ささくれ立つ感情

藤之恵多

第1話

 会場は色とりどりのペンライトで溢れていた。

 赤、緑、黄色、青。

 この頃、増えたのは青。見るだけで心がチクチクする。

 私はマイクを口元に近づけ、息を整える。

 言う。自分で決めたことだから。


「――私、九条美月は、今日ここでアイドルを引退します!」


 一拍遅れてどよめきが会場を覆っていく。

 メンバーも似たような反応。

 その中で呆然と私を見つめる顔を見つけた。

 遠野あおい。

 私が育てた、私の辞める原因。

 私はそっと目を閉じた。


「はじめまして、遠野あおいです。ご指導よろしくお願いします」

「うわ、可愛い。これぞ、アイドルだね!」


 追加で入った新人アイドル。

 遠野あおいは、まさしく王道のアイドルだった。

 ぱっちりとした二重に明るい笑顔が印象的で、視線がぶつかっても物怖じしないで笑い返してくる。

 伸びそうな子。

 それが第一印象だった。


「うるさいわよ、美奈子。アイドルなんだから、可愛くて当然でしょ」

「美月はアイドルに厳しすぎぃ」

「一番のアイドルになるんだから、当たり前よ」


 リーダーを務める美奈子の言い返す。

 一番のアイドル。それが私の夢。

 ステージの上で輝いて、ファンの人を魅了したい。それだけを目指してここまで進んできた。


「あおいちゃん、こんな言ってるけど、美月は面倒見は良いから安心してね」


 つんつんと人の頬を押してくる美奈子には好きにさせる。

 そんなことを言われて、どうしろと言うのか。

 私はアイドルとして恥ずかしくないよう教育しているだけなのだ。

 それなのに、美奈子の言葉を真に受けたあおいは、柔らかな笑顔を浮かべた。

 正面から顔を見るのも恥ずかしい私は、横目でそれを見るだけ。


「はい! わたし、オーディション受ける前から美月さんのファンなんです」


 見た目通り、まっすぐな性格らしい。

 嫌な予感がした。今までの私ではいられなくなるような、ちょっと気になるささくれに似ているかもしれない。


「ありがとう。でも、私は厳しいから」

「楽しみです。よろしくお願いします!」


 楽しみ。そんなことは初めて言われたかもしれない。

 私はもう一度頭を下げるあおいと連絡先を交換した。


「どうよー、期待の新人あおいちゃん」


 楽屋でソファに座っていたら、後から覗き込まれるように聞かれた。

 眺めていた動画を止めて、顔だけで振り返る。

 楽しそうな笑顔を振りまく美奈子がいた。

 私はため息を飲み込み答えた。


「うまい子、ね」


 うまい子。今のところ、遠野あおいを表現するのに、それ以上ピッタリの言葉を持っていなかった。

 濁す形になった私に対して美奈子は指を折りながら、あおいのうまい部分をあげていく。


「人当たりも良い、笑顔もかわいい。それに愛嬌も振りまくとくれば、流石の美月も危機感感じるんじゃない?」

「危機感なんて常に感じてるわよ」


 美奈子の言ったことは全部私も感じていること。

 それらを含めて、あおいという存在はアイドルとしてうまいのだ。

 きっと、すぐに眩しいくらいの存在になる。


「完璧を目指すアイドルは違うねぇ」


 美奈子の言葉に私は首を横に振った。

 完璧とか、トップを目指すとか、そういう問題じゃない。

 教育係として歌やダンスをする機会はたくさんあった。


「歌もダンスもうまいし、努力もする。困ってるとすれば」


 言葉を止める。私が困っていること。

 それは。


「美月さん!」


 美奈子と話していたソファの前に楽屋に戻ってきたあおいが飛び込んでくる。

 撮影終わりで疲れているはずなのに、その顔に疲労はない。

 なんだったらブンブン振られている尻尾が見えそうなくらいだ。

 美奈子はあおいの様子に小さく肩を竦めると、後から隣に回ってきた。


「ここ、気になるんで見て下さい」


 あおいが画面を見せてくる。

 今度の新曲のダンス動画だった。

 練習用に配られているものだが、今回あおいはフォーメーションチェンジが多い。

 途中で私とポージングする場面もあり、大変だろう。


「いいわよ。私のパートからの流れだし」


