港区立第一小学校クラス編成会議
雨水四郎
ささくれ
3月某日、午後14時。
児童が春休みでいない、年度末の公立小学校。
普段と比べて静まっているその建物で、例外的に職員室だけが異様に活気があった。
正確には、そこに集まったの教員たちの心はみなささくれだっていた。もはや殺気立っていたと言い換えても良い。
それもそのはず、今日は6年生の、来年のクラス編成会議だ。
児童にとっても一大事だが、教員たちにとってもそれは同様。
自分のクラスでいじめなど、なにか問題が起きようものならそれはその教師の責任となる。
とはいえ、「色んな児童をバランスよく配置する」のがクラス編成のお題目だ。
それをあからさまに無視することはできないし、あまりに私欲が見える編成をしようものなら、別の教員にそれを指摘され、止められる。
その場合でも、やりようによっては自分のクラスに確保した児童をカードに交渉することはできるが、交渉がうまくいくとも限らない。
クラス編成とはそういった教員間での綱の引き合いの側面もあった。
しかも今年の6年生は、あの2人がいる。
良くも悪くも他とは比べものにならないくらい特別な児童が。
「それでは、弩剛田は北島先生のクラスでよいでしょうか」
学年主任が口火を切った。
北島先生は190cm、老年に入りかけた壮年だが、ガタイの良い男性教師だ。
学生時代は野球に打ち込んでいたらしい体育会系で、学内の野球クラブの指導者もしていた
弩剛田を止められるとしたら彼しかいない。皆そう思っていた。
弩剛田は、決して悪い児童ではない。
ただ、小学生にして2m10cm、115kgの圧倒的な肉体と、その一方で、それに似合わぬ運動神経のなさと不器用さ。
それらを併せ持つことで備品破壊や他の児童に怪我をさせる常習犯になってしまっている。
間違っても女性教員に任せられる人間ではないし、男性教員でも、相手ができるのは北島先生くらいだろう。
北島先生は貧乏くじだが、仕方がない。
彼は寡黙だが責任感のある人だし、請け負ってくれるだろう。
「佐々くれ」
「は?」
北島先生の言葉から出たのは、予想外の言葉だった。
「佐々くれ、と言ったんだ。弩剛田を引き受ける条件だ」
「いやいやいや! ありえないでしょう! それだけは!」
学年主任がおかしなものを見る目で北島先生を見た。
そうだ。ありえない。
佐々は、弩剛田とは全く逆の意味で、特別な生徒だ。
運動神経抜群、どころの話ではない。
野球のU-12でレギュラーになったことすらあるレベルの神童だ。
万が一にも怪我をさせる訳にはいかない。
だから、言うまでもなく弩剛田とはクラスを離すのが教員間の暗黙の了解だった。
実際に1年生の時を除いて、一度たりとも2人は同じクラスになっていない。
「ありえないって、何がだ? あまり同じクラスになってない2人が同じクラスになるのは自然だろう」
「そんなのは詭弁でしょう! もし弩剛田が佐々を怪我させたら学校レベルの大問題ですよ!」
「俺が抑える。だから、佐々くれ。無理なら弩剛田も引き受けん」
「そんなの通ると……」
「俺もあと一年で定年だ。別にクビをかけたっていい」
学年主任が言葉にならない悲鳴を上げた。
その後、別の教師の仲裁で一度は保留になり、他の児童の編成から進めたものの、最終的には学年主任が根負けし、弩剛田と佐々は同じクラスになった。
数ヶ月後、6年生の教室のある3階や校庭で、いつも一緒にいる児童の姿があった。
佐々と弩剛田だ。
この2人は1年生のころは元々仲がよかったらしい。
クラスが変わり疎遠になったものの、また同じクラスになれたことで、また仲良くなれたということだろう。
「……児童からの噂で聞きましたよ。佐々に弩剛田と同じクラスにするよう頼まれたんですって?」
夜もふけ、もうほかに誰もいなくなった職員室で、プリントと格闘している北島に、学年主任は訪ねた。
「児童個人のお願いを聞くのは良くないのはわかってるよ」
「わかっていながら、何故?」
「また友達になりたい、って言われちゃな。6年は最後のチャンスだ。もしダメなら佐々が後悔するんじゃないかってな」
「そんな小さな後悔なんて、人生いくらでもするものでしょうに……」
呆れながらも、学年主任は妙に納得がいってしまった。
そういった後悔など生きていればいくらでもある。
その程度の経験が人格の形成に影響がある、とも思わない。
だが、そういったものは時折思い出したように心が痒くて痛くなるのだ。
まるでささくれのように自分を苛む記憶に思いを馳せながら、学年主任はため息をついた。
「まあ、確かに少ないほうがいいですね、そんなもの」
港区立第一小学校クラス編成会議 雨水四郎 @usuishiro
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