らめぇ!

宝あらかた

らめぇ!

 夏、快晴、南向きに建つマンションにて。

 家族の不在をたしかめて、私室ししつの鍵をかける。ベッドの上のふとんを抱えて、クローゼットに入って内側から戸を閉めた。この文章にあやまりはない。私は、私室の、クローゼットの、なかに入った。

 音が漏れないよう、肩からふとんをかけた。口を開く。


「らめぇ」


 ……違う。かわいく、甘ったるく、色はピンク、フォントなら丸く、これでもか! とハートを舞わせて。らめぇ、らめぇっ、……らめぇ、らめぇ~~~。あ、今のひつじの鳴き声っぽかったな。

 「らめぇ」。こんなんじゃ、ぜんぜんらめぇダメ



 春。はたちすぎのわたしは、専門学校と養成所を経て、運よく事務所に拾ってもらった「声優のたまご」だった。実際はスケジュールをバイトのシフトで埋めるフリーター。深夜のカラオケ店で、酒を出し、それによって噴出されたであろうゲロを清め、ときにはタンバリンを投げつけられて収入を得る。

 お芝居のやしになればいい。レンタルショップで(旧作3本100円という太っ腹なセールをねらい)映画DVDを、図書館で本を借りる。コンポでラジオを、テレビでアナウンスやナレーションを聞く。

 目を閉じる。

 耳をすませば、音のかたちがくっきりとする。原稿に起こして自分で読んでみると、自分のつたなさに打ちひしがれる。

 声の響きがとぼしい。喋り出しの高さが足らない。「あと少し」を、意識しないと。この語のアクセントを調べないと。舌の置く位置がおろそかになり、口形こうけいの取りが甘くなる。あ段とえ段があいまいになり、だらしない印象の読みになる。

 うたいあげるっていうのは、声を張ればいいわけじゃない。

 闘病する家族の暮らしに添うドキュメンタリー番組に、若く、健康で、はたちとすこししか生きてない、浅い、薄い、軽い、わたしをる理由がない。

 「こんなかんじで」、「それらしく」。

 そんなふうに原稿の文字を追っているだけだって、気づかれてしまう。


「ダメだ!」


 勤務終わりの朝が、いつのまにか昼になっていた。こよみの上では夏に差し掛かっているが、念のため加湿器のスイッチをONにして、マスクを着ける。

 ベッドの上で、からだをたまごのように丸める。こうして自然にひなかえったらどんなにいいだろう。迷いも焦りもあるけれど、ふとんにくるまるとまゆのようで、ぐっすり眠れた。



 夕方に起きると、マネージャーからLINEが届いていた。申し訳ありません、わざとではなく寝ていました、何卒ご海容かいよう下さいますようお願いいた……ではない。「下さいますよう、お願い申し上げます」が正しいと、恩師おんしに教わっただろう。

 おそるおそるトーク画面を開く。


『エロゲのオーデ、受けてみない?』


 エロゲ。


 よい子のみんなは知らないかもしれないので、書いておきますね。いわゆるエロゲと呼ばれているものは、アダルトゲームのことです。かわいらしい女性キャラクターたちと仲を深める、おもにおとなのお兄さんのためのゲームです。知らないからって検索しなくても大丈夫! まずはこれを最後まで読んでくれたら、わたしはうれしいです。


 高速で文字を打ち込み、返事をする。

 受、け、た、い、で、す、!


 ど下手くそだし、正直、自分のアルトの声質ではじかれそうだけど。

 ナレーション中心のボイスサンプルしか持っていなかったわたしは、せりふ中心の原稿を急いでこしらえた。さっそく翌日、声をっていただき、深々とれい。帰り道にマネージャーとふたりになった。


「悪いけど、記念受験だと思ってね。落ちて当たり前みたいなんじゃないと、やっていけないから」

「呼んでもらっただけ、ありがたいです」

「でもわかんないよ。どうする? 裏名うらめい。どういう系でいきたい?」


 なごませようする、マネージャーのやさしさがみる。

 この人は、わたしがオーディションに落ちても怒らずに、繰り返し励ましてくれるだろう。限りある枠にわたしをしてくれるだろう。わたしは選ばれなくてもいいけど、わたしを信じてくれている人にこたえたい。声でお給料をいただけたら? 使いみちはとっくに決めていた。

 エロゲは、女性キャラクターのイラストが可憐かれんかつ美麗びれいえがかれていることが特徴。エンドロールのクレジットまで、作品の雰囲気をそこねないような名前がいい。


「『ひな』とかかわいくないですか? ひなのとかひなことか。ひらがなだと柔らかくてやさしい雰囲気が出るし!」


 おおげさに、おどけて見せる。

 この頃、意識してつねに明るく振る舞っていた。それがたまごのわたしにできる強がりで、かれに差し出せる誠意だ。マネージャーの脚がぴたっと止まる。


「自分、そういうのが似合うタイプだと思ってる?」


 ヤダぁ、顔コワぁい、違いますぅ、似合わないタイプだって確認したかっただけなんですぅ。

 しかし、裏名を想像するだけで楽しくなれるわたしは、なんとおろかでおめでたいいきものなんだろうか。そのまま深夜働き、朝眠り、の日々を繰り返すと着信がある。スマホの液晶画面が、マネージャーからの電話だとしらせている。きっちり3コールめで「通話」のボタンを押した。わたしも少しは社会人とやらをやれているだろうか。


