第5章 最終節『スカッチェ通り南市街区の惨劇』

 厚い雲に覆われた月明かりのない、真っ暗な年末の深夜だった。ひとりの人物を蠢く影のような集団が追っている。激しい息遣いと雪を刻む複数の足音がせわしなく響きわたっていた。追っ手は40から50人はいるだろうか、ちょっとした小隊規模である。


 よくもまあ私一人にこれだけ差し向けてきたものだ。逃げる人物はそんなことを考えながら、足を繰り出していた。追っての速度は思いのほか早い。どうやら P.A.C. も完成段階にあるようだ。走りながら後ろを見やると、甲冑の上にローブを着込んだ黒づくめの集団が、その目元だけを不気味に光らせている。やはりあれはもう人間ではない。人の死を弄ぶなんて!そう思うと俄かに怒りがわいた。こんな非道なことがよくもできたものだ。追っ手の数は犠牲者の数でもある。キッと唇をかむ。追っ手にはその手を緩める気配はない。


「追え!」

「逃がすな。」

 乾いて震えるような不気味な声が背後から聞こえる。

 姿を隠すための仮住まいにしている借家の郵便受けに放り込まれていた、マークスの居場所を教えるという匿名の情報に従って深夜の繁華街まで出向いたが、まんまと一杯食わされた。その情報は実のところ罠であって、指定された場所に行く途中のひと気のない路地で、この連中に囲まれてしまったのだ。それからこの追送劇は始まったわけである。

 アカデミー前からマーチン通りを北に抜け、今はサンフレッチェ大橋を駆けている。

 禁忌術式や究極術式を使えば、この程度の追っ手を退けることは容易だ。しかし、遺体に手を加えて作られた人為の生命体なるおぞましいものがその魔法社会に存在することを、しかもそれらの製造に当該社会の統治の中核を担う政府厚生労働省とアカデミーが関与しているという事実を一般の人々に知らせるにはまだ時期尚早だ。片づけるにしても、跡形も残らないように、完全に殲滅する必要がある。追っ手をかわしながら、そんなことを脳裏に巡らせていた。


 深夜といえども年末のこの時期は、いたるところにひと気がある。まずは可能な限り閑散とした地域におびき出さなければならない!それにしても、偽情報に引っかかって『漆黒の渡烏』に追われる羽目になるとは、へまをしたものだ。口元に自虐的な笑みを浮かべながらもなお、逃走を続ける。


 『漆黒の渡烏』とは、アカデミーが編成する対特殊犯罪の特務班で、アカデミー所属治安部隊では手に負えない重要犯罪や、強力な『裏口の魔法使い』に対処するために特別に派遣される部隊である。しかし、その実は、マークスが手を染めている人為の生命体開発計画 P.A.C.:Production of Artificial Creatures の犠牲者の成れの果てであった。その性能と機能は日を追うごとに完成度を高め、今では人間の魔法使いよりも強力であるかもしれない。だが、その生産材料は人間の遺体なのだ。なんという許しがたい非道であることか!内心に一層の怒りが込み上げてくる。いつか必ずその非道を止めてみせる!その決意を新たに死ながら、サンフレッチェ大橋を北に駆けて行った。


 底冷えのする真冬の寒さの中、まるで身を切られるようだ。走りながら、どこで追っ手を処理するかをずっと考えていた。最適な場所はひと気がなく、民家が少なくて、人的・物的被害を最小限にできるところ。どこだ?思案しながらもひたすらに走る。


 ここから先で、その条件を満たすところと言えば、スカッチェ通りがある。そこは市街区が南北に分かたれており、北市街区には現住建造物が多く人家が密集しているが、他方の南市街区は商業地で大規模な倉庫街だ。すでに物流が止まっているこの時節ならば、大きな損害を出さないで、殲滅性の高い術式を行使することができる。まぁ、いくつかの倉庫が巻き添えになるかもしれないが、この際そんなことは言っていられない。マークスの薄汚れた野心が露見することで、ようやく奇死団の脅威から解放されたばかりの人々を再び不安と恐怖のどん底に陥れるよりははるかにましだろう。スカッチェ通りに行こう!そう思い定めて足を速めた。


 後ろの追っ手は、さすがすでに人間ではないだけあって疲れることを知らない。いつまでも機械仕掛けの人形のように同じペースで追いかけてくる。こちらはどんどん息が上がる。さすがに苦しくなってきた。口を開け荒く大きな息をしながらスカッチェ大橋に差し掛かった。


 ここは、スカッチェ通りの上にかかる高架で、市街地を一望できる観光名所となっている場所だ。恋人たちがここで愛を誓うと、その縁は成就するとのもっぱらの噂である。そこを渡るからには、この追送劇を市民に目撃されるリスクがあったが、幸いにしてこの丑三つ時には、もう人々の姿はそこにはなかった。橋を渡り切り、道なりに大きくぐるりと回って、石段を駆け下りればスカッチェ通りに出る。もう少しだ!乾いた空気がのどにしみて咳を誘う。咳きこむと息切れが激しくなって一層苦しさが増すが、ここで止まることもできない。懸命に足をかい繰って、ようようスカッチェ通りに差し掛かった。スカッチェ通りの市街区は、その上にかかるスカッチェ大橋を基準にして南北に分かれている。スカッチェ大橋の真下まで移動し、それから追っ手の方を振り返れば、追っ手を南市街区に捉えたことになる。スカッチェ大橋のたもとはもうすぐだ。そろそろいいだろう。

