とある店内、あの日の呼び出し①

 ミサキと行った居酒屋で食事をし、お酒も飲んだ。

 隠れ家的なお店で、各部屋は完全個室だったので他の客に気兼ねすることなく酒を飲めるのは良かった。バイトの職場近くにこんな良い店があるとは知らなかった。

 店を出て、俺は自分の部屋に戻る必要があることを思い出した。


「ミサキ、俺一回帰んないとなんだけど」

「んー、そうなの?」


 以前カラオケに行った時、ミサキもそれなりに酒には強いのはわかっていたが、それでも今日は日本酒メインで飲んでいたこともあり、ミサキの顔も酔いで少し紅潮している。俺も似たようなもんだろう。


「じゃあユウくんちあがらせてよ」

「いいけど」


 と、俺はミサキと一緒に、自分の住むアパートまで一緒に向かった。歩き慣れた道だが、ミサキと一緒に歩いていることを考えると妙な緊張があった。

 無事にアパートに到着し、開錠して扉を開ける。


「ただいま」


 当然部屋には誰もいないのだけれど、実家でずっと言ってきた癖がまだ抜けていなくて、俺は帰る時に思わず小声で言うことが少なくない。


「ふふ、おかえりー。入るねー」


 俺が玄関の扉をくぐり、ミサキがそれに続く。ミサキが入ってきたのを確認して、玄関の鍵を俺が閉めたところで、ミサキは俺に抱き着き、俺に唇を重ねてキスをした。俺もそれに応えて、彼女の口の中で舌を絡める。お互いにアルコールの匂いがして、ほろ酔い気分の上に酔いが更に回るような気がした。


「ねえユウくん」


 唇を離すと、ミサキは俺の胸に手を置いた。


「今日、泊まって良い?」

「……いい、けど」


 ミサキの言葉に、俺は頷く。


「ミサキは大丈夫なの?」

「今日は配信も終わったし大丈夫」

「なら良いけど。ドライヤーとかそういうのウチないよ」


 俺が言うと、ミサキは自分の荷物を指し示した。


「その辺の道具はもしもの時のために持ってる」

「そうなんだ」


 もしかして最初から泊まる気だったのだろうか。


「着替えは?」

「着替えはない。パジャマと洗濯機貸して」

「ミサキのとこと違ってあんま乾燥されないよ」

「明日の予定も今日と似たり寄ったりだから、大丈夫」


 そこまで言われて、俺も特にそれ以上言うことはなかった。

 俺が明日の用意をしている間、ミサキが先にシャワーを浴びることになり、その間にミサキの着れそうな寝巻きも探した。とは言え、俺は寝巻きを一着しか持っておらず、洗濯で乾かしたばかりのブカブカの寝巻きかTシャツをミサキに着てもらうしかない。


 俺は寝巻きの上下とTシャツだけ持って脱衣所に行き、着替えとタオルを置いておくことをお風呂場の扉越しにミサキに伝えて明日の大学の準備をする。念の為、二日後に必要な教科書やノートも通学鞄の中に入れた。


「お風呂ありがとー」


 明日の準備もすっかり終わる頃、髪の毛にタオルを巻いたミサキが脱衣所から出てきた。

 ぶかぶかのグレーの服を着ているせいで、首を出すところから両肩ともが見えている。濡れた髪と少し艶やかな肌が、彼女の家の風呂上がりの時より、少しだけ際立って見えた気がした。普段寝巻きの方を選んだようだったが、下を履いていない。


「ユウくんの匂いー」

 

 ミサキは寝巻きを顔のところまでズリ上げて、着ている服の匂いを嗅いだ。下を履いてないせいで、美咲のお腹から下が露わになる。こればかりは何度見ても目のやりどころに困る。


「洗濯したばっかなんだけど」

「柔軟剤買った方が良いよ」

「下は?」

「ブカブカ過ぎてズリ落ちちゃう」

「紐結べば……まあいいや。俺も入る」

「はーい」


 俺もミサキに続いてシャワーを浴びた。

 当たり前だけれど、脱衣所もお風呂場もミサキが使った後なので、普段自分が風呂に入る時よりも湿度が高い。そんな些細なことが気になりつつ、お湯を頭から被って少しずつ酔いも覚めてきた。 

 今夜はさておき明日の朝、ミサキをどうするか。今日と似たり寄ったりの予定と言っていたし、多分また俺の方が家を先に出ることになるのだが、鍵をどうするかの問題が出る。布団も一つしかないので狭い中に一緒に寝るしかないがどうするか。そんなことを考えているうちに体を洗い、着替えを終えた。