 私は何てことないように頷いた。

 パアッと雲間から太陽が顔を出したようにあおいが笑う。

 スマホをしまったかと思うと、すぐに両手を握りしめ、可愛いポーズ。


「あと、その後お暇があれば、一緒にご飯とかどうでしょう?」


 ほんと、抜け目がない。

 あおいは自分の一番良い角度を把握している。するように言ったのは私なんだけど。

 ここで発揮されると困ってしまう。


「うーん、あなたが気になるとこを解消できたらね」


 とりあえず練習だ。

 だがこの様子なら、すぐさま合わせ終わり、ご飯に行くことになりそう。

 私は苦笑しながら、あおいに向かって手を振った。


「わかりました。美月さんとご飯行けるなら、すぐに直します!」


 そんな愛顔でさえ、あおいにとっては十分だったらしい。

 やる気を漲らせたあおいが同期たちに突撃していく。

 嬉しそうな横顔に、またひとつ心がささくれた。


「熱烈ー」

「あんまり懐かれたことがないから、変な感じでさ」


 美奈子のニヤけた横顔に、私は眉を下げた。

 大分、好かれているのはわかる。

 アイドルなんてしていると、人の好意に敏感になるもの。

 今までにない距離の詰め方に戸惑っているのも事実だった。


「美月は厳しいからファンは多くても、後輩から遠巻きにされるタイプだもんね」

「ほんと、それ」


 今までも「憧れです!」「好きです!」と言ってくれる子はいた。

 だがら美奈子の言う通り、遠くから見られてることはあっても、プライベートでまで仲良くなろうとする子はいなかったのだ。

 慣れない。

 あおいの態度にも、自分の反応にも。


「でも、嫌な気はしないでしょ?」


 とんと肩をぶつけられる。

 私は天井を見上げた。


「うーん……どうかな?」


 嫌いよりも、好きだからこそ面倒になる。

 この感情はそういう類のものだと、この時から自覚していた。


 ※


『遠野あおい、マジ可愛い。美月とかいう老害邪魔』

『あおいたんに寄生してるよな』


 予想は的中した。

 あおいという新星の眩さに、教育係は邪魔なようだ。あおいを出したいテレビ局に私がついて行っている状況になることもあった。


「美月、大丈夫?」

「美月さん、こんなん気にしないでください。わたしより美月さんの方が全然アイドルですから!」


 そのうちの1つの雑誌を持ったあおいが、まるで威嚇するように紙面を睨みつけている。

 心配そうにこちらを見る美奈子に目配せしてから、私はあおいに礼を言った。


「ありがと……っていうか、こんなのでへこたれる程、軟じゃないわよ」

「ですよね! わたし、もっともっと美月さんと歌いたいんです」


 キラキラした瞳でこちらを見てくる。

 まっすぐでいて、燃えるような瞳。

 私は気のない素振りをして顔を背けた。


「じゃ、もう少し体力つけなさい」

「はーい」


 あおいは返事をするとすぐに出て行った。

 人の言葉の裏など考えない素直さが羨ましい。

 この裏表のなさも人気の要因だろう。

 あおいが部屋から出るのを確認すると、美奈子は人の顔を覗き込んでくる。


「……ほんとのとこ、どうよ?」


 心配と顔に書いてあった。

 全く、いつとは気づかないふりをしているくせに、こういうところがリーダー向きなのだ。

 私は少しだけ本音をこぼした。


「んー、キツイわね」

「あおいちゃんが?」


 美奈子を見て、あおいが出ていった扉を見る。

 あおいが伸びることも、追いついてくることも怖くはない。

 むしろ、どんどん輝きを増す彼女が眩しいくらいだ。

 キツイのは。


「トップを目指せない自分が」


 あおいに負けたくないと思えない自分が、キツイ。

 私は顔の横にある髪の毛に指を絡ませた。

 鏡には情けない顔をした私が映っている。

 いつからなんて考えるまでもない。

 私の言葉に美奈子は大きくため息をついた。


「ほんっと、困るくらい真面目、完璧主義、人誑し、ばか」

「ちょっと最後の方、ひどくない?」


 ポンポンと出る悪口に私は笑った。

 同期の美奈子は私の肩を軽く叩くようにしながら、一言一言ぶつけてくる。

