第9話穴
洞窟の入り口は少しだけ日がさしこんでいた。
ポポリ草は、若干日当たりの悪いところを好むので、入口より少し奥に入ったところの方がよく生えている。
暖かい春の日差しから離れると、まだ少し肌寒い。
──もう少し厚着をした方がよかったかしら。
そう思ったアガサの肩にふわりと上着が掛けられた。
「レックス?」
「俺は暑いから」
それだけ言って、レックスはまた薬草の採取を始める。
「……ありがとう」
アガサは礼を述べた。
──本当によく気が付く人ね。
アガサは口に出したわけではないし、そもそもつい先ほどまで、レックスは離れたところで採取していたはずだ。
──あたたかい。
この上着は、レックスがもともと着ていたもので、先日、彼自身が取りにいったものだ。持って帰ってきたときは血痕や泥がついていたが、今は綺麗に洗われている。しっかりとした縫製で上等な布で作られたその上着から、レックスはもともと裕福な生活を送っていたことが見て取れた。
しかしあれほどの大怪我をしたところをみれば、何らかの問題が起きたのだろう。
ただ、そのことを問いただす気はアガサにはない。知りたい気持ちがないわけではないが、知ってしまえば、去った時のダメージが大きくなる。
アガサから離れてしまえば、相手はアガサのことを忘れてしまう。アガサだけが覚えているのは、あまりにも辛い。
「ねえ、アガサ、これでいいかな」
声にアガサが振り返ると、レックスが手にいっぱいのポポリ草をかかえてやってきた。
「え? もうそんなにいっぱい?」
薬草の採取は慣れている者でも時間がかかる。みれば、アガサの三倍ほどの量があった。
「……全部、ポポリ草だわ」
アガサは驚嘆する。
「すごいわ。どうしてこんなに早くみつけられるの?」
ポポリ草を昔から知っているならともかく、レックスは今日初めて見たというのに、驚異的なスピードで正確に採取している。
「これだけ刺激的な香りなら、すぐみつかるさ。嗅覚が鋭いって言っただろう?」
レックスは胸を張る。
「嗅覚で薬草を採取できるなんて、知らなかったわ」
もちろん、葉の形、花の色など、基本的なことを覚えているからこそできることだろう。一度見ただけで、特徴をすべて覚えてしまったとは、驚くしかない。
「あとどれくらい探せばいい?」
「もう少しね。かごがいっぱいになったら終わりにするわ」
「わかった」
レックスが離れていくのを見て、アガサも場所を移動する。同じところで探していては意味がない。
アガサは洞窟の奥へと歩き出した。
日が差し込んでいる入り口付近から離れると、一気に薄暗くなっていく。
「光よ」
アガサは呪文を唱えた。
光玉が天井に打ち出されると、あたりは外のように明るくなった。
鮮明に辺りが色を持って現れると、アガサはまた採取をはじめた。
それから採取に夢中になっていたアガサは、いつのまにか、大穴の前にまできていた。
穴は深く、明かりが届いていないのか、底がどこにあるのか見えない。
──あ。
アガサは高さに目がくらんだ。恐怖がアガサを支配する。
ふらつきながら、離れようとしたとき、足元の草が滑り、そのまま穴の中に転落した。
ふわりとした浮遊感に、アガサは絶望する。魔法使いならば、空中に投げ出されたとしても、なすすべはある。だが、アガサにはできない。
──また、落ちる!
「アガサ!」
レックスの声がしたかと思うと、アガサは地面にうちつけられる瞬間にその腕に受け止められた。
どうやら、アガサが落ちたのを見て、追いかけてきたようだが、どうやって、先に落ちたアガサを受け止められたのかは、アガサにはわからなかった。獣人の身体能力は魔法のようなものだと聞いていたが、それにしたって、信じられない運動能力だ。
「……アガサ?」
助かったとわかったとたん、アガサの全身が震え始めた。忘れたはずの、遠い記憶が重なって、痛みと失ったものが蘇る。
「少しこのままで」
アガサはレックスの胸にしがみついた。レックスのぬくもりがアガサの心を落ち着かせてくれる。
「大丈夫だ」
レックスはアガサの背を優しく撫でた。
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