。
「逆に奈桐は数学得意だよな。羨ましいよ、数学できて」
「ふふん。いいでしょ~?」
胸を張る奈桐。
というか奈桐の場合、基本的に満遍なくどの科目も勉強できてたから、俺からすれば英語も得意だし、化学とかも得意だし、歴史も得意で、あんまり弱点が無かったイメージだ。
「いっそのこと、奈桐が葉桐ちゃんに勉強教えてあげたりすればいいんじゃないのか? 葉桐ちゃんもそっちの方が喜ぶだろうし」
提案してみるも、奈桐は首を横に振った。
表情もわざとらしく険しいものにしてる。何だその顔。
「高校生の勉強範囲、私は高校一年生の夏休み前までしかやってません。そのため、葉桐の受験勉強の手伝いもできないんです」
「そうだった。それは誠に申し訳のぅござんした」
「しかも、その夏休みまでやった内容も5年近いブランクのせいで忘れております」
「それはそれはお気の毒に」
「なので、成が葉桐に勉強を教えに行くのです。その際は私も行きます」
「了解いたしました。どうぞ心ゆくまでついてきてください」
冗談っぽく俺は頭を下げる。
わざとらしくキリッとした顔を作ってる奈桐は、すぐに吹き出すようにして笑った。
「ていうか、その流れで私も成に勉強教えてもらっとこうかな。実際に高校生になった時、楽できるように」
「うわー、ズルいなー」
「別にそれくらいいいじゃん? 世の中は不平等にできているのであーる」
「はいはい。そうだなー」
何気ないやり取りを交わしながら歩き、自宅まで残り200メートルくらいのところで、俺はふと奈桐の名前をもう一度呼んだ。
「なぁ、奈桐?」
「ん? どうかした、成?」
見上げてくる恋人の頭に優しく手を置き、俺は告げた。
「これからも、何かあったら俺を頼ってくれていいからな」
「……へ?」
「俺は奈桐を信じてるし、奈桐も俺を信じてくれてるはずだ。だから、困った時は何でもいいから、真っ先に俺を頼ってくれ」
「……」
「俺が忙しそうとか、そういうのは全然気にしなくていいから」
言い切ったところで、奈桐は俺の顔を上目遣いでジッと見つめる。
その視線に対し、俺が笑んで返してやると、彼女はにこっと微笑み、
「ありがと」
そう、感謝の言葉を口にした。
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