らめぇ!
宝あらかた
らめぇ!
夏、快晴、南向きに建つマンションにて。
家族の不在をたしかめて、
音が漏れないよう、肩からふとんをかけた。口を開く。
「らめぇ」
……違う。かわいく、甘ったるく、色はピンク、フォントなら丸く、これでもか! とハートを舞わせて。らめぇ、らめぇっ、……らめぇ、らめぇ~~~。あ、今のひつじの鳴き声っぽかったな。
「らめぇ」。こんなんじゃ、ぜんぜん
春。はたちすぎのわたしは、専門学校と養成所を経て、運よく事務所に拾ってもらった「声優のたまご」だった。実際はスケジュールをバイトのシフトで埋めるフリーター。深夜のカラオケ店で、酒を出し、それによって噴出されたであろうゲロを清め、ときにはタンバリンを投げつけられて収入を得る。
お芝居の
目を閉じる。
耳をすませば、音のかたちがくっきりとする。原稿に起こして自分で読んでみると、自分の
声の響きが
うたいあげるっていうのは、声を張ればいいわけじゃない。
闘病する家族の暮らしに添うドキュメンタリー番組に、若く、健康で、はたちとすこししか生きてない、浅い、薄い、軽い、わたしを
「こんなかんじで」、「それらしく」。
そんなふうに原稿の文字を追っているだけだって、気づかれてしまう。
「ダメだ!」
勤務終わりの朝が、いつのまにか昼になっていた。
ベッドの上で、からだをたまごのように丸める。こうして自然に
夕方に起きると、マネージャーからLINEが届いていた。申し訳ありません、わざとではなく寝ていました、何卒ご
おそるおそるトーク画面を開く。
『エロゲのオーデ、受けてみない?』
エロゲ。
よい子のみんなは知らないかもしれないので、書いておきますね。いわゆるエロゲと呼ばれているものは、アダルトゲームのことです。かわいらしい女性キャラクターたちと仲を深める、
高速で文字を打ち込み、返事をする。
受、け、た、い、で、す、!
ど下手くそだし、正直、自分のアルトの声質で
ナレーション中心のボイスサンプルしか持っていなかったわたしは、せりふ中心の原稿を急いで
「悪いけど、記念受験だと思ってね。落ちて当たり前みたいなんじゃないと、やっていけないから」
「呼んでもらっただけ、ありがたいです」
「でもわかんないよ。どうする?
この人は、わたしがオーディションに落ちても怒らずに、繰り返し励ましてくれるだろう。限りある枠にわたしを
エロゲは、女性キャラクターのイラストが
「『ひな』とかかわいくないですか? ひなのとかひなことか。ひらがなだと柔らかくてやさしい雰囲気が出るし!」
おおげさに、おどけて見せる。
この頃、意識してつねに明るく振る舞っていた。それがたまごのわたしにできる強がりで、かれに差し出せる誠意だ。マネージャーの脚がぴたっと止まる。
「自分、そういうのが似合うタイプだと思ってる?」
ヤダぁ、顔コワぁい、違いますぅ、似合わないタイプだって確認したかっただけなんですぅ。
しかし、裏名を想像するだけで楽しくなれるわたしは、なんとおろかでおめでたいいきものなんだろうか。そのまま深夜働き、朝眠り、の日々を繰り返すと着信がある。スマホの液晶画面が、マネージャーからの電話だと
「おはようございます、おつかれさまです、お世話になっています」
『とおったよ』
「とおった?」
『エロゲ』
耳を
「えっ!」
なんとテープ審査に通った。収録スタジオにて、実際の声と芝居を制作側に聞いていただける、らしい。
『あとでメールでもLINEでも送るけど……』
日程、待ちあわせ場所を復唱しながら、慌てて近くのペンを握り、スケジュール帳に書き記す。
「エロゲ オーデ」。
きっとこんな日がいつか来る、そう信じて、夜に働いていた。
文字がいつまでもきらきら光って見えるのは、黒くて太い油性インクの
さて。いまのところ『声優のたまごのわたしがラッキーにもエロゲの最終オーデに進んじゃった話』と題していいだろうが、申し訳ない。もうひとつ『わたし』の情報を足して、改めたい。
『声優のたまごの男性経験のないわたしがラッキーにもエロゲの最終オーデに進んじゃった話』です。
……でも、実際に犯罪を
情報ろう洩の観点から、先方から事前に詳細な資料はいただけなかった。当然である。オーデの日までにできることはたくさんある。自分の音声ファイルで重いWindows meを立ち上げ、片っ端からゲームメーカーをお気に入りに登録、フォルダを作成、各ゲームタイトルの公式ホームページを追加。諸先輩方が演じられたキャラクターのボイスサンプルを拝聴し、せりふをメモさせていただく。シナリオご担当者さま、個人に使用に留めますので、何卒ご
作業が終わり、メモを、せりふたちを読む。
どうしよう。
そこで耳に留まり、目をつけたのが、「らめぇ」。
「らめぇ」とは、「
冒頭に戻ろう。
夏+南向き+クローゼットに引きこもる+ふとんをかぶって
最後の「らめぇ」はよかったんじゃないか?
自分で言うのもなんだけど、
このあと同じふうに練習を重ねた。汗を
迎えたオーデ当日の記憶は薄い。悩んだ
さて、いまのわたし。
エロゲにはちから
あの白い繭。いつどうして手放してしまったのか、もうすっかり思い出せない。
だけど残ったものもある。
文章を書くこと。
勉強しているわけではないから、らめぇ! だらけのお作法の、取るに足らないものだろう。わかっている、それでも書いて、書き続けている。それはきっと、ここまで読んでくれるあなたがいるからです。
キーボードの上で、わたしの指はよくさまよう。
このキャラクターのせりふ。読点の「、」でいいかな。想像する。息は、浅いのか深いのか、早いのか溜めてるのか。溜めてるなら三点リーダにしようかな。……は、わたしがつい頼ってしまう表現記号だ。だって……ってつけると、それっぽい。情緒漂うっていうか、情感が高まるかんじがする。たとえば、
マネージャー。お給料で、もっとたくさんおいしいごはんを、わたしがご馳走して差し上げたかったです……。
こんなふうに。
くたびれたスケジュール帳を開く。
油性ペンで書いた『エロゲ オーデ』の文字は褪せず、真っ黒なまま、ひとつ前のページに
らめぇ! 宝あらかた @takaraarataka
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