 ミサキは髪の毛をヘアアイロンで整えている最中だったので、コップに水をくんで自分の分をすぐに飲み、二杯目を彼女の近くに置く。


「ありがとー」


 髪の毛を整えながらミサキは俺に笑いかける。


「ミサキ、寝るとこどうする?」

「一緒に寝れば良いじゃん」

「狭いよ」

「くっ付いて寝るから良い」

「そっか」


 俺が他で寝ると言っても聞かなそうだ。まあ最悪、俺が半身床にハミ出れば良いか。

 俺はミサキが髪を整えている間に布団を用意する。歯ブラシはミサキの分として新しいのを出し、彼女に渡す。俺が歯磨きをしている最中にリビングに置いたままだった俺のスマホをもってミサキが脱衣所に入ってきた。


「電話鳴ってる」

「誰?」

「片桐オーナーだって」


 俺は急いで口を濯ぐ。いつも通り、仕事の依頼の電話だろう。ただ、もう店も閉まる頃だろうし、これだけ遅くにかけてくるのは珍しい。俺はミサキに「ありがとう」と感謝して、スマホを受け取り通話ボタンを押した


「もしもし」

「遅い時分に済まないね」

「いえ、仕事ですか?」

「まあね。明日、新人研修がある。明日は客足の多い曜日で人手も要るし、見込みのある子だからあんたにも早いうちに様子を見てもらおうかと思ってね」

「急ですね」


 片桐さんは、いつもは遅くても一週間前にスケジュールを伝えてくるので明日来れないか、の連絡も珍しい。


「甘えてるみたいで悪いね。こっちから頼んどいてあれだけど、全然無理しなくて良いからね」

「いえ、行きますよ」


 特に断る理由もない。片桐さんが期待する新人というのが気になる気持ちもあるし。


「ありがとう。じゃ頼んだよ」

「はい、では明日」


 片桐さんとの通話を終える。

 ミサキは俺が電話してる間ずっと脱衣所の入り口に立って静かにしていた。


「何の電話?」

「バイトの呼び出し」

「それって、あの、えっちなお店の方?」


 ミサキが少しだけ俺の目を睨むように見た。


「うん」

「ずいぶん急だね?」

「急な呼び出しは珍しいよ。片桐オーナー、その辺しっかりしてる人だから」


 俺は一応、スマホで明日の予定を確認した。特に問題はなさそうだ。予定を確認している間、出勤時間や仕事内容について書かれているメールも片桐さんから送られてきた。


「ふーん、あたしみたいな可愛い子ほっぽってえっちなお店行くんだ?」

「仕事だからね?」

「わかってるー。でも、やっぱり心配は心配」

「ミサキだってアイドルの仕事もASMR配信もやるでしょ」

「あたしは提供する側だけど、ユウくんは違うから」

「なにそれ」


 ミサキの言っている意味がよくわからず、俺は思わず噴き出す。ミサキはそんな俺の腹を軽く小突いて、さっき渡した歯ブラシを使って歯磨きを始めた。


 結局、俺とミサキは二人で一つの布団の中で抱き合いながら寝た。途中一度布団の端っこの方に移動しようとしたがミサキは「行っちゃヤダ」と俺のシャツの布団を掴むので、俺は小さく息を吐いて、彼女の頭を自分の方に抱き寄せた。

 結局ミサキは下は履かずに布団に入ったので、下の寝巻きは俺が履いた。ミサキは昨夜と同じように横になりながら脚を俺に絡めてきて、彼女の下半身の肌の感触が、寝巻き越しによく伝わった。


 俺はミサキを抱き寄せたそのまま眠りにつく。何だかドッと疲れたような気がして、よく眠れた。

 アラームの音で朝起きると、乗る予定だった電車の時間を過ぎていて俺は慌てて布団から飛び出た。ミサキはまだ布団に入ったままだったが、急いで着替えをして、次の電車の時間を調べる。一限の講義開始には、何とかギリギリ間に合いそうだ。


「ごめん、ミサキ。俺もう行く。鍵、玄関ポスト入れとくから」

「んー、行ってらっしゃい」


 ミサキはゴシゴシと目を擦り、横になったまま両腕を伸ばす。


「ちゅー」


 そう言って唇をわずかに突き出すミサキの口に、俺は一瞬だけキスをして、大学に向かった。

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