『hangnail』

龍宝

「ハングネイル」




「――ヘイ、マキッ! ちょっと手ェ貸しとくれよ!」


 寝不足の頭に響く声を張り上げてるのは、ジョゼットのやつだ。

 振り返らなくても分かる。いつものこと、三日に一回はこのパターン。どたんばたんと聞こえてくる食堂ダイナーの方に視線を送れば、案の定だ。

 ……あれ、車のキーどこやったっけ?


「ちょっと、まさか素通りしようなんて思っちゃいないだろうね⁉」

「……どうするか迷ってる。急いでてね。〝シニョーラ〟がお呼びなんだ」

「今何時だと思ってんだい! 昼過ぎにようやく起きてきて、急ぎもナニもないだろうさ! あんまり薄情なようなら、もうメシ食わせてあげないよ⁉」

「そりゃ困る」


 マジに早く来いって電話があったばっかなんだけど……いや、たったひとつの引っ越さない理由を失うわけにもいかないか。

 踵を返して、満足げに仁王立ちするジョゼットのところへ歩み寄る。


「グッモーニン~。アタシら親友だ」

「もちろんそうだ」


 ひらひらと手を振るジョゼットの、したり顔ときたら。

 まったく世間ってのは、私のような人間に優しくない。無理解だ。どこに行っても、ロングスリーパーには人権ってもんがない。睡眠時間をどれだけ削れるかのチキンレースに飽きてこの町に来たってのに、結局のところ肩身が狭いのは地球を半周しても変わらない真理らしい。


「ほら、早くなんとかして!」


 ジョゼットに背中を押される。

 店の中は、ひどいもんだ。身長190はありそうなスキンヘッドの巨漢が、唸り声を上げて暴れまわってる。床はコーヒーまみれ、ガラスも粉々。ツイてない客がひとり、ケチャップでビビッドになった頭を男にわしづかみにされ、カウンターに繰り返しノックさせられてるのを見て、思わずジョゼットと顔を見合わせる。


「ありゃ目が覚めそうだ」

「どーしよ、カウンターって修理費高いのに」


「うごああああああああああああああ!!!」


 これは、そうだな。

 ちょっとばかし予想外だ。てっきり、いつものようにどうしようもない常連のおっさん連中が、スポーツ・チャンネルの盛り上がりが行き過ぎて乱闘でもしてんだろう、ぐらいに思ってたのに――


「――ドラッグでハイになったトロールの相手とは聞いてない」

「お願いだって! ケーサツ呼んでたんじゃ夜の営業に間に合わない! ね⁉ 一発ドカン、と!」


 簡単に言ってくれる。近所のよしみが無かったら報酬が欲しいくらいだ。


「おう! おう! おう! おおおおおおおおおおおおおお⁉」


 私らが視界に入ったのか、興奮状態であちこちに拳を打ち付けていた男が雄叫びを上げながら突進してきた。

 ジョゼットを端に押しやって、男の正面に一歩踏み込む。

 そら、ドカン、だ。

 巨体が一瞬だけ宙を舞う。突っ込んできた勢いそのままにもんどり打った男は、コーヒーの水たまりに頭から倒れ込んで動かない。ノック・アウトだ。


「相変わらずやるぅ」


 口笛を吹いて店に入ってきたジョゼットが、ばしばしと肩を叩いてくる。


「どうも。……おっと、急がなきゃ。私は行くよ。次はSWATでも呼んでくれ」

「そんなのより頼りになるやつがいるのに?」

「その通り」


 半分落ちかけてる壁時計が目について、ジョゼットの店を後にする。

 駆け足でいくか。呼び出しに遅れたなんてことになったら、色々と面倒だ。


「――マキ!」


 ジョゼットの声。振り返ったところで、視界に白いものが飛び込んできた。

 えっと? テイクアウト用の袋だ。中身は――


「お礼! いい一日を!」

「……あァ、そっちもね!」


 停めてあった愛車の運転席にもぐり込んで、隣のシートに朝食を置く。

 ジョゼット印のホットドッグに、ボトルのオレンジジュース。悪くない〝報酬〟だ。







「――手ェ、どうかしたんスか?」


 とっぷりと日の暮れた、日付が変わるのも間近って時間。

 この町に来て以来すっかり夜型人間になってる私としても、ようやく調子が出てくる頃だ。んでもって、本日もつつがなく仕事は終わった。


「昨日からが気になって」

「見せてくださいッス」


 一脚だけ無事に残っていた椅子の上。右手を眺めていた私に声をかけたのが、見習いデイジー。最近うちに拾われた新入りで、私が世話役を任されてる少女だ。中々どうして懐いてる。


