ミサキ・モラル・クライシス
宮塚恵一
第一部 美咲とのある日
文芸サークル、ある日の日常
「美咲、小説ってどうやったら読まれるんだろうな」
「それはまた根源的な問いですね、先輩」
大学のサークル棟の一室。俺は自前のノートパソコンを開き、Web短編コンテストに向けた小説を書いていた。サークル活動としては、今度のイベントで頒布する分はもう書き終わっている為、こっちは趣味だが、家にいるよりは集中できる。
だが、正直ネタ切れだ。何を書いたら良いか、何を書きたいかがいまいち浮かんでこない。プロでもない身としてこの言葉を使うのはいささか気が引けるが、スランプというやつである。
今部室にいるのは俺と美咲の二人。
他のメンバーは来たり来なかったりで、大抵はこの二人で小説談義をするのが我らがサークルの日課だ。
「商業的な流行り、世間的な流行り、ネット上の突発的なバズ。小説が読まれる為の要因は色々ありますが」
「そりゃな」
「Web小説の場合、各サイトやジャンルごとの傾向みたいなモノもありますよね」
「何だかんだ異世界転生モノは鉄板だしな。あれは書く側と読む側とでジャンルの共通認識がされているのがデカい。選考で漫画家や作家などの創作者を主役にした作品がウケることがそれなりにあるのもこれだろう。何なら、古今東西の流行りは全てそうだとも言える」
「私や先輩も投稿する小説投稿サイトだと、他には吸血鬼モノなんかも人気ですね」
「吸血鬼は根強いよな。俺も好きだ。スパダリ的な男の吸血鬼から、ちょっとえっちなヒロイン吸血鬼まで幅広い。そこから派生して主従モノも読まれやすい感覚がある」
「吸血鬼じゃなくても、宇宙人とか人外との交流、特に恋愛モノは強いです。後は無人島漂着モノとかも意外に読まれます。そして読まれたいのであれば、流行りのチェックとそれを表現する力は必須です」
実際のところ、どんなジャンルであってもその時々の流行りの変遷というのはある。今俺達があげたジャンルも、いつまでも人気とは限らない。
「一応気付いたこととしては、それらのジャンルって割とポルノからの派生だと思うんですよね」
「ほう?」
「ネットの
「身も蓋もない」
全面同意はできないが、美咲の言っていることにも一理ある。技巧を凝らした作品や、ユーモア弾けた作品、何十万字を超える超大作まで、今やこの国には素人からプロまで、色々な作家の書いた小説がよりどりみどりだが、結局のところ一番強いのは「自分はこれが好きなんだ!」を恥ずかしげもなく披露した上で「私も!」という賛同者がつくような性癖に忠実な作品であると思う。
「エロ関係で言うと、NTRが人気ですよね。今、最も旬な流行ジャンルと言えばやはりこれでしょう。サレ妻シタ夫なんてのも」
NTR。いわゆる寝取り・寝取られ。
主に寝取られの方を指す場合が多い。
自分の彼氏彼女やパートナーなどが第三者によって寝取られる様を描く作品群だ。
男向けエロの場合、自分自身が意図していない状態で、彼女や妻が他の男に性的依存に陥っていくことに快感を覚える、のだそうだが。
「あー、俺あれはあんまわかんない。歪んでんなー、と思う」
「歪んでるとか言い出したら負けですよ先輩。フィクションに救いを求めるような我々は、少なからず社会との歪みを持つものなのですから」
「それを言われるとな」
またまた身も蓋もない。本の虫、
「後はやはり、だが断るな某漫画家も言っていた通り、作品のリアリティじゃないでしょうか」
「そうな。リアリティな」
「リアリティこそが作品にエネルギーを吹き込む。その通りだと思います。勿論、フィクションである以上、決して
「一時期ちょっと話題になった、作家は経験したことしか書けないってのも一理あるよな。ミステリー作家は人を殺してるってのか? みたいなことを言ってた奴もいたけど、それは揚げ足ってもんでさ。ミステリー作家だってそれまでのミステリー作品や実際の事故事件、様々な情報を頭に入れて取材をした上でリアリティを構築してるんだから」
「SFも同じです。スペースオペラ作家は宇宙へ行っているわけではありませんが、そこに描かれる人間模様は現実のそれです。思考実験的に、現実とは離れた世界観を描く優れた作品もあるにはありますが、マニアはともかく、そうした作品はあまり一般には好まれません。想像がしづらい、共感がしづらい、つまりリアリティを感じにくいからですね」
とまあこんな感じで、面白い小説とはなんだろう、どういう作品を書くと面白いだろう、といった話題を、特に目的もなく美咲と話すのがいつもの日常だ。
「そこで本題なのですが」
「本題? 今までのは何だったの?」
「前置きです」
なげぇ前置きだな。良いけど。
「フィクションを描くためにエロは重要です。その為、我々はエロに対して貪欲である必要があります」
そこで、と美咲はわざとらしく指を立てた。
「リアリティ追求、流行りの感覚の為、
「は?」
──今、なんて?
「ですから処女です。処女喪失ですね。ヤリチンと名高い金元さんに処女を捧げて来ました」
「は?」
は?
さっきから何言ってんのこいつ。
そんで俺はそれ聞かされてどうすりゃいいの?
