異世界転生者のエピローグ〜闇堕ち英雄と時の姫〜

右野鐘

王国暦二千年

第1話〜王国祭前日〜

街路樹がいろじゅはすっかり緑に色づき、爽やかな風がそっと揺らしていた。

 時折、日差しが薄い雲に隠れてはまた姿をみせる。


 そんなのどかな日ではあるが、クレスランドにある王国の一つ、ここセリス王国領の王都では、人々は明日の王国祭の準備であわただしかった。


 人々の往来おうらいも激しいが、それにもまして彼らの活気が一入ひとしお感じられる。


 その活気に負けじと、一人の少女が庭で父と剣を振るっていた。


§


「っそこだ!」

 

 一瞬の隙を突かれた少女はバランスを崩し、鈍い音をたて尻餅をついた。


「いったぁっ〜。お父さん本気出しすぎ!」


「はっはっは。いい尻の音だ。立派に成長したな、ティナ」


 優しく手を差し伸べる、父。

 少しはにかみながら、その厚い手を握る娘。

 そしてひょいと軽く起こされる。


 二人は、明日が王国祭であることは知っていた。

 しかし日課となった剣術の稽古は、王国祭前日であろうとこの親子には関係がなかった。


 今日こんにちクレスランドでは、すっかり魔物モンスターも減ってはきている。

 だが、完全に魔物モンスターがいなくなったわけではない。

 まだ魔物モンスターの被害にあっている人々もいるのである。


 そしてティナは、いつかはそんな人々を魔物モンスターから守る騎士団に入りたいという夢があった。

 これはその夢を叶えるための稽古であった。


「しかし、昔よりだいぶ動きが良くなったな。何より思い切りが良い。そこを伸ばせば、もっと強くなるぞ」


「ほんと!?」


 嬉しそうに目を輝かせるティナ。


「ああ! この元騎士団長、スタン・コールが言うんだから間違いない!」


 彼はそう言って、成長した娘の姿を感慨かんがい深そうに見ていた。

 

 眼はくりっとしていて、まばたきする度に震える長いまつ毛。

 髪は決して長過ぎないように整えられ、えるような綺麗な黒色をしている。

 髪の色や顔は彼女の母親のフィリア・シェールに似ていた。

 そしてもうすぐ十五歳を迎える少女、それがティナ・クロードである。


 スタンがあまりにも見ているので、


「お父さん! 目つきがいやらしい!」


 とティナに一喝いっかつされてしまった。


 彼は気を取り直しティナに言う。


「どうだ。もう少しやるか?」


「もちろんよ! 今日こそはお父さんに勝つんだから!」


 この負けん気は母親ゆずりだな、とスタンは思いながら再び剣を構えた。


§


 庭からはスタンとティナの声。

 二人のやり取りをフィリアは夕食の準備をしながら、微笑ほほえましく聞いていた。

 

 フィリアとスタンの出会いは、あの戦時下の中であった。 

 二十年前の世界からは想像がつかないほどに平和な日である。

 不遜ふそんな考えではあるが、あの戦禍せんかが無ければこんな幸せな日は無かったと思うと、同時に複雑な気持ちもいだくのであった。


 そして彼女はすっかり大きくなったティナを想う。


(小さい頃は泣き虫だったけれど……。もうすぐあの子の誕生日…… 。今年もあの子の好きなカボチャのケーキを作らないと)


 そんな想いをめぐらしていると、


「……もう一回! もう一回よ! お父さん!」


 とティナの声が耳に入ってくる。


 あの負けん気はきっと父親譲りねと、フィリアは微笑ほほえんだ。


§ 


 今はもう当たり前となった、家族三人そろっての夕食。

 こうした食事風景はスタンが騎士団長だった頃には、彼が多忙であったためあまり見られなかった。


 しかしスタンが騎士団を退団してすぐに、これからは少しでも家族と一緒にいる時間が欲しいと彼が言い出したものである。

 

「ティナ、その……なんだ……誕生日に欲しいものはあるか……?」


 スタンは照れくさいような表情で言った。


 ティナは料理を食べる手を止め笑いながら、


「もうお父さんったら! 娘だとしても、わたしは女の子なんだから! 贈り物でわたしをびっくりさせる気はないの?」


 この女心が分からない父親に、れたという感じで言う。


「す、すまん……」


 剣ではティナを圧倒するスタンも、こうした女心には弱かった。

 とりわけ最愛の娘には。


「ん〜欲しいものね。わたし、お母さんが持っているあの剣が欲しい!」


 それはスタンとフィリアの寝室に飾られた一本の剣であった。

 その剣は白く、剣身とつばの間には優しいピンク色の丸い宝石がめ込まれている。

 まるで女性のような、見惚みほれてしまうほど美しい剣。


 フィリアはその剣を大切に手入れをして飾っていた。

 そして彼女にしては珍しく、悲しそうな複雑な表情で言う。


「そうね……あれは……ティナには必要のないものよ。だから別のものにしなさい、ね」


 ティナは少し残念そうな顔をするが、こんなにも優しい母親を困らせようとはしたくない。


「そっかぁ……なら、どうしようかなぁ……」


 しかし、一年に一回の誕生日。

 何かは欲しい。


「ん〜……」


 彼女が悩んでいるとフィリアは微笑ほほえみながら、


「そんなに急がなくても大丈夫なのよ? すぐでなくても、ティナの欲しいものが見つかったらで」


 と優しく言う。


 こうしたやり取りを見ながら、スタンが思い出したように言った。


「そうだ! ティナ! 誕生日の贈り物は、久々にお父さんと一緒に風呂に入るってのはどうだ!?」


「それはお父さんがしたいだけでしょ!? サイテー!」


「はっは。そりゃそうか」


「あなた、そんな事ばかり言っているとティナに嫌われますよ」


「……はっは……そりゃいかん」


…………

……


§


…………

……


 この夜、フィリアはなかなか寝付けなかった。


(ティナがこの剣を欲しいと言うなんて。運命なのかしら……。でも今この世界には必要のない剣なのよ……)


 顔を隣に向ける。

 スタンは軽く寝息ねいきをたてている。

 そんなスタンを見て、クスりと笑うフィリア。


 声にならないように彼女は口で文字をたどる。


「あなた、ティナ、愛しているわ……」


 そしてフィリアはゆっくりと目を閉じた……。

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