親の支配から脱出せよ〜夜桜を添えて〜

大和詩依

第1話 今から花見しよう!

 夜は好きだ。夜になれば多くの人が眠りにつき、周囲は静寂に包まれる。昼間聴いている音量ではテレビの音が少しうるさいくらいになり、車やバイクの音も鳴りを潜める。近くに何の気配も感じられない。そんな時間が好きだ。


 それに、元々昼よりも夜になった方が作業のやる気が出るという性質もある。昼間にやれば2時間も3時間も集中できず無駄に時間を過ごしてしまうところを、夜ならば驚くほど集中して作業を進めることができることもきっと自分の「夜が好き」という気持ちに影響しているだろう。


 そんなことをなんとなく考えながら、自分を除いた家族全員が寝静まった静かな家でパソコンに向かう。画面に写し出されているのは、九割ほど完成している大学で出された課題のレポートだった。と言っても、キーボードを叩く指に迷いはない。画面には滑らかに文字が浮かび上がり文章として完成していく。脳内ではレポートは出来上がっていた。


 さらにキーボードを叩き続けて5分ほど経った。ようやく最後のエンターキーを叩き、はぁぁ、と大きなため息をつく。ずっと同じ体制であぐらをかいていたから、足も腰も肩もバキバキに固まっていた。急に動かそうとすると痛みが走る。一旦立ち上がって全身を一気に伸ばすことは諦めて、体の一つ一つのパーツや関節をほぐすようにゆっくりと体を捻ったり、腕を伸ばしたり、あぐらを崩したりする。


 少し動くごとに身体中がバキバキと音を立てるが、ずっと窮屈な体制だった体を伸ばすのは気持ちが良かった。ある程度体をほぐしたところでもう一度パソコンに向き直った。書いたレポートをざっと見返していく。


——フッターにページ数は入力されている。


——学籍番号、氏名、教科名など必ず記入しなければならない項目に抜けもない。


 とりあえずそれだけ確認して、再度保存ボタンを押す。それから、開いていたウィンドウを全て消しパソコンをスリープモードにしてから閉じた。本当は誤字脱字なんかも確認して提出までしてしまいたかったが、後に回すことにした。なんせ時計の針は3時を指そうとしている。


 眠気に襲われているわけではなかった。むしろ目は冴えていたが、代わりに頭がぼうっとして今の状態では絶対に何かしら見落とすと思ったのだ。誤字のせいで、珍回答のようになった文章が紛れ込んでいるレポートを提出するのはごめんだ。


 この後どうしようかと考えている時、すぐそばに置いて充電したまま放置していたスマートフォンにメッセージが入った。画面が再度スリープモードに入る前に確認すると、メッセージの送り主として表示されたのは、同じマンションに住む幼馴染の葉月だった。


『まだ起きてる? もし来れるんだったら今から花見しよう!』


 文面は至ってシンプルな物だ。さて、どうしようか。大人しく仮眠を取るか、夜の散歩に繰り出してから仮眠を取るか。どちらも魅力的だ。前者ならば、すぐに暖かい布団に飛び込むことができる。後者ならば、外に出るから手っ取り早く気分転換ができる。それに、誘ってきた葉月が何かしら飲み物を持っているだろうし、運が良ければ軽くつまめるものも用意されているかもしれない。


 だが、後者の方は普段の行動パターンにそう多く出てくるものではなく、どちらかというと前者の方がほんの少しだけ優勢ではあったが、せっかくの誘いを特に理由もなく普段出歩く時間ではないからというだけで断ることもためらわれた。結局悩みに悩んで夜の散歩に繰り出すことにした。


 日が上り始めた頃に寝静まっているうちの誰かが起きてきて、自分がいないことに気付いたら驚かせてしまうかもしれない。何時に戻ることになるかはまだ分からないため、一応出かける旨を書いたメモを家族に書き置きを残しておく。あとは充電が完了したスマートフォンと財布、それに家の鍵を持って上着を羽織るだけで外出の準備は終了だ。


「いってきます」


 もちろん返事などない。それでよかった。むしろ誰も起きていないと思っていたところに返事をされても少し驚く。もともと多くのことに対して怖がりな性格なのだ。靴を履き、持ち物を確認し、「行ってきます」と言って家を出ることは習慣である。いつもの行動をなぞることで、夜の散歩という非日常の中に日常を見出せたのならば、自分にとっては返事などなくとも意味があった。


(あの子せっかちだからなあ。 待ちくたびれてなきゃいいけど)


 廊下に響かないようにゆっくりと施錠し廊下を歩く。陽が出ていない時間帯はまだ肌寒く、少し小走りになりながら、葉月の待つであろう場所を目指した。

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