とっておき

「――それで、さっきはいったい何を考え込んでたのかな? 何でも言ってごらん?」


 二階にある事務所の一室。


 エアコンのよく効いた場所で、俺はソファに座らされ、パパさんの出してくれたりんごジュースを口にする。


 甘くて冷たい。


 自分でも気付いていなかったが、どうも喉が渇いていたのは事実のようで、コップに入っていた分を一気に飲み干してしまった。それを見たパパさんは、おかわりとばかりにまたコップへリンゴジュースを注いでくれる。


「その……何というか……考え事してたのは事実なんですけど、おじさんにはすごく言いづらいことで……」


「ふむ。僕には言いづらい。………………もしかして成君。君、奈桐を妊娠させたとか?」


「ち、違います! そんなことは断じてないです! 安心してください!」


 掛けていたメガネを光らせ、低い声音で問うてくるパパさんだったが、俺は焦りながら否定。


 そりゃあもうこの歳で奈桐を妊娠させたら、俺は確実にパパさんから●される。命なんてたぶん無いと思った方がいい。


 ていうかまあ、そんなことは絶対無いわけですが。奈桐に苦労なんてさせたくないし、俺たちはそもそも互いに目を合わせて『好き』とも言えないってわかったばかりだし。


「じゃあ、いったいどんなことで考え込んでいたの? いいよ。おじさん、今日は成君の話存分に聞いてあげるから」


「っ……」


 自慢げというか、自信ありげというか、自分の胸を叩きながら、任せなさいとばかりに言ってくれる奈桐パパ。


 まあ、困ってるのは事実だしな。このままじゃいけないのも確かだし。


 意を決して話す覚悟を決めた。


 こんなこと、パパさんに話すのも気が引けるのだが。


「……あ、あの、ズバリ言うとですね」


「うんうん」


「お、俺と奈桐……お互いに顔を見て……目を合わせて好きだよって言えないんです。それがつい先日発覚したといいますか……」


「ぐはぁぁぁっ!」


「え、えぇ!? ちょ、お、おじさん!?」


 何だ!? どうしたってんだ!?


 突然胸を抑えて苦しみ出す奈桐パパに驚きを隠せない。思わずソファから腰を浮かせてしまったが、パパさんは「大丈夫だ」と俺を手で制止させてきた。ほんと、何なんだこのリアクションは……。


「な、成君……。君、奈桐と初々しくて可愛らしい恋をしてるんだねぇ……。おじさん、自分の若い頃を思い出して蒸発しそうになっちゃったよ……」


「じょ、蒸発って……」


 言い方よ……。


「思えば、僕も陽子と付き合ったばかりはそんな風なことばかり考えてたなぁ……。手を繋ぐのはどっちの方がいいか。どっちだったら陽子を迫りくる暴漢から守ることができるだろうか。常日頃から色々考えてたよ」


「は、はぁ……」


「ま、そうやって色々考えてたのが挙動不審に繋がってたみたいでね。ある日陽子から言われちゃったよね。『不自然で気持ち悪いですよ』って。あっはは! あの時は落ち込んだなぁ! なはははっ!」


 いつの間にかパパさんの話になってるんですが。


 けど、陽子さんも若い時はそうやってストレートにズバッと言う人だったんだな。今はすごく穏やかで優しいお母さんって感じなのに。……いや、でも芯は強そうか。元々そういう気質なのは間違いないな。


