第2章 楽しい歓迎会編

第28話 魔女と騎士の会話



 

 人里離れた山の中、木と木の間にぽつんとその家はある。

 妙に立派で大きな、たった二人の人間が使うには少々広すぎる家。

 きっとこんな家に住むのはよっぽど、暇な変人に違いない――と思わせるほど、環境に見合わない外観をしていた。

 

 訪れるまともな客人もほぼ居ないような家ではあるが、しかし今日は別。

 その玄関を強めにノックし、住人の返事も聞かずに入っていく者が居た。


 

 三十代中ごろほどの男だった。


 はっきりと筋肉のついたとても逞しい長身、その険しい顔は顎髭があることでより威厳と鋭さを増している。

 その服装は品の良い上質な青い軍服で、彼が第一魔法騎士団所属であることは一目瞭然だった。

 更に付け加えれば男の胸元に着けられた記章は、その第一魔法騎士団でもそれなりの地位であることを示している。


 その足取りは素早く、急いでいるのに急いでいないような態度だ。

 ただでさえ厳めしい顔は不機嫌にしかめられていて、子供が見れば泣きそうなものとなっている。

 


 男は慣れたように人の家をずかずかと歩き、目的の扉を見つけるとまた激しく叩く。


「邪魔をする!」


 堂々と部屋の中へと踏み入った。

 しかし部屋の主は荒々しく現れた男を見ない。


「邪魔するなら帰って」

「む、すまない……失礼した」


 部屋の主に冷たく言われ、男は大人しく引き返し部屋を出た。

 がすぐに我に返って、慌てて戻る。



「――用事があるから来ているのだが!」

「ノったのはそっちでしょ」


 部屋はまるで執務室のようになっていて、妙に大きな机と座り心地の良さそうな椅子、他にも良い木材を使った棚、来客用の椅子があった。

 どれひとつ取っても値段は一般人から見れば高級品となるものばかりだ。

 だが机の上には化粧品やら何やらが置かれており、よく見れば棚や壁に飾られているのもよく分からない立体物や意味深な絵画ばかり。


 椅子には脱いだ直後の上着と下着が引っ掛かり、読み終わった書類と本が乱雑に積み重なる。

 それが約数日分以上、地層のようになっていた。


 部屋の主の性格がよく分かる有り様だ。

 几帳面で綺麗好きな人間が見れば発狂しかねない。


 執務室というより、まるで物置のよう。

 男はそんな惨状を見て鼻を鳴らし、椅子に引っかけられた女物の下着は見なかったことにした。



「エドゥアルが居なくなるとすぐこれか、さっさと片付けろ!」

「後でやろうと思ってましたー」

「嘘をつくな! せめて使用人を雇え、これでは客人を呼べないどころかエドゥアルの教育に悪い!」


 よく燃える炎のような色合いの赤髪に、相反する藍色の目は猫のようにつり上がっている。

 三十を迎えて数年過ぎたが未だに少女めいた幼い顔をしており、長い手足と豊かな肉体をしている女だった。


「そのうち気が向いたら雇う予定でしたー」


 そんな女がまるで気のない返事をしつつ、ただ目の前にあるジグソーパズルと格闘を続けている。

 せっかく自分が来たのにこの雑な対応をされて、男はとても不機嫌になった。


 しかしこの女を相手に一々突っかかってはキリが無いことを長年の経験で男は心得ている。

 一度呼吸して冷静になり、女に向き合った。



「聞いたぞ!」


 男は机を叩く。

 そのあまりの激しい勢いに、女が作っていたジグソーパズルが大きく揺れ、一部が大きく崩れた。



「あーあ、せっかく作ってたのに台無し。 謝って?」

「す、すまない、つい勢いで……」


 男はさっきまでの怒りも消えたように、慌てて謝る。

 せめて自分が崩した部分だけでも修復しようと手を伸ばしたが、すぐに止まる。



「すべて白いではないか。 欠陥品か?」


 見た目はジグソーパズルだが、その色は完全に白だった。

 大抵の場合は有名な絵が使われているにも関わらず、何処をどう見ても、裏返しても模様らしいものが確認出来ない。

 男はなんとか元に戻したが、一部が崩れた程度でなければ到底元に戻せなかっただろう。


「バカには絵柄が見えないの」

「つまりお前にも見えないってことだろうが」


 男がおぼつかない手つきでなんとか修復するのも後目に新たなピースを扱っている。

 どう見ても模様は無いが、指先から感じる感触などで嵌めているようだ。



「それより、ラングレー君はアタシの邪魔だけしに来たの?」

「む、違う。 違うぞ」


 男――ラングレーという男はごほんと咳払いした。

 

