第1話(後編) 凪ちゃん
それから時間は過ぎ、夕方の五時半。
駅前の居酒屋でアウトドアサークルの新勧飲み会が始まった。
サークル長である三年生の田島さんがイケイケで開始の挨拶をし、各々楽しそうにジョッキ片手に会話をし始める。
もちろん来てくれている一年生はノンアルコールだが、それでも皆楽しそうに二年生や三年生の話を聞いていた。かなり盛り上がってる。
俺も、来たからには飲むし、食べようと意気込んでた。
料理もかなりおいしそうだし、珍しいお酒もあるからな。ここ。
「はい。橋木田成。これ食べていいわよ。向こうの席から持って来たの。ここの卓にはなさそうだったから」
盛り上がる皆を横目で見つつ、浮かない程度に適当に周りにいた人たちと会話し、飲み食いを中心にしていた俺の隣へ赤坂がやって来た。
さっきまで別の卓で一年生を取り囲み、履修科目のおすすめなどを語ってたのだが、そっちの方はもういいんだろうか。
迫中はイケイケの三年生と一緒に一年生の女の子たちと楽しそうに会話している。アイツはアイツでよくやってるみたいだ。
「一年生たち、もういいのか? いかにも頼もしい先輩って感じでレクチャーしてあげてたけど」
「うん。とりあえずはね。私だってレクチャーしてばかりだと疲れるし、適当に会話できる相手のところにも来たくなるから」
「ははっ。そりゃ確かに。しかし、光栄ですよ。赤坂大先生に、『適当に会話できる奴』として認められてるみたいで」
「ふふっ。ほんと。光栄に思って。崇めなさーい」
冗談っぽく言う彼女を見て、俺は苦笑する。
お酒の力もあってか、いつもより親しみやすい感じになってた。
「でも、これはさっき迫中からチラッと聞いた話なんだけどね?」
「ん? うん。なんか言われた?」
ビールを飲みながら訊く。
彼女は続けた。
「橋木田成のこと、一年生の女の子が『カッコいい』って言ってたみたい」
「ブフッ!」
飲みかけのビールを吹き出してしまった。
危ない。幸い前方に大噴射してはいない。
しかし、突然なんてこと言い出すんだ。赤坂。
「しかも、複数人の子たちが、らしい。よかったじゃない。モテモテで」
「げほげほっ……。い、いやいや、モテモテって……」
しかも、何であなたはちょっと不機嫌そうなんですか、赤坂さん?
「こんなに冴えない感じで、五点満点中三点くらいの男なのにねー。見る目ないわー、皆」
「そりゃひどいって」
「裏で彼女たちの弱みとか握ってるんじゃないでしょうね? 卑猥なことして」
「断じてしてません。迫中じゃないんだから」
「じゃあ、なかなか説明がつかないわよ。何で橋木田成がそんなにモテるの? ……カッコいいって思ってるの、私だけかと思ってたのに……」
「え? 今何か言ったか?」
「何にも。あー、なんか面白くないわねー。昔から知ってる人がそうやって謎に評価されるのー」
言葉通り、つまらなさそうに頬を膨らませ、机に突っ伏す赤坂。
俺は苦笑してしまった。
「昔から知ってる、か。まあ、確かにな。赤坂と迫中とはもうかなり長いもんだ」
「どこかの誰かさんは未だに気持ちに気付いてくれないけどねー」
迫中のことですか。
アイツはまあ。もう。うん。頑張れとしか言えないのが辛い。頑張れ、赤坂。
「でも、気付いてもらえない方が幸せなのかもしれないけどね。お互い」
「……?」
「辛いなぁ、色々。はぁ~」
言って、グラスに残っていたお酒を飲み干す赤坂。
俺は何とも言えない気持ちで彼女を見つめ、曖昧な返事をしながらチキン南蛮を口にした。
「橋木田成はさ、やっぱりその……これを訊いていいのかはわかんないんだけど……」
