べにばらにゆきしろ

牧瀬実那

第1話

「いたっ」

 薪割り中、割った薪を拾おうとした際、手に刺すような痛みが走り、アルテは思わず薪を取り落した。薪はついでと言わんばかりに角から足の上に落ち、更に彼女を悶絶させる。

 なんなのよ、と苛立ちながらまずは指先を確かめる。予想通り、小さくて細い木の欠片が、人差し指に食い込んでいる。落ちた薪を足でそーっと転がすと、一部がいっそ綺麗なほどささくれ立っていた。

 ――無理やり割ったところだ。

 ため息が零れる。やたらと刃の通りが悪く、斧をぐいぐい押し込んで引きちぎるようにした結果なのだろう。普段ならそのようにして割った薪は気を付けて触るのに、最近はどうも、気付けばボーっとしてしまう。

「調子、悪いなぁ……」

 刺抜きで慎重に欠片を引き抜いた後、中に残ってないか圧迫して確かめながら独り言ちる。聞く人は誰も居ない。

 ほんの少し前なら妹のシュシュが「大丈夫?」と声をかけてくれただろう。いや、そもそもシュシュが居たならアルテはこういうミスをすることはなかった。妹の前に居るときはしっかりしなければ、と常に気を張っていたのだから。

 

 けれどシュシュはもう居ない。

 先月王子様のところへ嫁いでしまった。とても綺麗なドレスを着て、それはそれは幸せそうに笑っていたのを、アルテは今でも鮮明に思い出せる。その姿を見て大号泣したことも、彼女の幸せを願ったことも全部覚えている。その気持ちに嘘偽りが無いことも変わりが無いことも。

 ただ、シュシュが傍に居ないことに慣れないのも変わっていなかった。

 双子として生まれたアルテが、こんなに長くシュシュと離れ離れになったことはなく、この先もそうであるという事実に、頭ではわかっていても心が追い付いていない。

 

 加えて。

 シュシュの結婚を期に、アルテは母と共に王子の治める都市に引っ越していた。そこはかつて住んでいた田舎とは全く違って、人も建物も多く、日々目まぐるしく変わり、目があまり良くないアルテにとって、道ひとつ覚えることすら困難に思えた。

 幸い、家や家畜、それから父の墓もなるべくそのまま、都市の中でも比較的治安が良くて静かなところに移してもらったので、暮らし自体はそれほど変わっていない。全てが家の周りで事足りる……ことは流石にないけれど、足りない分は母がなんとかしてしまうので、アルテが動かなければならないときは無い。

 つまり有り体に言ってしまえば、今のアルテは完全に引きこもりだった。


 ――時が経てばきっと出掛けられる、って思ってたけど、全然ダメだ。むしろ今の生活が楽で、踏み出さなくても良いとすら思える……

 薪割りを終わらせるとすることが無くなり、ベッドに転がってぼんやりと天井を眺めながら、そんなことを考える。

 ――もうずっとこのままでもいいんじゃないかな。お母さんと一緒に静かに暮らす。それだけで、あたしには十分だもの……

 ごろりと体勢を変えると、段々と意識が散漫になってくる。先程の傷を見ようと指先を目の前に持ってきて、ああ、爪の周りにはささくれがあるなぁと思っても、特に何もする気が起きない。そのうち、意識が眠りに落ちて――


「まさか本当に堕落しているとはな」

 

 突然響いた低い声に、アルテは飛び上がった。

「え、あ、は!? ルイ!?」

 顔を上げると、妹が嫁いだはずの王子様が呆れたような哀しいような目でアルテを見下ろしていた。

「べ、別にだらけてたワケじゃないわ! 少し休憩してただけ! それにあんたこそ急に人の家に入ってきて、なによ! シュシュは?」

 わたわたしているアルテを尻目にルイは何かをひょいと持ち上げ、彼女の前に差し出した。

「贈り物だ」

「…………は?」

 それは茶色と黒い毛で覆われていて、額に白い斑点がひとつあり、ふわふわで、アルテを見ると嬉しそうにひゃんと鳴いた。

「い、いぬ……?」

 それもまだ大人になっていない、ぬいぐるみと変わらないような仔犬だった。

 ルイは鷹揚に頷く。

「そうだ。私が治める都市がどういう都市だかは覚えているな?」

「えっと……」

 確か、実験都市などと言っていたような、とアルテは混乱しつつ答える。北西の国境を守る兵士とその家族が中心に暮らしていて、それから兵役で障害を負った人たちも居る、と。

「そうだ。なので都市ここでは障害があっても快適に暮らせるよう、様々な仕組みを導入している。これもそのひとつだ」

 そう言いながらぽんとアルテに仔犬を手渡す。慌てて受け取ったにも関わらず、仔犬は大人しく、アルテの顔を見て笑うように楽しげにしている。

 仔犬とルイの顔を交互に見るアルテに、変わらない調子で彼は説明を続けた。

「介助犬……日常のサポートを犬にさせる。まだ導入されたばかりだが、割と成果を上げていてな。更に実績を作るために、アルテにも手伝ってほしい」

「はぁ……」

 いきなりの説明にポカンと返事をする。とりあえず仔犬はアルテの膝に収まって彼女の顔を見上げながら千切れんばかりに尻尾を振っている。

「手伝うって言われても何をすればいいの」

「当面はそいつがお前に慣れるまで、世話と基本的な躾を頼む。散歩は欠かさずに。前にも飼っていたことがあると言っていたし、問題ないだろう。一応餌も置いていくが、いずれ足りなくなる。そうしたら軍の施設に来るといい。専用の部署がある。そこで介助犬としての訓練も出来るから頼っていけ」

 施設の場所を口頭で説明し、それではとルイは行ってしまう。アルテに何か文句を言う隙は無かった。

 残された仔犬と顔を見合わせ、アルテはため息をついた。アルテに対するルイはいつもそうだ。きらびやかな王子様とは程遠く、彼女を慮ってるのかどうかわからない態度を取る。

「君も大変だねぇ」

 優しく仔犬の額を撫でると、仔犬は嬉しそうに目を細めた。その表情が愛おしく、色々しなくては、とアルテは立ち上がる。自分が思っている以上にワクワクしていることに、まだ彼女は気付いていない。

「ひとまず名前をつけないとね」

 用意した水を飲む仔犬とじーっと眺めながら考える。まだ立ち上がってない耳、将来大きくなるであろう前足など色々あるが、その中でも一際目を引くのは、やはり額の白い斑点だ。まるで雪が貼り付いたように、そこだけぽつんと白い。

「雪……うん、そうね、名前はSchneeweißchen雪白……ヴィーにしようっ」

 よろしくね、ヴィー、と声をかけると、仔犬は嬉しそうに返事をした。


 後にヴィーのおかげでアルテは外に出掛けやすくなり、ある出逢いがあるのだけれど、それはいずれまた別のお話。

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べにばらにゆきしろ 牧瀬実那 @sorazono

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