 逃げ続けていた人物は、その場で足を止め、南市街区の方を向いた。すると追っ手もまた、走るのをやめ、じわじわと詰め寄ってくる。


 案の定、南市街区はひと気がなく、無人の倉庫だけが立ち並んでいる。ここならいいだろう。しかし、追っ手は相当の数だ。確実に命中させ、殲滅するためには、ちょろちょろと動かれたのではやりにくい。「威力は一級、精度は三流」そんな思い出が一瞬頭をよぎった。とにかくも、まずは動きを止めなければ!幸いにして今の私にはこれがある!できない相談ではない。そう、その人物の頭上には、普通の人間にはあるはずのないもの、天使の輪が浮かんでいた。もっともそれは本物ではない。アカデミーが、天使への信仰で成り立つ魔法社会の秩序と倫理に反するとして絶対の禁忌とする法具『人為による天使の輪』である。それは、着装者に神秘の力を授け、秘術への直接アクセスを可能ならしめるという破格の魔法具だった。


 その人物は詠唱を始めた。

『我は今、禁を破って時の秘術に接触せん。時を司る者よ、その胸中を開き、わが手にその神秘の力を委ねたまえ。星々の理に介入し、現在、過去、未来、流れる時の法則を今操らん!星天よ、その動きを止めよ!星天運航停止:Stop Movement of Planets!』


 禁忌魔法の術式だ!それは時を操り、星々の運航を止めてその場のあらゆるものの時間を停止するという時空の秘術であった。これまでカチャカチャと甲冑の音を響かせ、足元の雪をきしませていたその音が一斉にやんだ。空気の振動や風の揺らめきさえ感じられない。時が完全に止まったのだ。


 よし!そう言って人物はさらに詠唱を重ねる。


『閃光と雷を司る者よ。その胸中を開き、神秘に通じる秘術を授けたまえ。我は汝の敬虔な庇護者なり。天空の意思を我に知らせよ。閃光と雷を裁きの剣となさん!今、天界の裁きをこの手でなそう。秘術!裁きの雷光:Lighting Laser of Divine Judgement!』


 かつてリリーの店で異形の魔法使いを貫き焼き尽くしたのと同じ術式であるが、今度は人為による天使の輪の力もあって、無制約にその魔法力を引き出せているのだろう。あの時とは全く規模の異なる稲妻が、さながら光線のようにして天空から降り注ぐ!


 ひとしきりの閃光の点滅と轟音の後、あたりに静寂が返ってきた。追っ手はその究極術式の前にことごとく焼き尽くされ、墨か灰のような跡形をわずかに残すばかりのとなった。その様子はまことに凄惨で、破壊の限りが尽くされた後には、その術式の詠唱者だけがただ一人、南市街区の方を向いてたたずんでいた。


 これで、魔法社会の市民に人為の生命体というおぞましい存在について知られる心配はない。周囲に焼け残った遺体がないことを慎重に確認してから、その人物は宵闇の中へと姿を消していった。


 * * *


 この事件は、『スカッチェ通り南市街区の惨劇』として、魔法社会に大々的に報じられた。どの報道も、極悪非道で無慈悲極まる『裏口の魔法使い』が市民の犠牲も顧みずに真夜中の市街地でアカデミーのエリート特務班である『漆黒の渡烏』を惨殺したと書き立てており、魔法社会の市民たちは、その脅威の『裏口の魔法使い』を大いに恐怖した。せっかく、リッチー・クイーンと奇死団の問題が解決した矢先にこれかと嘆く向きも多かった。しかし、その真相は闇の中に隠されていた。アカデミーは、偶然現場で記録された魔術記録を公表して犯人を第一級の指名手配とした。