「いいよ。何でも訊いて。お酒入ってるし」
「……立ち直れて……ないわよね? やっぱり」
「……」
断片的な質問の仕方ではある。
けれど、何を問うているのかくらい瞬時に理解できた。
モグモグと咀嚼し、食べてるものを飲み込んで、ゆっくりと返す。
「……まあ、それはね」
「……だよね」
「そもそも、立ち直ろうだなんて思ってない。立ち直るって、そんなの忘れることと同じだって考えてるから。奈桐のこと」
「……かな? やっぱり」
「少なくとも、俺はね。忘れるってことじゃないにしても、気持ちを軽くするってことではあると思う」
「軽く、ね……」
「無理だよ。そんなの。一番言わなきゃいけないことも、結局最後に伝えきれなかったし」
「……そう……なんだ」
「あんまり普段ここまでは言わないんだけどな。お酒の力、恐るべし」
言いながらも、俺は沸き始めたモヤを振り払うかのように、グラスに口を付けた。
今、ここで奈桐のことを思い出し過ぎるわけにもいかない。
傍にいるのは赤坂で、場所は飲み会の席なんだから。
「……じゃあ、橋木田成? これは質問なんだけど」
「うん。何でもどぞ」
「仮に、言わなきゃいけないことを雛宮さんにちゃんと伝えられてたら、あなたは今、他の女の子を好きになってたりした?」
大皿に伸ばしてた箸を止めてしまう。
本当は即答したかった。
でも、それをしなかったのは、あまりにも彼女の、赤坂瑠璃の表情が悲しげだったからだ。
簡単に答えてしまうのは、彼女の何かを壊してしまうような気がして、けれど、俺の答えはそれでも決まり切っていたから。
「……ううん。してない。そこは変わらないと思う。奈桐を想う気持ちは」
「……そっか。やっぱり、そうなんだ」
「うん」
何とも言えない雰囲気にさせてしまった。
緩かった俺たちの空気が、少しだけしんみりとしてる。
お酒を飲んでても、あまり意味は無かったのかもしれない。
奈桐のことを、俺は冗談で色々言えない。
ダメだな。ほんと。
――と、そんな風に考えていた矢先だ。
「し ん ゆ う」
息を吹きかけるみたいにして、耳元で囁いてくる誰か。
ギョッとしてそっちを見やると、ニヤニヤした顔の迫中がジョッキ片手に中腰でいた。
びっくりだ。
「お、おま……ちょ、いくら何でも登場の仕方考えて……。心臓止まるって……」
「いやぁ、なんか二人とも振られた後の男女みたいな顔してたからさーw 仁、親友として参上しました!w」
「景気づけって……。空気読めないの間違いじゃない?」
呆れながら赤坂がツッコむと、迫中は笑いながら「そうとも言うかも!」と楽しそう。本当にブレない、こいつは。
「で? で? 二人して何の話してたん? 途中参加で悪いけど、俺にも聞かせてくれよw」
「いや、別に……」
奈桐のこと話してました、とは言えない。
とっさに何か他のことで誤魔化せればよかったが、それも浮かばなかった。
「橋木田成が一年生の女の子複数人に『カッコいい』って言われてたから、それについて話してたの。そうなんでしょ?」
上手いこと赤坂が嘘(といっても、確かにその話はしてた)をつき、迫中は「あーっ!」とでかい声を上げる。
完全に酔っ払ってるみたいだった。
「そうそう! そうなんだよ! くっそ、成! お前、マジで一年生のキューティクルガールたちからそうやって言われてたんだよ! ちくしょう!」
「あ、ああ……そうですかい?」
「ったく! なーにが『そうですかい?』じゃ! スカしよって! でも、安心しろ、瑠璃?w 俺、彼女らに普通に嘘ついてやったからwww」
「「はい?」」
俺と赤坂の声が重なる。
こいつ、何を吹き込んだ?