「という風にね、僕も色々あったんだが、こんなおじさんの話はどうだっていいんだ。ふんふん。なるほどね。お互いに目を合わせて好きだと言えない、と」


「はい……」


「それは奈桐もなんだね?」


「ですね……。元々は俺だけだと思ってたんですけど、奈桐もそうだって発覚して」


「『俺だけだったら自分の考え方や勇気を振り絞るだけでいいけど、奈桐もとなるとまた難しくなって困ってる』。そんな感じかな?」


「まさに、です。俺の心の中見透かさないでください」


「ごめんごめん。せっかく恋人になれたのに、それは早く改善させないとって悩んでるんだよね」


「その通りですよ……」


「はははっ! でも、そうかそうかぁ。ふむふむ」


 腕組みし、にこやかな表情のまま、少しばかり宙を見上げて考える奈桐パパ。


 俺もいったんはパパさんの方を見てたが、やがて彼から目を逸らし、横へ視線をやって軽くため息をついた。


 そう簡単に改善案なんて浮かばないよな。二人まとめてだもの。


「成君」


「はい。何ですか?」


「成君はさ、奈桐のこと好きかい?」


「そりゃあまあ。好きじゃなかったらそもそも付き合ってないですし、唯一の幼馴染で小さい頃からずっと一緒ですから」


「だよね。奈桐もさ、家じゃずっと成君の話してるんだ。今日は成がああで、こういうことがあって、あんなことを言ってくれて、それで――って具合にね。ほんと、ずーっと」


「な、なるほど……」


 そう言われると恥ずかしいな。俺も頭の中じゃ奈桐のことばかり考えてますよ。ええ。負けてません。


「何が言いたいかっていうとね。焦らなくてもいいんじゃないか、と思うんだよ。僕は」


「焦らなくても……ですか?」


 にこやかなまま頷き、パパさんは続けた。


「生まれた時からずっと一緒だ。ハイハイし始めた時も、物心ついた時も、奈桐の傍にはいつだって君がいた。それは今になっても変わらない。だろ?」


「それは……まあ」


「そもそも、恋人になる以前から君たち二人は好き合ってたんだ。言葉にしなくても互いに理解し合ってる。だから、本来はそんなもの不必要。わかり合ってるんだから」


「で、でも――」


「ああ。それは僕の考えでしかないよね。成君も、奈桐も、『好き』という愛情表現のプレゼントをお互いにあげたがってるんだよ。でも、今は恥ずかしくて簡単に言えない」


「っ……」


「いいじゃないか。だったら焦らないで。それを口にしなくても、君たち二人は充分すぎるくらい結ばれてるよ。言葉なんていう浅いところじゃなく、もっと深いところでね」


「です……かね?」


「ああとも。だから、安心していい。これは奈桐にも言っとくよ。ゆっくりでいいから、二人のペースで仲を今以上のものにしていけばいいよってね。焦ったっていいことなんて一つも無い。成君と奈桐は、既に愛し合ってる幼馴染なんだから」


 気付けば、俺は救われた気持ちになっていた。


 現状のままじゃダメだと思い込みすぎていたんだ。


 凝り固まった思考が、自分を責め、傷付けていた。


 許された気になり、肩の荷も下りた気がする。


 今すぐ奈桐に会いたい。強くそう思った。


「でも、素敵だよなぁ、二人の関係性」


「え?」


「生まれた時から一緒で、今こうして恋人同士だよ? 運命の赤い糸で結ばれてるとしか思えないよ。ほんと」


「……けど、これから先大変なことが起こるかもですし……」


 遠慮するように俺が言うと、奈桐パパは「いや」と首を横に振る。


「たとえそんなことが起こったとしても、二人を繋ぐ糸は切れやしないよ。成君も奈桐以外の女の子、考えられるかい?」


 考えられない。


 大切なのは奈桐ただ一人で、それ以外の女の子をここまで好きになるなんてこと、これから先も無いと誓える。


 俺が首を横に振ると、奈桐パパはにっこり笑んだ。


「僕もね、奈桐には成君以外の男なんてあり得ないと思ってる。というか、認めない。成君は僕の認めた男だし、それ以外の奴を奈桐が選ぼうものなら、その時は怒りの拳をまずはお見舞いするね。うん」


 それはただの暴力なのでやめた方がいいと思うのですが……。


「はははっ。まあ、冗談だけど。そんなこと起こらないって信じてる。君たちの仲は言うまでもなく絶対だし」


「……ありがとうございます」


「いえいえ。ふふっ。幸せにしてあげてくれ、僕の娘を」


 言われ、強く頷いた。


 すると、奈桐パパは「そうだ」と何か思いついたようで、俺のことを手招きする。


 とっておきの話をしてあげよう。とのこと。


「これはさ、僕が陽子を最終的に落とした方法なんだけど……」


「陽子さんを、ですか?」


「そう。ちょっと耳貸してくれる?」


 ここには二人しかいない。だからコソコソ話なんてしなくてもいいだろうに。


 そう思いながら、パパさんへ耳を貸す。


 けど、そこで教えてもらった『とっておき』は、目から鱗のものだった。


 俺もこの方法で奈桐へ想いを伝えたい。そう思えるほどに。

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