第40話 わたしの婚約者 4

その日の夜、わたしとリディアは玖実からもらったばかりのマグカップにコーヒーを注いでケーキを食べる準備を進めていた。


「どっちにする?」

箱を開けて、リディアにケーキを見せる。艶々としたチーズケーキも、綺麗な形のモンブランも、どちらも美味しそうだった。


「このクルクルしたやつは何かしら? お蕎麦? お蕎麦って甘いものと合うのかしら?」

リディアがモンブランを指差して、不思議そうに尋ねてくる。


「違うよ、これはお蕎麦じゃなくてマロンクリーム。モンブランって言って栗の味のするケーキだよ」

「栗とチーズ、悩むわね……」

リディアがムムム、と声を出してから、こちらを見る。


「ダメだわ。詩織が先に選んで頂戴! わたし、どっちも食べたくて決められないから、詩織が先に好きな方選んで!」

「どっちも食べたいの?」

わたしが尋ねると、リディアが大きく頷いた。


「じゃ、半分ずつにしよっか」

リディアが嬉しそうに頷く。まるで周囲に花でも咲かせてしまいそうなくらいのキラキラした笑顔だ。ケーキを半分こするだけでこんなに喜ぶなんて、やっぱりわたしの婚約者はとっても可愛いな。


そう思いながら、キッチンまでケーキを切り分けに行こうとしたけれど、それより先にリディアが口を大きく開けた。


「……何してんの?」

「詩織が先の方が良かったかしら?」

「何が?」


ケーキを半分に切って選ぶ作業に順番に口を開ける必要があるのだろうか。不思議に思っていると、リディアが答えてくれた。


「ケーキを食べさせてもらう順番よ。詩織が、栗のケーキでわたしがチーズケーキ、それで半分ずつ相手に食べさせるのよ」

「なるほど……」


わたしは頷いた。普通に半分ずつ分けてもいいと思ったけれど、リディアは食べさせて欲しそうにしているし、わたしもリディアに食べさせてもらってみたい。だから、彼女の提案にそのまま乗っかることにした。


なんだか緊張するな。リディアが綺麗に整った白い歯を見せてきているから、そこにモンブランを入れようと、フォークで掬おうとした。


しかし、近くでリディアの口の中に規則正しく生え揃っている真っ白な歯を見て思う。


この子、外から見える部分だけじゃなくて、見えない部分も何から何まで綺麗なんだな。どこを切り取っても麗しいリディアに好奇心が芽生えてしまう。気付いたら、人差し指と中指を口の中に入れてしまっていた。


なんだろ、形容できないけど、たとえば綺麗なツルツルした石を撫でてみたかったり、真夏の暑い日に氷に触れてみたくなったり、ふわふわとした毛布を撫でてみたくなったり、とにかく説明できない感情で、わたしはリディアの口内に触れてしまった。


甘いものを目の前にして、しっかりと濡れているリディアのピンク色の舌を触る。あったかくて、気持ち良いな……。


「ひ、ひおり……!?」

ぼんやりとしていると、リディアがわたしのこと目を見開いて、驚きながら見つめていた。


「あ、ごめんね……!」

慌ててリディアの口から指を抜こうと思ったのに、なぜかリディアが口を閉じて、わたしの指を咥えた。

「んん……?」とわたしは困惑した声を出す。どういうつもりだろうか。


わたしの指を咥えているせいで、何も話せなくなっているリディアが、黙ってわたしをジッと見つめていた。リディアは普段通りの整った真面目な顔をしているのに、口の中ではわたしの指をじっくりと舐め始めていた。


指は唇に挟まれて外に出せなくなっているし、そもそも出したいとも思わない。ただ、リディアに委ねて、好きなように舐めさせてみた。気持ち良い感触が指の上を一通り走り切った後、ゆっくりとリディアの口が開かれた。わたしの指に涼しい風が触れた。


「ど、どういうつもり?」

わたしは慌てて手を戻した。リディアの唾液でしっかりと濡れてしまっている指を拭くこともせずに、尋ねた。


「先に詩織が不思議なことをしてきたから、応えた方がいいと思っただけよ」

リディアが真面目な顔で言い切るから、どうして良いのかわからなくなった。


「で、まだケーキは食べさせてくれないのかしら?」

「た、食べよ。早く食べよ」

気まずくなる前にさっさとケーキに話題を戻す。


わたしはモンブランを急いで食べさせるために、マロンクリームをフォークで掬った。まだほんのり湿っている指に意識を向けると、緊張してしまいそうだから、ケーキを食べさせることに集中する。


またリディアは綺麗な口を大きく開けたから、そこにモンブランを入れる。素直にモンブランを口に入れてくれたリディアは、とても幸せそうに頬を押さえながら微笑んだ。


「何これ! 甘いわ、美味しいわ〜。ほんのり苦い栗の風味が鼻から抜けていくし、最高すぎるわよ!」

「ねえ、リディア、クールな顔していちいちリアクションが可愛すぎるの、なんとかならない……?」

幸せそうに頬張るリディアの顔をジッと見つめた。


「諦めなさい。これがわたしのリアクションなんだから。どうしても嫌なら我慢して仏頂面で食べるけど。でも、そんなの変でしょ?」

「嫌じゃないよ、ただ……、我慢できなくなりそうで」

あまりにも可愛すぎるリディアの言動は、体に悪い。


「じゃあ、一口食べるごとにキスでもしたら良いのかしら」

「えぇっ!?」

驚いた声を出したのと同時にリディアが身を乗り出してわたしに口付けをした。


リディアの高い鼻がわたしの顔にしっかりと押し付けられる。リディアの舌から、わたしの舌に甘いモンブランの香りが口いっぱいに広がってくる。鼻から抜けた香りは、甘さとほんのりとした苦さのある栗の香りと、リディアのふんわりとした優しい香り、いろいろな香りが混ざり合っていた。


「ちょっ、リディア、何するの!」

「嫌だったかしら?」

「聞かれるまでもなく嬉しいに決まってるけど、心の準備できてないから!」

口いっぱいに広がる甘さはケーキだけのせいではない。


「恥ずかしいから、食べさせっこは中止! 包丁で切って渡すからね」

「ちょっと待ちなさいよ!」

「何?」

「わたしも詩織に食べさせてあげたいから、一口くらいは口に入れさせなさい」


「そんな必要ないでしょ?」

「ダメよ、これは命令。詩織に拒否権なんてないわよ」


あえて冷たく出されたリディアの声にゾクっとする。出会った時から、この声を聞くとわたしは彼女に逆らえなくなる。


「わかったよ……」

不本意そうな声を出したけれど、リディアに食べさせてもらえるのは当然嬉しい。口を大きく開けて、リディアのフォークが運ばれてくるのを待った。


「口を開けてる詩織、雛鳥みたいでとっても可愛いわよ」

それは褒め言葉として受け取って良いのだろうか。わからないけれど、リディアは嬉しそうに、チーズケーキの乗ったフォークを運んできた。


口に入った瞬間に、口の中が甘いチーズの味でいっぱいになった。大好きな人に食べさせてもらうチーズケーキは、普段以上に美味しい気がしたのだった。

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