もう、はなして!!

阿々 亜

第1話 話さないで

 5月。

 春はもう終わりだが、夏はまだ遠く、梅雨の湿気にもまだ晒されていない。

 そんな季節。

 午後の陽の光が窓ガラス越しに校舎内に差し込んでくる。

 教室と廊下には、生徒たちの若々しい笑い声があふれている。


 昼休みが半分終わり、ほとんどの生徒は昼食を食べ終わっている。

 午後の授業の準備をしている真面目な者もいるが、多くは他愛のない雑談に興じている。


「お願い!!」


 篠原和泉しのはら いずみは両手を合わせ、頭を下げつつも上目遣いで懇願した。

 丸く大きな目、小さな鼻、薄く柔らかそうな唇。

 髪は少し茶色ががかったミディアムヘアで、艶やかな光を放っている。

 その顔立ちも体つきも、まるで人気アイドルがテレビから出てきたかのように整っていた。


「そうは言ってもねー……」


 平沢三奈子ひらさわ みなこは、困り顔でそう応えた。

 和泉よりも少し背が高く、その目鼻は直線的で知性を感じさせる。

 髪は黒のロングで、一糸乱れぬストレートだ。

 周りと同じ制服を着ているはずなのに、不思議とその端々がどこか“きちっ”、“ぴしっ”としているように見える。

 全体的に理知的で固そうな容姿だが、声と口調がとても柔らかいおかげで優しげな印象を周囲に与える。


「さすがに生徒会でどうこうできるレベルの話じゃないから、顧問の先生から学校に掛け合ってもらうほうが……」


「そりゃそうなんだけど、うちの顧問て青木先生でしょ!! 部活のほうには全然熱心じゃないから、『そのうちなー』って言って全然話が進んでる気配がないんだよー!!」


 二人が何の話をしているかというと、グラウンドのナイター設備のことであった。

 彼女たちの高校のグラウンドのナイター設備はかなり古く、光量が弱くなってきており、夜間の部活に支障をきたしているのだ。

 和泉はサッカー部のマネージャーで、生徒会の副会長である三奈子に個人的に相談しにきたのだった。


「生徒会だけでどうにかしてくれって言ってるんじゃないの。今、グラウンド使ってる他の部活と調整してて、合同で嘆願書を作ろうとしてるの。それに生徒会も一枚噛んでほしいというか……後ろ盾になってほしいというか……」


 和泉は瞳を潤ませて、三奈子の顔を下から覗き込む。


「まあ、そういうことだったら、会長に相談はしてみるけど……」


 そんな和泉からの視線を外して明後日の方を見ながら、三奈子はストレートの髪の毛をくるくると指でいじりながら考えに耽る。


「ついでに、その嘆願書の草案を三奈子に書いてもらえないかと……」


 和泉は口元を緩めて、にへらーと笑う。

 その笑顔を見て三奈子はため息をつく。


「やっぱり、そこら辺も込みなのね……」


 三奈子の書類作成能力や事務処理能力は同じ生徒会のメンバーの中でも頭一つ飛びぬけている。

 今は二年生で副会長だが、数か月後に控えている会長選で最有力候補と目されているほど優秀な人物であった。


「わかった。会長からゴーが出たらすぐに取り掛かるわ」


「ありがとーっ!!」


 和泉は大喜びで三奈子に抱きつくが、三奈子はそれを鬱陶しそうに振り払う。


「じゃー、よろしくねーっ!!」


 和泉はブンブンと手を振りながら、自分の教室の方に帰っていった。


 三奈子は「はぁ……」とため息をついて、窓際の自分の席に戻る。


「和泉、何の用だったの?」


 三奈子が席に着くや否や、前の席の氷川恭子ひかわ きょうこが前を向いたまま話かけてきた。

 細身の長身で、制服のスカートが少しアンバランスで似合っていない。

 眉と目はきりりと鋭く、その瞳はどこか遠くを見ている。

 髪は黒く、少し長めのショートヘアだった。

 顔だち、髪型、体格などから総じて中性的な印象を放っており、もし制服が男子のものだったら絶世の美少年に見えるだろう。


 和泉、三奈子、恭子は、3人とも中学1年からの付き合いで、毛色がばらばらにもかかわらず3人でずっと絡んでおり、仲が良かった。


「あー、グラウンドのナイター設備がボロくてなんとかしたいから、協力してくれって……」


「なんで和泉が? アイツ、ただのマネージャーでしょ?」

 

 恭子の声音はどこか不機嫌だった。


「さあ……たぶん、副会長の私と仲が良いから、話が通しやすいって思われて白羽の矢がたったんじゃない?」


「ふーん……そうやってまた人の間をうまく立ち回って、四方八方の機嫌とってるんだ……アイツ……」


 今度は明らかに棘のある物言いに、三奈子はそこはかとなく嫌な空気を感じた。


 これは……

 なんかあったな……


 どういうふうに探りを入れるべきかと三奈子が思案している間に、恭子は椅子をずらして後ろを向いてきた。


「わたし……アイツと縁切るから……」


 恭子の目には黒よりも暗い怨嗟の色が滲んでいた。


 うわー……

 もう、そこまでいっちゃってんのー……


 予想を数段階越えた展開に三奈子が言葉に詰まっている間に、恭子はさらに追い打ちをかける。


「だから……三奈子ももうアイツとは話さないで……」



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