乙女に囲まれ、ある日の労働①

「先輩、今度お店に来ることはできますか?」


 いつものように部室に来ていた美咲からそう言われたのは、野々村先輩が部室に来てから一週間くらい経っての頃だった。


「今度って?」

「できれば次の土曜日の午前中なのですが」


 急な質問に戸惑ったが、それなら基本空いている時間だし、問題はなさそうだった。また以前の茉莉綾さんみたいな問題でもあったのだろうか?


「あそこって朝もやってんの?」

「いえ、お昼過ぎからです」

「え? じゃあ何で?」

「実はですね」


 美咲は自分のスマホの画面を俺に見せた。


「この間の写真じゃん」


 美咲が見せてくれたのは、美咲が在籍している見学店のHPだった。その中にあるキャスト紹介ページの中に、俺がこの間自宅で美咲を撮った時の写真が数枚掲載されている。勿論、俺が撮ったままではなく、美咲の顔がハートマークで隠されたり、美咲が大きく映るように全体的にトリミングされたり、背景が多少ボカされているなどの加工はしてある


「採用されたんだ?」

「ええ。目論見通りです」


 美咲はスマホ画面を俺に見せたまま、誇らしげに胸を張る。


「それだけでなく、お客さんのアンケートでも、私の写真の評判が良いことがわかりまして」

「へえ」

「この写真を見て来たという新規の客も何人かいたんですよ。流石先輩です。本当にありがとうございます」

「いや、俺は、別に」


 あまりにストレートに感謝されたものだから面食らってしまった。

 それに、よしんばこの写真のおかげで美咲の指名が増えたのだとしても、それは現場での美咲の魅力があるからで、俺の力は特に影響しないと思う。


「そんなことありません。先輩の写真のこと、お客さんの評判が良いだけじゃなく、他のキャストも羨ましがっていまして。それでオーナーが、この写真を撮った人を連れて来れないか、と」

「は? マジで言ってる?」

「はい。他のキャストの写真も撮ってくれないか、と。あ、当然謝礼は出すそうです」

「マジか」


 俺はプロのカメラマンでもなんでもない、ただの普通の大学生だ。写真を撮る技術だってない。ただただ美咲のことを知っている人間として、彼女が魅力的に見える写真を模索していただけだ。

 そりゃ自分が撮った写真が、見学店の紹介ページとは言え、世に出て評価されているというのは悪い気はしない。けれど、どこか騙しているような心地にはなってしまう。


「だから、オーナー直々に一度先輩さえ良ければ面接をしたいと」

「でも俺なんかさ」

「それを判断するのは先輩ではなく、オーナーです」

「……まあ、それもそうか」


 美咲の妙に強い説得もあり、彼女の紹介で俺はその週の土曜日、再び見学店を訪れることとなった。それも今回は客としてではなく、アルバイト候補として、だ。


 最初は美咲も一緒に行くと言い出していたが、紹介とは言え俺の面接なんだったら俺がちゃんと受けて来るよ、とその申し出は断った。


 俺は土曜日までの間に散髪をして履歴書を書き、普段は着ないスーツをクリーニングに出して身なりを整えた。先日の野々村先輩の言い草じゃないが、俺もそろそろ就活に力を入れなくてはいけなくなる時期だ。バイト面接とは言え、こうして自分の服装を早めに気にしておくのは良い機会だとも思った。今俺がしているバイトは塾講師とたまの家庭教師くらいだし、風俗系とは言え、他の職場の雰囲気を経験するのも悪くない。


 土曜日の午前に訪れる見学店は、当然のことだがスタッフやキャスト、客もおらずに静かだった。スタッフルームの場所は美咲から聞いていたので、店の裏側からそこまで入ってオーナーの面接を受ける手筈だ。


 俺はなんとかスタッフルームの扉を見つけると、扉をノックした。だが、返事がない。

 俺はもう一度扉をノックして、少しだけ大きめの声を出す。


「すみません。ありさの紹介で来ました、本日面接予定の者ですが」


 返事を待つ。しばらくすると、キィという金属音と共にスタッフルームの扉が開いた。


「あんたがそうか。早かったね」


 扉を開けたのは、俺と同じくらいの背丈をしている背の高い女性だった。

 黒のライダースジャケットを羽織り、髪は金と茶色のメッシュで綺麗に染め上げている。両耳にも円形の大きな金色のイヤリングをぶら下げており、目元周りもかなり黒くメイクアップしている。

