君がいなくなった日
奈桐が合宿へ行くまでの日々は光のように過ぎ去っていった。
俺は一人、指輪を手配するために奔走し、奈桐も奈桐で、秘密にしている何かを作り上げるためか、自宅にいることが多かった。
季節は言うまでもなく夏だ。
外に出れば、ジリジリと暑く、セミの鳴き声がうるさい。
それでも、そんなことが気にならないくらい、俺は花火大会の日を楽しみにしていた。
合宿に行った奈桐にLIMEでメッセージを送る。
『花火大会の日は俺も浴衣を着て行くよ』
少し遅れて返信が来た。
『成の浴衣姿見るの久しぶり。楽しみにしてる』
奈桐の浴衣姿も楽しみだ。
去年の夏以来、一年ぶり。
だから、返信に対する返信として、
『花火、一番綺麗に見えるところ探しとくよ』
こんなメッセージを送った。
毎年、花火大会には行ってるけど、奈桐はどちらかというと、花火を見ることよりも出店の食べ物を買って食べる方が好きだった。
それが理由で、花火を見るためのベストポジションとか、あまり意識したことがなかったんだ。
でも、今年は違う。
ちゃんと花火が綺麗に見えるところで、伝えたいことを伝えなきゃいけない。
持つべきものは持った。
あと、必要なのは勇気だけだ。
顔を見て、目を見て、伝える勇気。
ただ、それだけでいい。
……でも。
送ったLIMEのメッセージにはなかなか既読が付かなかった。
一日経って、奈桐が帰って来る日の前日になっても。
たぶん、合宿を楽しんでるか、疲れてるかのどっちかだと思う。
大丈夫かな。
楽しみなことに疲労は感じないって言ってたけど。
やっぱ練習も厳しかったりしたんだろうか。
……うーん。
悶々としながら、自室のベッドの上でゴロゴロする。
花火大会の日の緊張もあるが、奈桐に対する心配などもあって、落ち着かない。
課題をやったり、漫画を読んだりして時間を潰してみるけど、どれも長くは続かなかった。
集中できず、すぐに手つかずになってしまう。
結果として、ベッドで横になってる形だ。
今はもうこれくらいしかできない。
そうしているうちに、徐々に眠気が襲ってきて、俺は気付けば眠りに落ちてしまっていた。
▼
眠りから覚めると、外は夕暮れ時になっていた。
スマホの電源を入れ、時刻を確認すると、画面に十七時と出てくる。
どうも三時間ほど寝ていたらしい。いくら何でも寝過ぎだ。
「ふあぁぁ……」
起き上がり、あくびをする。
エアコンも当然ながら点けっぱなし。
ちょっと体が冷えたな、これは。
外に出て、軽く散歩でもするか。
思い立ち、すぐそこにあった適当な長ズボンを履き、軽く身なりを整える。
そして、部屋から出ようとした矢先だ。
不意に扉をノックする音。
「……? 母さん?」
問うと、扉の向こう側から、
「ちょっと入っていい?」
母さんのくぐもった声が聞こえてきた。
珍しい。いつもだったらノックもせずに扉を思い切り開けてくるのに。
「お、おお。いいよ。全然」
返したところで、母さんが部屋へ入って来る。
その姿には、どこか違和感があった。
時間的にそろそろ食堂も夜の部が始まるし、いつもなら活き活きした雰囲気をまとってるのに、今はしぼんだような感じ。
顔色も悪く、表情にも覇気がなかった。落ち込んでるようにも見える。
「……成? ちょっとそこに座って」
「え? 座る?」
「少し話がある。長くは時間取らないから」
「あ、ああ。まあ、いいけど」
何だ? 明らかに様子がおかしい。
俺は言われた通りカーペットの上に座り、母さんも目の前で正座した。
「……で、どうしたんだよ? 食堂、もう少しで空く時間だよな?」
「うん。食堂は今日やらない。母さん、そんな気は今起きないよ」
「え……?」
まさか、業績不振が故に……?