 それから額をぐりぐりと肩に埋めたかと思うと、ぼそりと呟いた。


「トップを目指さないアイドルなんて、たくさんいるでしょ」

「私は……私の理想は違うから」


 美奈子の言うことはわかる。

 だけど、それは九条美月ではない。

 私は静かに首を振った。


「ここまで来て、一番の味方に裏切られた気分よ」


 トップアイドルを目指した私を、トップアイドルにしたい子を見つけてしまった私が裏切るのだ。

 それも悪くないと思っている自分もいるから、たちが悪い。


「そっか」


 顔を上げて美奈子が笑った。

 悲しいとも、怒っているとも違う。

 きっとこれは諦めだ。

 私がアイドルを辞めるということを、認めてくれた。認めざる得なかった同期の。

 私は餞の微笑みを送った。


「ちゃんと黙っててよ」

「わかってる」


 美奈子が口を真一文字に結んで頷いてくれる。

 それだけで十分だった。


 ※


『――私、九条美月は、今日ここでアイドルを引退します!』


 画面の中から自分の声が聞こえる。

 テロップにはあれから2年――なんて書かれていた。

 喫茶店のテレビで流れるなんて、私も中々やるじゃないか。


「いや、この後、あおいちゃんが荒れて大変だったわぁ」


 美奈子の言葉に私は両手を上に向けた。

 たしかに電撃引退なんて騒がれたくらいだ。

 事情を説明していたのも美奈子にだけ。

 ただ心配すべきは、そこじゃない気がする。


「そこはファンがじゃないの?」

「ファンはもう調教されきって、『美月ちゃんが言うなら……』って人がほとんどだったじゃない」

「調教じゃないわよ。愛よ、愛」


 まったく、人のファンを何だと思っているのか。

 私の、九条美月のファンは大人として知られている。

 ガチ恋系もいたけれど、多くは「トップを目指す」という姿勢に共感してくれた人たち。

 そのうえで、私の決断を認めてくれるのだから、ありがたい存在としかいえない。

 美奈子がメロンソーダに口をつける。私もつられたようストローをくわえた。


「それにしても、辞めてマネジメントするとか……アイドルのセカンドキャリアとしてどうよ?」

「仕方ないじゃない」


 私はストローから口を外す。

 アイドルが好きだった。職業としてもファンとしても、とても好きで燃えた。

 だけど。

 私は思い出すたびにささくれのように痛む女の子を思い浮かべた。


「自分より、あおいの一番が見たくなっちゃったんだから」


 それが私の一番の理由だ。

 九条美月はトップを目指すアイドルだ。

 そのために全力で歌って踊って、ひたすらアイドルの道を駆け抜けるはずだった。


「かぁー! 結局、惚気!」

「のろけてないわよ。会ってないんだし、今は一般人とアイドル」


 大げさに唇を尖らせながら吠える姿に自嘲する。

 こうやって会っているのは同じグループでは美奈子だけ。

 あおいを見るのはいつも画面越しだ。

 マネジメントの勉強もあるし、その時間さえ少ない。


「あのさぁ、あの子、あんたのこと、ぜんっぜん、諦めてないわよ」


 諦めるも何も、私があおいのことを好きになっただけで、彼女には関係のないことだ。

 あおいが憧れてくれた九条美月はもういない。

 私は軽く笑いながら首を横に振った。


「えぇ? 大げさでしょ」

「いいえ」


 間髪入れず帰ってきた答えに、私は動きを止めた。

 妙な沈黙が数秒。


「本気?」

「うん」


 美奈子が真顔で頷いた。

 いつもオチャラケた顔ばかりしてるが、真面目な顔をすると怖いくらい。

 私が声を出す前に、その声は飛び込んできた。


「やっと、見つけた!」


 響いた声に顔を上げる。

 逆光で見えないけれど、私がこの声を聞き間違えるはずがない。

 あおい。

 私の口が自然とその名前を呼ぶ。

 突進してくる体を受け止めたのが、私たちの再会だった。

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ささくれ立つ感情 藤之恵多 @teiritu

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