 年齢は顔の見た目ではわからなかったが、ドアノブにかけている手の骨ばって皺のある様子から、俺よりは二回り以上は歳上なのではないかと推測した。


「入んな。形式とかは気にすんな。あんたもそっちの方が気が張らずに良いだろ」


 そんなこと言われても、じゃあお言葉に甘えて、などと砕けるわけにも行かない。扉を離し、スタッフルームの奥の方に行くその女性が入り口に顔を向けて椅子に座るのを確認すると、俺も部屋に入り、扉をゆっくりと閉めるとお辞儀をしてから靴を脱いで揃え、女性の向かいに置いてある椅子の後ろに立つ。


「座って良いよ」

「ありがとうございます」


 ライダースジャケットの女性にそう言われ、俺はもう一度お辞儀をしてから足を揃えて静かに椅子に座った。


「あたしがこの店のオーナーやってる、片桐だ」


 ライダースジャケットの女性はそう名乗った。俺もそれに続いて、挨拶をして、鞄の中から履歴書を出した。片桐さんは一応その履歴書は受け取ったものの、中身を読んだりはせず近くにあるテーブルの上にポンと置いた。


「今日はありがとうね。あ、勘違いすんなよ。普段の面接は店長とかがもっとちゃんとやってっから」

「そうなんですか?」

「そりゃそうだ。こんな態度の面接官のいるとこで働きたくないだろ?」


 また返答に困る質問だった。迂闊にそうですね、とも言えない。

 

「美咲や茉莉綾、それにかなでからあんたの話は多少聞いちゃいるんだ。だからあたしも変に取り繕うことはないだろ。あんたもそう」

「それはそうですね」


 奏と言うのが誰のことか一瞬分からなかったが、古宮さんのことだ。そう言えば古宮さんもこの店のオーナーとは知り合いなのだと言っていた。


「じゃあ、ある程度緊張ほぐしてはおきます」

「緊張してんの?」

「緊張はしてます」


 そもそもオーナーがこんなパンクな女性だということも、俺は知らなかった。紹介だろうがなんだろうが、店の責任者を前に緊張するのは当然だ。


 そんな俺のことを片桐さんはマジマジと見る。


「美咲と茉莉綾が惚れ込んでるって言うからどんな男が来るかと思ったが、なるほどね」


 そのなるほどは何にかかっているのか気になってしょうがなかったが、これも迂闊に聞けない。後、惚れ込んでるってのは違うと思うというのも訂正したかったが、こっちは言葉の綾だろう。


「あたしが今回あんたに頼みたいのは、ひとまずキャストの写真撮影なんだけど、構わないかい?」

「はい、聞いてます。そちらさえ良ければ」

「じゃあさっそくなんだけど、店の案内してもいいかい?」

「へ?」


 流石にこれにはノーリアクションと言うわけにはいかず、俺は思わず素っ頓狂な声をあげた。


「採用ってことですか?」

「ひとまずはね。そりゃ駄目だと思ったら帰すが、さっきも言ったようにあんたのことは皆から聞いてんだ。だから、あんたさえ良ければ全然良い。ん? 一応確認だけど、やってくれる意思はあるから来たんだよね?」

「は、はい。そうです」

「じゃあオーケー。合格だよ。ウチに遊びに来たことはあるんだろ? なら、そこまで詳しい説明はいらないのかもしれないが」


 俺は椅子から立ち上がり、スタッフルームから店の中に向かうドアを開けた片桐さんの後を追った。


「本来ならバイトとは言え、スタッフをキャストの紹介で雇うことはないんだけどね」

「そうなんですか? それなのに……私を?」

「取り繕わなくて良いって言ったろ。もっと自然で良いよ」


 ここまで言わせてるのに、俺がいつまでも固過ぎる態度のままなのも逆に失礼か。


「わかりました。じゃあ、改めてお聞きします。紹介はダメなのに今回俺を呼んでくれたのは何故ですか?」

「今回の仕事は店のスタッフじゃなく、カメラマンだからね。特別だ」

「因みに紹介がダメな理由は?」

「スタッフとキャストの仲が良すぎると、それ以外のキャストからの不満が溜まる。たとえ実情は違うのだとしても、あのキャストは知り合いだから贔屓されて見逃されてる、とかそういう噂が立つのを止めるのは難しい。同じ理由で、うちで遊んだことある奴を採用する可能性はほぼゼロだね」


