1-4 紳士的な彼女
右にふらふら、左によろよろ。数歩進んでは数分休むを繰り返し、千妃路は途方に暮れていた。
「はぁ……はぁ……よっこらしょっと……家から自転車でも持ってくるんでしたわ……」
ぽかぽかとした春の陽気が今はとにかく恨めしい。額に汗を浮かばせ、千妃路は小学生の頃に持ち帰らされた朝顔の鉢のことを思い出していた。
春子からお土産として受け取らされた会報誌全集は、体感10キロ程度の重さだった。持ち上げられないほど重くはないが、持ち運ぶには軽くもない。米袋二つ分と考えると、手持ちで買うにはためらわれる荷物である。
「……嗚呼っ! 休憩したあとの復帰が辛いですわっ!」
休憩の頻度が増えるたびに千妃路の体力は減っていき、身体が弱れば心も弱る。打倒ファンクラブに燃えていた闘志の炎は、心身の衰弱とともに下火になりつつあった。
千妃路は段ボール箱を悔しげに睨みつけると、この世を呪うかのように悲劇的な嘆きっぷりを披露する。
「こんな人畜無害な見た目をしておきながら、わたくしの精神と肉体を破壊しようだなんて、とても恐ろしい兵器ですわね!」
「……大丈夫?」
「だ、誰ですの!?」
段ボール相手に罵っている姿はできれば見られたくない。千妃路が澄ました顔を取り繕って周囲を見回すと、長身で体格のいい女子が心配そうに見つめていた。
サッパリとしたショートヘアで大人びた綺麗な顔立ち。千妃路の視線に気付いた彼女が微笑みながら近づいてくると、二人の身長差が如実に表れる。
千妃路の目線に彼女の顎がある。顔を上げなければ目すら合わない。そこらの男子よりも背が高いかもしれない。
(男装したら似合いそうですわ……もしかして王子さま候補では?)
しかし、彼女は綾野原学園の女子生徒の制服を着用しており、学年カラーは千妃路と同じく青である。
「同級生……?」
「あ、うん。二年の柚木薫(ゆずきかおる)。同じクラスなんだけどね?」
「あら、それは失礼。わたくしは華鳳院千妃路ですわ」
千妃路が優雅にお辞儀を返すと、薫はその仕草を面白そうに眺めながら、足元の段ボール箱を指してたずねた。
「重そうだね、何が入ってるの?」
「倉馬清志郎くんファンクラブの会報誌全集ですわ」
隠すことでもないと素直に答えた千妃路だったが、薫は思いのほか驚いたように目を見開いた。
「え? 意外。華鳳院さんってヒロインになりたいって言ってたよね? ファンクラブに入ったの?」
クラスメイトならば千妃路のヒロイン願望を聞いたことがあるのだろう。
このままでは誤解をされるかもしれないと考えた千妃路は、あくまで戦略的行動であることを伝える。
「いいえ、違いますわ。これもヒロインへの道……そう! 敵を知り己を知れば百戦危うからず、というやつですわ!」
「……敵?」
「――あ、いや、その!」
薫がそうだとは限らないが、どこにファンクラブの会員が潜んでいるかはわからない。正確な規模が測れない以上、うかつな発言は控えたほうがいいだろう。
とっさに口をつぐんだ千妃路ではあったが、あからさまに動揺している姿は見るからに怪しい。
しかし、薫はそんな様子を軽い苦笑で流して、さっぱりとした口調で言った。
「まぁいいや。とにかく重そうだし、運ぶの手伝うよ」
ひょい、と段ボール箱を持ち上げる薫。軽々というほどではないが、無駄な力を入れることなく自然と抱えている。
千妃路は思わぬ親切に困惑しながらも感謝を述べた。ただ、その顔には依然として疑問が張りついていた。
「あ、ありがとうございますわ……でも、どうして?」
「困っているなら見過ごせないし、面白そうだったから」
「それはどうも……面白そう?」
腑に落ちない感想に気を取られていた千妃路は、薫がぼそっと呟いた一言を聞き逃した。
「無関係ってわけでもないしね」
+ + +
翌日、千妃路は日課となっていた早朝の食パンダッシュを実施しなかった。
行動方針を改めたから、というのは直接的な要因ではない。一夜漬けで臨んだファンクラブ会報誌の読破が原因である。
重そうなまぶたに止まらないあくび。普段の千妃路を知る者からすれば驚くべき不摂生ぶりであろう。