「ニーケ・アマルディ。 お前は……エドゥアルをヴィオーザ魔法学院に入れたというのは本当か?」

「入学式も終わってるのに今更そこの話を聞いてるアンタの耳ってどんだけ周回遅れなのよ」


 ニーケと呼ばれた女は、ラングレーを見ることもなく次のピースに向かう。



「何故もっと早くに、俺にその話をしなかった? 俺はこれでもエドゥアルの父親のつもりで接してきた! 何処であれ学校に通わせるというのなら、保護者として入学式に参加する義務が俺にはあるだろう……!」


 声を振り絞る。

 入学式に参加出来なかったことがよっぽど悔しいのか、天井を仰いでいた。



 ニーケとラングレーが話しているのは、ニーケの弟子兼養子の話だった。


 白髪に褐色の肌、赤い目。

 この国ではとても珍しい配色をしたエドゥアル・アマルディという名で育てられた少年は、今この場に居ない。

 現在、国内外で名門と知られるヴィオーザ魔法学院に入学中だ。


 

 エドゥアルのことはほぼニーケが育てたようなものだが、ラングレーは近所のおじさんぐらいの頻度で会いに来ていた。

 食事や言葉遣いなどの礼儀作法、勉強など、人間としての常識をたくさん教えた教師だ。


 が、ラングレーとしては教師より父親の気分である。



「だというのに俺が知ったのはついさっきだ、ついさっき! ヒーランカ・マギアに言われて初めて入学を知った俺の気持ちがどんなものだったのか……お前に、分かるか!?」

「知らない」


 ニーケはようやく作業を止めて、ようやくラングレーの顔を見上げた。

 立っていても自分より高い背と大柄な男を見ても、ニーケはまるで怯んだ顔をしていなかった。


「何故俺に教えなかった!?」

「忘れてた」

「わ、忘れてた、だとぉ……!?」


 ラングレーは大きく震える。


 冗談みたいな話だが、残念なことにそれが有り得てしまうようなのが目の前に居る女だ。


 そんな女に学生時代から付き合わされて巻き込まれてきたからこそ、分かる。

 この女は、本当に忘れる。 


「お前っ、俺があれほど『学校には入れないのか』と聞いても『どうしよっかなー』と流していたくせにッ、ちゃっかりと……!」

「言うの忘れたわ」

「ぐぬぬぬぬぬ!」


 言っても無駄、怒っても無駄と分かりながらラングレーは震える。



「エドゥアルは! お前みたいに全ておかしい女と生活したばかりに、ごく普通の常識的な生活とは縁遠いのだぞ!? エドゥアルが誰かと喧嘩していたらどうする!?」

「そんな心配性のラングレー君はこちらをどうぞ?」


 ニーケはニコニコ笑いながら、引き出しから白い封筒を一つ取り出した。

 中には丁寧に寸分の狂いも無く折りたたまれた手紙が入っていて、その手紙をラングレーに渡した。



「なんだそれは……ヴィオーザ学院の押印? むっ、エドゥアルからの手紙かッ!?」


 それを悟るとラングレーは大急ぎで手紙を引ったくるように受け取った。

 何故かニーケの目から隠すように横を向く。


「おお! この不気味なほど綺麗すぎる文字! これは確かにエドゥアルの文――――なんッだこれは!?」


 と、一応隠したにも関わらずニーケに見せ、大声をあげた。

 そこに書かれている文字は人間の手書きとはとても思えないような、お手本として正解すぎる字が文章として並んでいた。



「こッこここれに書いてあることは本当か! いや正気か!? 今日、レグムダイル伯爵家の次男と魔法決闘をしたと、これに書いてあるのだが!」

「その通りなんでしょ?」


 ニーケがラングレーに渡したのは、ヴィオーザ魔法学院から速達で届いた手紙だった。 

 その中にはとある貴族の子息と魔法決闘をした結果勝利したと書かれてある。



「レグムダイル伯爵家のバティスタールといえば今の『緑』じゃないのか!? なんて相手に喧嘩を吹っ掛けたんだ!」

「さっすがアタシの弟子、勝って当たり前だけど勝利の報告はいつだって誇らしいわね」