 なるほど。聞いてみると納得の理由だった。しかしそうなると、聞けば聞くほどに今回の俺はかなり特例で呼ばれたこともわかったので、こちらも自然に肩の力が抜ける。


「まあ? あたしの前でそんなことが許されるわけないんだけどね!」

「確かに片桐オーナーの前であからさまにそんなことしたら許してもらえなさそうです」

「お、言うねえ。調子が出てきたかい?」

「多少」


 片桐さんは一度足を止め、まじまじと俺の顔を見ると、うんうんと嬉しそうに頷いた。

 俺は片桐さんの案内に従い、店の待合室まで来た。客として来た時は、ガラスの向こう側だったあそこだ。確かにこちら側から見ると、ガラスがあったところは鏡張りに見えてはいるが、うっすらと反対側が見えるようになっている


「美咲からも聞いてたんですが、割と見えますね」

「今はね。営業時は個室向きに明度を下げてほぼ鏡になるようにしてる。女の子たちを見ながらちんちん出したり喘いだり、そういうのを見続けるのも男慣れしてない子には厳しいからね」

「そっちの方がキャストも安心だからってことですか?」


 片桐さんは「その通り」と俺に向けて親指を立てた。


「なるほど、そんな配慮が」


 俺は個室の方にあるマジックミラーに近づく。営業時はカーテンで個室側と待合室は分けられていたけれど、今はカーテンが開いているので待合室側からも個室側のガラスが見える。


 薄く鏡に映る自分をじっと見ていると、その後ろに片桐さんが立った。


「あんた、他の見学店に行ったことは?」

「ないです。ここに来たのも古宮さんの紹介があってのことですし」

「ああ、あの時もホントあんたには世話になったね」

「いや、俺は何もしてません」


 俺は一度客として茉莉綾さん──すずかさんを指名してそのパフォーマンスを見たくらいだ。ある意味ではこっちはお世話になったが、俺の方は特に何もしていない。


「何もしてないのが良かったんだよ。あたしも気をつけてはいたんだけど、あの子はこういう店で働きたいとは言ってたけど、男には慣れてなかったからね。そんなとこにマナーも守れねえクソ客が来ちまったもんだから」

「災難でしたね」

「でも、そんなところにあんたや美咲みたいな、安心できる客が来たのは救いさね。次の客ももしかしたら、って不安で押しつぶされそうになってた茉莉綾にとっては、それだけのことが安心に繋がったんだよ」


 そういうことなのか。二度目に来た茉莉綾さんのパフォーマンスや、喫茶店でデートした時の彼女からはあまりそんな様子は見られなかったけれど。


「他の見学店でここまでキャストに配慮する店もそうそうないからね。なんなら、客側の明度マシマシで女の子側からも客のツラが完全に見えてるとこもある」

「それ嫌すぎません? なんでそんなこと」


 美咲もそんなことを言っていたが、それだとマジックミラーの意味がないのでは。


「そっちの方が客ウケが良いんだよ」

「客ウケ?」


 鏡の向こう側で、片桐さんが頷くのが見えた。


「こういう風に、キャスト側から鏡に見えるようにするってことは、あんたも客として来たことあるんだから分かると思うけど、客の方からは多少見えづらいんだ。だけど、明度を上げて透過率をあげれば、それは普通のガラスとほぼ変わらない」


 マジックミラーの特性か。聞いたことはある。加工によっても、透過率は異なるので、光の調整によっては、ただの鏡のようにもガラスのようにも見せることができるからこそのマジックミラーだ。


「こんな仕事で何を生ぬるいことをなんて言うやつもいるけど、あたしはね、女の子達には出来る限り、嫌な思いをしてほしくないんだよ」


 そう語る片桐さんの表情は真剣そのものだった。最初はこの人の格好や口調に面食らってしまったが、なるほど、キャストの皆にとっても慕われる人なんだろうというのを今は感じる。道理で美咲からも茉莉綾からも、オーナーの話を聞いたわけだ。


「片桐さん、良いオーナーなんですね」

「……だろ?」


 鏡に映る向こう側で、片桐さんはまたサムズアップをしてみせた。

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