食堂も近々潰す予定とか……!?
「成、いいかい? これからアタシが話すことは紛れもない事実。嘘じゃない」
「う、うん……」
「だから、落ち着いて聞いて欲しいんだけどね?」
「あ、ああ……」
「なーちゃんが亡くなったって。合宿先で」
「………………は?」
「海水浴をしてる時に溺れて。水難事故だって」
「………………」
「葬儀はまた後日に行われるみたい。なーちゃんのお父さんがさっき電話で教えてくれたよ」
「………………」
「…………っ。だ、だからね、アンタも花火大会一緒に行くって言ってたけど、それももう――」
「嘘だよな?」
「え……?」
なぜかわからない
わからなかったけど、変な笑みが出てしまう。
薄ら笑いのまま、俺は続けた。
「冗談ならやめてくれ、母さん。今、七月だぞ。エイプリルフールでも何でもないし、仮にエイプリルフールだったとしてもこんな嘘ついて欲しくない。やめてくれよ、ほんと」
「あ、アンタ……」
母さんは今にも泣きそうな顔を作る。
そして、
「やめてくれ、じゃないよ! アタシの話してることは事実だって先に前置きしただろう!? こんなこと、嘘で言うもんか! 言うわけがないだろう!」
「嘘だよ! 嘘に決まってんだ、そんなの! 奈桐が……ははっ! はははっ!」
変だ。
おかしい。
笑いが出る。
そんなこと、あり得なさ過ぎて。
「奈桐が亡くなるなんてあり得ない。あり得ないんだよ。だって俺、つい二日前くらいにあいつとLIMEでやり取りしたんだ。花火大会、楽しみにしてるって」
「それでもなーちゃんが亡くなったってのは事実なんだってば! アタシだってこんな辛いこと認めたくない! いい気なもんか! 小さい時からアンタと一緒で、もう一人の娘みたいに思いながら見てきてた子が……亡くなる……なんて……そんな……!」
「………………」
「そんなこと……うぅっ……」
目の前で泣き崩れる母さん。
でも、俺は言葉なんて掛ける気も起こらなかった。
いや、起こせなかったという方が正しいか。
奈桐が亡くなった……?
誰がなんと言おうと、それはあり得ない。
信じられない。
「……!? 成……!? アンタどこへ――」
「散歩。行くつもりだったから」
立ち上がり、俺は引き留めようとする母さんを振り払って家を出た。
足取りは重い。
でも、何か体を動かしていないと、この悪夢に飲み込まれそうな気がしたから、とにかく俺は足を前へ動かした。
前へ。
前へ。
そして、気付けば少しして、俺は奈桐の家の前に立っていた。
普段通り、変わらない彼女の家。
俺が、世界で一番大切にしている女の子の。
けど、普段と一つ違ってるところがあった。
声がする。
泣き叫ぶような声。
あれは……葉桐ちゃんだ。
お姉ちゃん。
お姉ちゃん。
奈桐。お姉ちゃん。
薄っすらと見える窓からは、中でお母さんに抱き締められている葉桐ちゃんの姿。
奈桐のお父さんもいた。
その傍で、見たこともないほど憔悴している。
そんな彼と、ふと目が合った。
でも、奈桐のお父さんは少し俺を見つめた後、目を逸らした。
……あぁ……これは……。
これは……ただの夢なんかじゃない。
あり得ないような現実なんだ。
その後のことは覚えていない。
俺は気付けば自分の部屋の中に戻っていて、散歩した姿のまま、ベッドの上で丸まっていた。
何も感じない。
何もする気が起こらない。
そんな中、ずっと俺の頭の中に響き続けていた言葉がある。
奈桐の最後の言葉。
彼女の温もりを感じながら、最後に聞いた言葉。
『大好きだよ。ずっと、ずっと、これからも』
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