「成は恋愛対象が男だから、ってwww アプローチ掛けてもダメですよって言っといたぞwww」
「「え!?」」
また声が重なる。
俺も赤坂も頓狂を声を上げた。
「お、お前、なんてことを!? そんな適当なこと言って、噂にでもなったりしたらどうするんだよ!?」
「そうよ! ぐっじょ……じゃなくて、何してるの!? そそそ、そんなことしたら、別の意味でBL好きな子からいやらしい視線送られたりするでしょ!? バカなの!? バカなんじゃないのアンタ!?」
「ふはははっwww 赤坂よ、本音が少し漏れてたぞwww」
「う、うるさいっ! ほんと、何してんのよぉ!」
俺よりも必死になって怒ってくれる赤坂だった。
しかし、迫中……。
なんてことを言ってくれたんだ。
まあ、その方が俺にとっては好都合なのかもしれないけどさ……はぁ……。
●〇●〇●〇●
飲み会の翌日。土曜日。
俺はその日、昼辺りからとある用事を控えさせていた。
母さんの再婚相手と顔合わせをする、というものだ。
いや、いきなり話が急展開なのだが、これは前々から言われていたことでもある。
俺の母さんは、若い時に父さんと色々あり、離婚してる。
実の父の顔も俺はあまり知らないのだが、食堂を立ち上げようと提案したのはどうも父さんらしい。
二人がかりで店の運営をさせていた矢先、別れる選択をした、とのこと。
そのまま店を閉じてしまうのも心苦しいと思った母さんは、その後一人で食堂を切り盛りさせていた。
それに加えて俺も育ててくれていたのだから、尊敬と感謝の気持ちしかない。
そんな母さんの決めたことだ。
否定しようとも思わずに、俺はただ新しい父親ができることを受け入れた。
で、今日を迎えたということになる。
悔やまれるのは前日の飲酒だけだろうか。
朝起きて、頭痛がひどかった。
二日酔いをするほどに飲んだ記憶はないのだが、元々アルコールにそこまで強くないからな、俺。
完全に失敗だ。こんな日だってのに。
「成! 芳樹さん、もうそろそろうちに来るってよ! 早く身支度済ませなさい!」
「はいはい。わかってますよー」
階段下からでかい声で言ってくる母さん。
やれやれだ。
新しく父親になる芳樹さんの写真は見たことがあるけど、かなりのイケメンだった。
それが何でまあうちの母さんなんかと結婚しようと思ったのかね? 騙されてんじゃないだろうな、うちの母親。
「凪ちゃんも今日は来るみたいだから! あんた、妹ができるんだし、ビシッとお兄ちゃんらしく決めときなさい! ビシッとね!」
「わかってますって。……ほんとに声でかいんだから……」
ちなみに、芳樹さんには四歳の一人娘がいらっしゃる。
名前を凪ちゃんというらしいのだが、まだ母さんもどんな子なのか知らないらしい。一度も見せてもらったことがない、と。
その辺りは謎ではあるものの、何にしたって今日対面するんだ。
母さんの言う通り、しっかりした恰好はしとかなきゃいけない。
気持ち悪いおじさんとか、四歳の子に思われたくないしな。あくまでもお兄さんっぽく、シュッと、キリッと。
「……よし。こんなもんでいいか」
身支度を整え、階段を下りたところで、だった。
家のインターフォンが鳴る。
母さんが応対すると、それは芳樹さんの声だった。
どことなく緊張する。
俺は生唾を飲み込み、玄関扉を開けに行く母さんのうしろをついて行った。
「はーい。いらっしゃい」
「どうも、晴美さん。今日はお邪魔します」
扉を開けると、そこにはイケメンの男が立っていた。
小綺麗な恰好をしていて、まさに大人の男といった出で立ち。
改めて思う。何でこんな人と母さんが……。まあ、俺の母さんもブサイクとまでは言わないけどさ。
「成君も、今日はお邪魔します」
「あっ。は、はい」
微笑み交じりに言われ、照れ臭くなってしまった。
曖昧な返事しかできない。
「ほら、凪。凪も晴美さんと成君にご挨拶、ね?」
彼の脚。
背後に隠れている小さな女の子。
あれが恐らく凪ちゃんなんだろう。
芳樹さんに言われ、恥ずかしそうにしていた凪ちゃんはコソコソッとこちらへ顔を出し――
「……凪……です。
自己紹介してくれた。
自分の名前を言って。
でも、俺は。
「っ……!」
全身をこわばらせ、固まるしかなかった。
目の前に現れた小さな女の子。
そんな彼女の姿が、幼い時の奈桐にあまりにも似ていたから。
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