【KAC20244】少子化対策専用バイオ端末F【ささくれ】

あんどこいぢ

ささくれ

 雑踏のなか、ハルカはかつての〝同志〟、弘田健一の後ろ姿を認めた。

 百八十五センチ強の彼は、前世紀後半以来ずっと平均身長が伸び続けている日本人群衆のなかにあっても、やはり目立っていた。そしてそのことを恥じらうように僅かに肩を竦めて歩くのだった。

 どうやらレトロフューチャーな新交通システム、チューブ式軌道の新ターミナルシャトルのホームへ抜けようとしているようだ。

 胸中で何か弾けるものがあった。鼻の奥がツンとなった。


 ハルカが彼のことをあえて同志と呼ぶのは、去年のちょうどこの頃まで一緒に暮らしたという事実にささくれのような痛みが伴うからだろう。

 母校=千葉第三都心市大の桜並木のキャンパスで、新入生だった彼に最初に声をかけたのは、彼女のほうだった。


『君、自宅生? それとも下宿生?』

『下宿生ですけど、それってやっぱ、れいのアンドロイドたちに関する質問ですよね?』

 少子化対策専用バイオ端末F──。

 ヒトクローンベースでなおかつ生殖機能のノックダウンをキャンセルされた、ソフトマシーンたち……。〝富国強兵を目指す与党〟が第五次〝異次元の少子化対策〟として強行中の政策で、希望単身者全員にそれらバイオロイドを無料配布するというのだが、実質的に若い男性へのバラ撒きにしかなっていない。男性型のバイオ端末に妊娠させてもらおうなどと考える女性は、まずいないだろうから……。


 ところで彼は、彼女のことを、政治的学生だと受け取ったかもしれない。いや実際そうだったのだが……。

『アンドロイドじゃない。ガイノイド! 君だって大学生になったわけだし、ジェンダー平等な言葉遣い、ちょっとは意識してよッ』

『ええ、済みません、先輩──。でも俺、それほど女に飢えてるつもり、ないんですけど……』

 事実上ヒトクローン製セクサロイドでしかないあれを受け入れてしまう男性たちに反発があるハルカだったが、女に飢えていない、従がってあれを受け入れる必要もないという彼の論理にも、少々カチンときた。

『だからさ、もうちょっとジェンダー平等、意識してよッ』

 と語気を荒らげ、その勢いのままサークルの部屋へと引っ張っていったのだった。もっともサークルそれ自体は決して政治的なものではない。ただのSF研……。しかし彼を含む新入生たちが最初に読まされることになったのは、結果的にいえば、コニー・ウィリスの『わが愛しき娘たちよ』だった。


 元々論争好きなSF者たち──。そうした読書会は荒れるのが通例だった。とはいえ彼、健一は静観を決め込んでいるようすだったが……。


 その年は〝いかにもギークな男の子〟が、そうした修羅場の発火点になった。


『おかしいですよ、皆さん……。SFってもっと自由なもんなんじゃないですか?』

『べつにいまも自由でしょ? 君ほかに、何か読みたいモンでもあったの? だったら前回いってくれれば、強権発動で絶対にこれだ、なんて話ではなかったんだけど──』

『でも候補に挙がってたのがまずこれで、あとはル=グィンにティプトリー・ジュニアにアトウッド……。やっぱなんとなく、政治的意図、感じちゃうんだよなあ……』

『じゃあ何? ハインラインでも混ぜときゃよかった?』

『エッ? もしかしてハインラインを右翼かなんかだと思ってます? いまどきそんな反戦ファッショな読み方──。全然SFしてる感じじゃないなあ……』


 確かにハルカたちにとってSF研は単なる隠れ蓑だったかもしれない。


 近年は新入生たちがこの都会に根づく五月末、あれはやってくることが多い。自分たちの二本の脚で、歩いてやってくる。自律郵便──。

 それを見越しハルカたちも、その時期新入生たちの部屋に押しかけていったりする。人工的なあれより美人な娘はそうはいないが、男の子たちだって、あれを受け入れることに、多少の後ろめたさは感じているようすだった。

 さらにまた……。

 自分の身体を差しだしてでも! という笑劇としか思えないケースまで、その時期の大学周辺では頻発するのだった。


 彼の部屋は彼女が担当した。

 彼が警戒していたのはまさに上記の点だったようだ。


『最初に声をかけてもらったときの、あの受け答えはちょっとマズかったなって、反省してます。先輩たちは彼女たちのことをただ毛嫌いしてるんじゃなくて、やっぱ自分たちの問題なんだって危機感で動いてるんだってこと、ちゃんと解かってるつもりなんです。だからその、無理しないで欲しいっていうか……。先輩にはいまこの瞬間も、自分がいたいと思ってるひとと一緒にいて欲しいっていうか……。その……。こんな監視役みたいなこと、やっぱして欲しくないっていうか……』


 ハルカはある種、感動のようなものを覚えた。

(ああ、このひとは解ってくれているな)

 と──。そしてそんなことにジンときてしまう自分は、やはり追い詰められているのだとも思った。


 新入生たちと寝て彼らのバイオ端末受け入れを阻止する同志たちを、彼女は軽蔑していた。とはいえ、彼とは寝た。

 それは自由意志だっただろうから……。

 しかしバイオ端末を他ほうに置き、自分の自由意志を強調するという論理もまた、彼女の心にささくれを生じさせた。


 彼は男性にしては珍しく、バイオ端末たちに同情を寄せているようすだった。


『れいの三原則を遵守すべくそのためのチップを植え込まれている、……ゆえに彼女たちはロボットなんだっていうんですけど、それじゃ彼女たちに三原則に反する指示をだした場合、一体どうなるって思います?』

『さあ、どうなるの?』

『ハードマシンのロボットどうよう、フリーズするんですよ。ただその際、涙を流すことがあるっていうんです。まあそれは、M型バイオロイドの場合もそうなのかもしれないですけど……』


 彼が彼女たちを完全にヒト扱いしている点に、彼女はどこかで違和感を感じていた。そしてそのように感じる自分が嫌だった。


 一年弱──。やはり切ない季節だったといえそうだった。


 さらに決定的破局が次の年の春、もうくる。

 彼女がまたべつの一年生を担当しなければならなくなったのだ。

 それについての彼の異論も、バイオ端末たちに対してどうよう女性に対し優しいものだったといえそうである。しかしだからこそ真綿による絞殺のような印象があった。


『去年も同じようなこといった記憶があるんですけど、無理して欲しくないんですよね。ただそれだけ……。それとも先輩、俺と一緒にいたくないですか?』


 ──少なくとも心のなかには、絶対時間は存在しない。一瞬の回想だった。

 その一瞬彼女の脚は、自然に彼のあとを追っていた。


(厭ね。これじゃまるで、自律郵便みたい。自律、自律……)


 また新しいささくれができた。

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