「おはようございます、おつかれさまです、お世話になっています」

『とおったよ』

「とおった?」

『エロゲ』


 耳をうたがう。


「えっ!」


 なんとテープ審査に通った。収録スタジオにて、実際の声と芝居を制作側に聞いていただける、らしい。


 『あとでメールでもLINEでも送るけど……』


 日程、待ちあわせ場所を復唱しながら、慌てて近くのペンを握り、スケジュール帳に書き記す。

 「エロゲ オーデ」。

 きっとこんな日がいつか来る、そう信じて、夜に働いていた。

 文字がいつまでもきらきら光って見えるのは、黒くて太い油性インクのかわきが遅いせいだ。べつに。うれしくて泣いてなんかないんだからね。



 さて。いまのところ『声優のたまごのわたしがラッキーにもエロゲの最終オーデに進んじゃった話』と題していいだろうが、申し訳ない。もうひとつ『わたし』の情報を足して、改めたい。

 『声優のたまごのわたしがラッキーにもエロゲの最終オーデに進んじゃった話』です。


 ……でも、実際に犯罪をおかさないと犯罪者の役ができない、なんてない。だって異世界転生してなくても、悪役令嬢じゃなくても、物語は書ける。


 情報ろう洩の観点から、先方から事前に詳細な資料はいただけなかった。当然である。オーデの日までにできることはたくさんある。自分の音声ファイルで重いWindows meを立ち上げ、片っ端からゲームメーカーをお気に入りに登録、フォルダを作成、各ゲームタイトルの公式ホームページを追加。諸先輩方が演じられたキャラクターのボイスサンプルを拝聴し、せりふをメモさせていただく。シナリオご担当者さま、個人に使用に留めますので、何卒ご容赦ようしゃください。

 

 作業が終わり、メモを、せりふたちを読む。

 どうしよう。嫌悪感けんおかん微塵みじんもないが、自分の知らないことばで編まれた緻密ちみつな世界にくらくらした。2段、3段飛ばしで飛び込むなんて、わたしにはできそうにないから……頻出ひんしゅつすることばから慣れていこう。


 そこで耳に留まり、目をつけたのが、「らめぇ」。


 「らめぇ」とは、「駄目ダメ」。否定の意をあらわすことばだ。しかし呂律ろれつが回らなくなり、ダ行がラ行に流れ、「らめぇ」と聞こえるのである。「らめぇ」isマスト。「らめぇ」、決めたい、おさえたい――。


 冒頭に戻ろう。

 夏+南向き+クローゼットに引きこもる+ふとんをかぶってあえいでいる(芝居をする)イコール視界が白んでいく。あー……らめぇ。



 最後の「らめぇ」はよかったんじゃないか?

 自分で言うのもなんだけど、せまるものがあった。酸欠さんけつになっているから当然か。った先のキッチンの蛇口をひねり、ぬるい水を飲みながら、ひとりで笑った。



 このあと同じふうに練習を重ねた。汗をぬぐいながら録音した音声を聞いていると、なにがなんだかわからなくなってくる。うまい、へたの次元ではなく、成立しているんだろうか。しかしやや単調な印象を受ける。もっと息を使って、緩急をつけて……ともかく。かわいく、甘ったるく。色はピンク、フォントなら丸く、これでもか! もっと。もっともっと、ハートを舞わせて!



 迎えたオーデ当日の記憶は薄い。悩んだ挙句あげく、襟のついた紺のワンピースを着てスタジオへ向かった。夏の盛りの暑い日だった。

 



 さて、いまのわたし。

 エロゲにはちからおよばず、「ひな」を名乗ることはなく、たまごのまま終わってしまった。

 あの白い繭。いつどうして手放してしまったのか、もうすっかり思い出せない。


 だけど残ったものもある。

 文章を書くこと。

 勉強しているわけではないから、らめぇ! だらけのお作法の、取るに足らないものだろう。わかっている、それでも書いて、書き続けている。それはきっと、ここまで読んでくれるあなたがいるからです。



 キーボードの上で、わたしの指はよくさまよう。

 このキャラクターのせりふ。読点の「、」でいいかな。想像する。息は、浅いのか深いのか、早いのか溜めてるのか。溜めてるなら三点リーダにしようかな。……は、わたしがつい頼ってしまう表現記号だ。だって……ってつけると、それっぽい。情緒漂うっていうか、情感が高まるかんじがする。たとえば、


 マネージャー。お給料で、もっとたくさんおいしいごはんを、わたしがご馳走して差し上げたかったです……。


 こんなふうに。


 くたびれたスケジュール帳を開く。

 油性ペンで書いた『エロゲ オーデ』の文字は褪せず、真っなまま、ひとつ前のページに裏映うらうつりまでして消えない。小さな星の戦績せんせきは、ずばりわたしの歴史。

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