「どうですか、先輩?」
「は?」
「ですから、可愛い後輩が処女を先輩以外の他の男に捧げた気持ちです」
「は?」
「わかりませんか? 寝取られですよ。
「は? 意味わかんね」
語彙力。
「それとこれと何の関係が?」
俺がしどろもどろに尋ねると、美咲はきょとんと首を傾げた。
「え? だって、先輩って私のこと好きですよね?」
「……はああああああ!?」
何言い出してくれちゃってんのお前!
──いや、好きだけど!
こんな、狭い部屋でシコシコ小説を書き続けてる俺に付き合って創作の話をしてくれるリアル女子なんて美咲くらいのものだし、そりゃ当然好きだけど!!
「彼氏彼女でこそありませんが。両片思いです。これは寝取られの基準を満たしているものと考えます」
「勘違いじゃなければお前今、最悪の告白の仕方した?」
後、自分から行ってる場合は微妙に違うような気もしないでもない。混乱しているから何もわからないが。
「誘ってきたのは金元さんです。私はこれは良いチャンスと思ったにすぎません」
金元は後で処す。
「証拠にいわゆるハメ撮りというのでしょうか。写真も用意してきました。見ますか?」
「はああああああ!?」
「見ます?」
「見ません!!」
「脳が破壊されているから?」
「!? そうだが!?」
美咲は俺の言葉に、勝ち誇ったように立ち上がった。
「そう、それです! 先程、先輩は寝取られの魅力がわからないと仰りましたが、今先輩が感じているであろう喪失感、混乱、苦悩、それこそが寝取られの醍醐味かと!」
そう言って、美咲はにやりと
性を知り艶やかになったように見える後輩女子の顔、まるで縄に締め付けられるような心臓の鼓動、吐く息が乱れ呼吸をすることすら忘れている心。こ、これは……。
「こ、これが寝取られ?」
「心配しないでください、先輩。精神的に寝取られないと意味がないという主張もわかりますが、金元さんは上手でした。だから先輩と結ばれる時にはちゃんも『あの人より小さい』、『下手くそですね』、『全然ダメですね』などと言える自信があります」
「最悪だが!?」
「ただ私は、経験故のリアリティと相反するようてありますが、童貞だからこそ妄想力は強いという言説にも一理あると思っていますので、しばらくはちょっと……。あ、先輩以外の童貞との行為はするのに先輩とはしない、というモヤモヤを与えるのもありですかね? どう思います?」
俺は頭を抱えた。正直、こいつが今何を言っているのか、脳の処理が追いついていない。俺の神経は完全にエラーコードを弾き出している。
「それで先輩」
「うるせえええ!! 俺に話しかけるな!!」
「金元さんとの感想ですが」
「ホントやめて。聞きたくないから。話さないで……」
なんか、目の前が霞んできた。
「先輩。私、先輩の小説好きなんですよ」
項垂れる俺の耳に、美咲の声が届く。
「先輩の小説に勇気をもらったことだってあります。かつて引きこもりだった私を毎日のようにこの部室に運んでくれたのは先輩の作品の力です。先輩の作品にはもっと世界に、宇宙に羽ばたいてほしいんです。だから先輩の作品の為には何でもしたい」
「美咲……」
俺はぐじゅぐじゅになった鼻をかみ、涙を拭った。まだ目の前は霞んでいる。
そんな霞んだ俺の視界で、美咲が何やらスマホを弄り始めている。
「再生、と」
美咲の言葉と共に、美咲の持つスマホから音声が流れて来た。
『美咲ちゃん、初めて?』
『は、はい』
『優しくするからね』
『はい、お願いします』
『わかった。じゃあ、い──』
「止めろやあああああああああ!!?」
何でそういうことすんの!?
マジでこいつ、さっきから何してくれちゃってんの??
後やっぱり金元は処す!!
美咲は音声を一度止め、またきょとんと首を傾げた。
「何って、金元さんとの行為を録音したものを再生していたのですが」
「それ! それをやめろ!! スマホから手を離せ」
「いいえ、離しません。あ、やっぱり離します」
美咲はスマホの画面をタッチし、スマホから手を離した。
『あ……ッ、いい──』
「やめてええええええ! 離さないでええええ!?」
「わがままな先輩ですね」
「わがままとかそういう問題かなあ、これ!?」
美咲はスマホを拾うと、再び音声を止めた。
「それでどうでしょう。リアリティ、感じました?」
「……これ以上にないほどにな」
ショックだ。多分しばらく立ち直れないぞ、これ。
――だが悲しいかな。
俺は改めて、冒頭数百文字だけ書いて止まっている自作小説のファイルを開いた。
さっきまではガス欠だった創作意欲がむくむくと湧いて来ている。
俺は──俺みたいな奴は、こういう時こそ言葉を文字にせずにはいられないタチだ。
「先輩」
「美咲、今俺に話しかけないで」
パソコンのキーボードに相対し、文字を打つ。みるみるうちに、俺の手で文章が生成されていった。
「……ふふ。はい」
文章を打つ俺の背後で、美咲が満足気に笑う声が聞こえた。どうにも俺はこの後輩の思惑通りに動いてしまったらしい。それもまあ、悪くはない。
俺は脳内に広がる想像をもとに、ひたすらに文章を書き続けた。
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