「今日は華鳳院さん静かだね」
「たまにはそんな日もあるよ」
しかし、周囲のクラスメイトは千妃路の騒がしいヒロイン発言に気を取られて、そんなことには一切気付かないのである。
「ふふふ……藤堂さんのお言葉どおり、会報誌をすべて読破してやりましたわ……! これで論戦の舞台に立てるというものですわ!」
倉馬清志郎が入学し、ファンクラブが結成された昨年から隔週発行を続けている会報誌。長期休暇や文化祭には特別号が出されており、その数は二十冊以上にもおよぶ。
春子が言っていたとおり内容はわりと健全と呼べる代物であったが、意外なことに本人協力のアンケートや写真が結構載せられていた。
本人の名を冠するファンクラブが非公認のはずがないのだから、そういうことがあってもおかしいことではないのだが――
「倉馬くんはこういうの恥ずかしがりそうなイメージですわね……」
文化祭特別号には幼少時の写真まで載せられている。無邪気なピースが非常に可愛らしく、千妃路も思わず頬が緩んでしまうほどだ。
会報誌を読破したからこそ、千妃路は断言できた。何者かの後押しがなければ、清志郎がここまでファンクラブに協力することはないだろう。
「まさか、弱みを握られて無理やり……? いえ、そんな感じもなかったですわ……」
会報誌の発行が現在まで途切れることなく続いていることが、関係が良好である何よりの証拠である。
違和感の正体が掴めずにもやもやする千妃路。寝不足の頭では冴えた閃きも出てこない。
そのとき、寝ぼけまなこの視界の端で女子の群れがちらついた。もはや見慣れた一団である。
「ああ、倉馬くんが登校しましたのね……えっ!?」
まさかの事態だった。女子の群れを気にすることなく、清志郎に向かって突き進む女子がいた。
千妃路は自分が寝ぼけているのかと目をこすったが、まぎれもなく現実の光景だった。
集団の中で頭抜けて背の高い彼女のことを、半数以上が道を開けるように避けている。
よく観察してみると彼女を邪魔しているのは緑の学年カラー、一年生の女子ばかりだった。
「あなた誰!? 登校付き添いリストに名前がないでしょ!」
「その手にしているお弁当! まさか、渡すつもりじゃあないでしょうねぇ!」
「いや、このお弁当は清志郎くんのだから……」
千妃路はようやくそれが薫だと気付いた。手にしたお弁当が揉みくちゃにされないように高々と掲げている。
薫は押し合いへし合いの最中でもまったくぶれる様子がなく、片手で女子たちを易々と捌いている。
「何様のつもり! 清志郎くんの昼食は母親のお弁当だけって決まってるのよ!」
「そうよ! そうじゃなかったら争いになるわよ!?」
「何様って……そのお母さまのお弁当なんだけど」
少し呆れたような口調で返した薫に女子たちのボルテージが上がっていく。
「清志郎くんの母を名乗るつもり!? それならわたしだって姉を名乗るわよ!」
「わたしは妹よ!」
「じゃあ、わたしは清志郎くんから産まれたい!」
「ちょっと! 急に変な性癖ぶちこまないで!」
薫は仕方ないといったように溜息をつくと、力ずくで女子たちを押しのけてお弁当を突き出す。
囲いの中心にいた清志郎は気まずそうに苦笑いしながら、薫からお弁当を受け取っていた。
「母さんから頼まれたんでしょ。ごめんね、えっと……柚木さん」
「……清志郎くんもこれに懲りたら忘れ物には気をつけてね」
騒然としていた一年女子たちが一斉に「どういうこと?」と静まり返る。見かねた上級生たちが「説明してあげる」と一年生を連れて集団移動し、教室は平穏を取り戻した。
くたびれたように肩を回しながら席に戻っていく薫のもとへ、千妃路は慌てた様子で駆け寄った。
「ゆ、ゆ、柚木さん! あなた何者ですの!?」
「あぁ、華鳳院さん、おはよう……」
「質問に答えて!」
高圧的な千妃路に臆することなく、薫は面倒臭そうに目線をそらしながら、仕方ないかと溜息をついた。
「ファンクラブ的に言えば特別顧問。一般的に言えば……幼馴染ってやつ?」
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