 この事件ではアカデミーでも話題となり、さまざまな憶測が飛び交った。魔法新聞の記事をみて、このようなやり取りをする3人の人物の姿がある。

「おい、見ろよ。」

「なに?スカッチェ通りの事件のこと?」

 ウィザードとソーサラーが魔法新聞の記事に見入っている。

「これって…!?」

 指名手配の魔術記録を見てネクロマンサーが息をのむ。

「あんたも気づいたかい。これ、あいつだよな。」

「はっきり顔が映ってないから断言はできないけど、確かに似てるわ。」

「生きていらしたんですね。」

 3人は口々に感想を述べる。

「でも、なんでこんなことを。これじゃあまるで…。」

「本物の『裏口の魔法使い』ね。」

「どうしてあの人が、アカデミーや魔法社会に弓を引くのかしら?」

「勉強嫌いで不真面目だったけど、こんなことをするやつじゃなかったぜ…。」

「信じられないわね…。」 

「これからマークスを追わなきゃならないって時に、もしあいつに会ったら、あたしらどんな顔すりゃいいんだよ…。」

「そうね。」

 ソーサラーが言いよどむ。

「彼女は、マークスたちと手を組んだのでしょうか?」

「わからねぇ。なにもかもわからねぇよ。」

 ネクロマンサーの問いにウィザードがあからさまないらだちを見せた。

「とにかく、事情が分かるまでこの犯人が彼女に似ているということは伏せておきましょう。」

 そう提案するソーサラーに、ふたりは深くうなづいて答えた。


 アカデミーは本件について公式の声明を出し、この史上最悪ともいえる虐殺事件について全学を上げて復讐することを誓った。その声明を受け、治安維持部隊及び漆黒の渡烏への志願者が急増したことは言うまでもない(漆黒の渡烏は P.A.C. による影の部隊だけでなく、表向きにはアカデミーのエリートで構成される特殊部隊としての体面をも一応は保っていた。もちろん、普通の隊員たちには、その背後で暗躍する P.A.C. の部隊が存在することは巧みに隠蔽されていたことは言うまでもない)。


 いよいよ年の瀬が迫った時に、アカデミーでは『スカッチェ通り南市街区の惨劇』で犠牲となった『漆黒の渡烏』の隊員を悼む『アカデミーによる葬送』がしめやかに執り行われた。漆黒の渡烏の犠牲者は総勢20名とされたが、そこにアカデミーによる情報操作があったことは明らかである。しかし、アカデミーの側にいる者で、その事実を知る者はごくわずかであった。


 いよいよ、その年も暮れようとしていた。雪は一層重くなり、魔法社会全体が白く覆われていく。奇死団事件に続いて世間を大いに騒がせたこの裏口の魔法使いの身柄を、追跡確保の上その場で処刑したとアカデミーが報じたのはそれから2日後の、その年最後の日であった。その一報に多くの市民が胸をなでおろす中で、3人は、深い悲しみの入り混じった複雑な感情をもってそれを受け止めていた。


 * * *


 アーカムにて。

「先日は大変だったみたいですね。」

 少年アッキーナが語り掛ける。

「そうね、さすがに緊張したわ。」

「でも無事でいらして何よりでした。」

「ありがとう。本当はこんな大事にするつもりはなかったのだけれど。」

 そういってお茶のカップを一口傾けた。

「でも、中途半端なことをして、P.A.C. のことが魔法社会に公になることは避けたかったのよ。」

 人物はそう語る。

「その判断は賢明だったと思いますよ。」

「そう言ってくれると救われるわ。」

「ところで、あれは、なかなかすごかったでしょう?」

「ええ、神秘にアクセスして秘術の術式を直接引き出せるというはすごい魔法具ね。アカデミーが禁忌とする理由が分かるわ。」

「そうですね。彼らは自分たちの権威の象徴である『神秘のティアラ』を遥かに凌駕するこの魔法具が広く出回るのを極度に恐れていますから。」

「表向きは、天使の信仰に違背するってことにされてるけどね。」

「そうですね。実のところは、自分たちの既得権益を確保しておきたいという、ただそれだけなのですが、建前でうまく言いつくろったものです。」

「ほんとうね。うんざりだわ。」

「まあまあ、お怒りはわかりますが。それよりこんなのはいかがですか?」

 そういうと少年アッキーナは奥に引っ込んでから、しばらくしてお盆を手に戻ってきた。

「デュームのプディングです。おいしいですよ。」


 そういって、少年アッキーナはそのプディングの乗った皿と匙をよこしてくれた。

 その人物は、一口くちに入れる。

「おいしい!」

「でしょ?」

「ブルーベリーの酸味とプディングの甘さのバランスが絶妙ね!いくらでも食べられちゃうわ。」

「あの晩はたくさん走ったでしょうから、その分を補ってください。」

 そういってアッキーナは笑顔を見せた。

「そうえば…。」

 食べながら人物がいう。

「私たちってもうずいぶん長い付き合いになるけれど、あなたのことをほとんど知らないままだわ。今もこうしてあなたと普通に話しているけれど、本当はとても不思議なことなのよね。この前会ったあなたはご婦人だったし。」

「そうですね…。」

 洗ったばかりのグラスの水分をふき取りながらアッキーナが言った。

「お話ししないといけないことはたくさんあるんですが。なかなか事情が複雑でして。でも、お話しできる時がきたらきっとお話ししますよ。僕の秘密のことも、マダムのことも。」

「ええ、気長に待ってるわ。」

 そういって、ひと匙、またひと匙と口に運んでいく。

「これは本当に絶品だわ。」

 そういう顔はしばし緊張から解放された、年頃らしい愛らしい表情を浮かべていた。


 外には、年の移り変わりを知らせる鐘の音が鳴り響いている。

「新しい年が来るわね。」

「そうですね。」

 こうして、様々なことがあったその1年が静かに暮れ、新しい年を迎えようとしてた。

 雪はなおも深々と降り続いている。冬はまだ厳しくなる一方である。


続く。

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