 ふふん、とニーケは胸を張った。

 ニーケはやたらとエドゥアルを褒めるし、やたらと肯定する。


 そういう事ばかりするから、師匠が大好きすぎるエドゥアルがあんな風に成長してしまうのだ。


 それとは反対にラングレーの顔色は青い。



「どうしてそんなのと魔法決闘をすることになったんだ!? しかもエドゥアルの退学を賭けてなどとふざけおって! そんなのどこにも書いてないぞ! そもそもこれは複数あるうちの一枚ではないか!?」

「他の手紙に書いてあったわ」

「じゃあそれも見せろ!」

「嫌よ、悔しかったら自分がエドに書いてもらいなさい?」


 ニーケはニヤニヤと笑う。

 羨ましがられているのが分かっているからこその行動だろうが、ラングレーにとってはひたすら腹立たしいだけだった。


「勝ったようだから良いものの……!!!」


 ラングレーは悔しそうにするが、実力行使で勝てる相手なら昔からこんなに苦労していない。

 行き場の無い腕が宙を掴むばかりだ。



「ニーケ・アマルディ……! お前は師匠だろう! 学院生活のために、せめてこう……エドゥアルが孤立しないような助言をしたんだろうな!?」

「アタシを誰だと思ってるの? エドの完璧で母親気取りで天才的な師匠様よ?」


 ニーケは自信満々に笑った。



「学院で友達を百人作るように言ったわ」

「おお! 友達を百人作るように! …………バカか?」


 ラングレーはニーケの顔を見てはっきりと言った。

 本気で、そう言い放った。



「友達など百人も作れるわけがないだろう、現実的に」

「アタシだって別に本気で百人も作れるなんて思ってないわ。 現実的に」


『バカ』と正面切って言われても、ニーケは特に驚かなかった。

 


「でもあの子、ほっといたら第四魔法騎士団にそのまま骨を埋めそうだから」

「そうだろうな」


 ラングレーは、エドゥアルという少年のその辺りの気質をよく知っていた。


 

 何処からかニーケが拾ってきた子供はガリガリに痩せ細った身体で、口も聞けず一人で服を着ることも食事もまともに出来ない子供だった。

 ニーケにああしろこうしろと言われなければ、一日中部屋の隅で小さくなっていただろう。


 ラングレーなど、最初の頃は目も合わせてもらえず、少しでも近寄ろうものなら強張られ、ニーケの後ろに隠れられたのを覚えている。

 自分が子供に好かれる顔でないことは自覚しているが、ああも露骨だとひたすらショックだった。


 何処の子供かは知らないが、どういう育ちをしたのかは想像出来る。

 たとえその正体が貴族の隠し子だとしても、ニーケに育てられた方がよっぽどマシに違いない。



 だからかエドゥアルは、ラングレーが言っても聞かないことだって、ニーケの一言があればあっさりと受け入れる。



 あれは尊敬とか信頼とか以上に、もはや崇拝だった。

 ただ盲目的にニーケのことを信じている。


 そして、だからこそニーケ以外の人間から嫌われることも、本当は何とも思っていないだろう。

 ラングレーには分かる。


 


「あの子が沢山色んなものを見て、その上で『第四魔法騎士団に居る』を選ぶならそれでいいわ。 全く別の道を選びたいならそれも歓迎する。 大事なのはあの子が、アタシのご機嫌伺い以外で選択することよ」

「ニーケ・アマルディ…………!」


 ラングレーは溜息と共に言う。



「お前…………それほどまで母親らしい思考が出来る人間だったのか…………!」


 ラングレーは、感動でうち震えていた。



 今までエドゥアルのことをニーケが雑に扱っているのを、ラングレーはたくさん見て来た。


 たとえば『ドラゴンの鱗を取ってきなさい』と言ったり『昇ってきなさい』と高い崖から突き飛ばすとか。

 ある日『此処を泳ぎなさい』と無理やり無人島まで泳がせたかと思えば、『じゃあ此処で過ごしてね』と期間も言わず放置するとか。

 本当に、見ていて不安しかない。

 