「んーと――血だらけでよく分かんねッス」

「……手ェ洗ってくる」

「あたしもいくッス!」


 まとわりついてくるデイジーを連れて、レストルームを探す。

 さすがはギャングの仕切ってたBARだけある。私のアパートより広い立派な手洗い所とくれば、思うところがないわけでもない。


 今日一日の流れはこうだ。昼にジョゼットの食堂で暴れてた野郎、あいつに粗悪なドラッグを売りつけたのが、うちのボスと敵対するマフィアが飼ってるギャング団だった。こいつがマズい。ボスは大のヤク嫌いだし、こいつはれっきとした領域侵犯だ。縄張り荒らし、挑発、牽制、動機はなんだっていい。

 とにかく、連中はうちのボスに真っ向からケンカを売った。愚かにも、「戦争をしませんか」と、ボスが一番顔をしかめそうなやり方で、やるべきじゃなかったことをやっちまった。

 私に呼び出しが掛かったのもそれだ。まずは木っ端なギャング団をひとつ潰すだけの話だが、事はできるかぎりに。まるでチェスでも指すかのような気分で、自分たちが安全なところにいると思い込んでる連中に対して、最初の意志表示になるからだ。強烈な、この上ない。

 ボスが直々に出向くとなると、そのボディー・ガードをおおせつかってる私にも話が来るのは、言ってみれば当然のことで――ついでに言うと私が面倒を見てるデイジーがここにいるのもそういうわけだ。哀れというべきか、当然の報いというべきか……われらが〝シニョーラ〟と愉快な家族たちの反撃を受けたギャングの根城は壊滅した。ここまでが、ほんのついさっきのこと。


「――知ってます、マキセンパイ? どっかの国じゃ、〝ささくれ〟って〝親不孝〟だとできるって説があるそうッスよ?」

「スキンケア業界の流したデマに決まってる」


 洗面台に並んで手を洗ってると、デイジーが思い出したように言った。

 鏡に映った半眼の私に、からかうような笑みを返してくる。呆れて洗面所を出れば、慌てて後を追ってきた。


「何が言いたい?」

「何も」

「言っとくけど、こりゃ寝不足のせいだ」

「分かってるッス」

「だいたい、それなら私より先に指が無くなるまで剥けるやつがいるだろうさ」

「ボスとかッスか?」

「いや……あの人はどうだろ。親が前代のマフィアなわけだし、ある意味最高に親孝行してるかも」

「――あら、何の話?」


 撤収するという幹部たちに従って、車に戻ったところだ。

 後部座席のドアを開けて突っ立っていた私らの会話に混ざってきたのが、マイ・ボス――〝シニョーラ〟。返り血ひとつない上等な仕立てのスーツが、ぞっとするほどの彼女の色気を引き立てている。今日もとんでもない美人ぶりだ。

 彼女を真ん中に、三人で席に収まる。それを合図に車列が進み出した。


「マキセンパイが、親不孝なんじゃないかって話ッス」

「そうかしら? このワタシのために頑張ってくれてるわよ?」

「いや、ファミリーマフィアの話じゃなくてですね」

「そうね。アナタはワタシの可愛いワンちゃんだもの。そういう意味では親じゃないわ」

「自分もわんわんッス」

「黙れデイジー」


 ったく、余計なこと言ったせいですっかりからかいのネタだ。運転手のカブールまで笑ってやがる。


「――マキ。アナタ、ワタシが拾ってあげた日のことは覚えてるかしら?」


 ずいぶんと上機嫌な調子でデイジーを構ってやっていた〝シニョーラ〟が、ふと呟くように言った。


「……イエス、ボス。忘れようもない」

「ええ、そうね。あれはとっても良い日だったけれど……アナタ、ワタシにこう言ったわ」


 ――〝自分なりの生き方を探してる〟。


 あァ、覚えてるよ。われながらこっぱずかしいことを、よくもまァあんな状況で言ったもんだ。しかも、この人を相手に。


「そしてアナタは、ワタシのものになった」

「そうです、ボス」


 だがまァ、彼女の言う通り、あの日が私の人生の大きな転換点になったってのは、間違いないことだ。


「あれからしばらく経ったけれど、アナタはあまり詳しいことは話してくれないし……ひとつ、ワタシなりの仮説を立てたわ」

「仮説?」

「あの時、世界の裏側からやってきて間もなかったアナタは、実の親から解放されたがっていた。というよりも故郷に残してきた過去の呪縛を、必死にこばもうと震える野良犬だったわ。そしてワタシがこちらの世界に引き込んで、今のができた。そうすると――」


 おもむろに向けられた彼女の流し目に、思わずどきりとする。



「――親不孝である今こそが、アナタの人生が正しい道の上にある証明なのではなくて?」



 本当に、この人は。


「……そうか。そうかもですね」


 私はマキ。この町で生きる、マキ・キタノだ。




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