 そんなのだから、エドゥアルはあれほどニーケを強く慕っているのに、肝心のニーケはエドゥアルを暇つぶしの玩具ぐらいにしか思っていない可能性もあった。



 だが違う。

 仮にも六年ほど世話を焼いてきた子への、確かな愛情があるのだ。

 これは母性としか言いようがない。


 ラングレーは感動で震えていた。

 


「母親じゃないわよ。 あの子、絶対にアタシのこと母親扱いしないもの。 所詮はアタシも母親気取りよ」

「おおお!? あのニーケ・アマルディが己を卑下するようになるだと!? 子育てとは、人を此処まで成長させるものなのか……っ!? 素晴らしいな!」


 ラングレーは猛烈に感動していた。


 目の前に居る女とは学生時代からの腐れ縁だが、何かあれば『流石アタシ』、失敗しても『流石アタシ』の女だ。


 反省なんて言葉はまともに知らない。 後悔なにそれおいしいの。

 自分の間違いは認めず、道を間違えてもそのまま突っ走る。

 ドラゴンすら避けて通る迷惑の化身。


 そんな女がこのようにしおらしい発言をするとは、明日は槍よりもひどいものが降るかもしれない。



「だが、そこまで弟子を思いやっているのなら、本質も全部完璧に伝えろ! お前に『百人作れ』と言われたら、本気で百人作ろうとするぞ!?」


 エドゥアルの性格をよく分かっているラングレーはそう言う。

 


 師匠に似て芸術的才能や文学的才能が壊滅的で、言われたことを変に解釈するエドゥアルの性格だ。

『百人友達を作れ』と言われれば、そのまま実行するだろう。


 普通に考えればそんなの、社会も現実も何も知らない、幼児の空想でしかないのに。



「ああでも言わないと、あの子がぼっちのまま四年間の学院生活を終えてしまうかもしれないじゃない。 アタシは何も間違えてない」

「エドゥアルの性格を考えろ! 『友達とは何だ、その定義は何処にある』などと言って、友達の証明勲章を手作りするぞ!」

「はあ?」

 

 ニーケは小馬鹿にしたように首を傾げる。



「エドのこと、ものすごいバカだと思ってない? あの子だって常識ぐらい分かるの。 聡明で美しくて最強なアタシの、とっても可愛くて賢い自慢の弟子よ?」

「む……!」


 ラングレーはエドゥアルを理解しているつもりだが、師匠のニーケの方が詳しいらしい。

 正面切って自信たっぷりに言われれば、流石に怯む。



「もっと単純に『握手をしたので俺とお前は友達だ』とか言うわ」

「ダメではないか! 普通科にだって名家の子息が居るのだぞ!? ああ、やはりエドゥアルに学院生活は早すぎた……! あと二年待ってアンジュと一緒に入れた方がまだよかったのではないか……!?」


 ラングレーは頭を抱えた。



 最初に比べれば良い方に成長しているとはいえ、どういうわけかエドゥアルは妙に傲慢な話し方しか出来ない子供になってしまった。

 鋭い眼光に無表情なのが余計に拍車をかけていると思われる。


 ラングレーは『せめて話す時は俺の真似をしろ』とニーケの真似をしないよう育てたつもりだったのに、まったく違う結果だ。

 


 そんなのが『友達を作りたい』など言って、誰がまともに信じるのか。

 せめて、どういうわけかエドゥアル語の翻訳が完璧で兄を『善良で分かりやすくて素敵なお兄ちゃん』と信じている妹弟子のアンジュが横に居れば、きっと変な誤解はされずに済むはずだ。



 それからラングレーは、ニーケへ更に詰め寄っていく。

 

「お前はこれで良いのか? 手紙で『百人と握手したので友達も百人だ』などと誇らしげに報告してくるのだぞ! そんな虚しい報告が聞きたいのか? 友達だと思っているのは自分だけだったなどと……いくらなんでも可哀想だろうが……!」

「あ、そういえば」


 ぼんやりと何か思い出して、ニーケは天井を見上げた。

 


「アタシは百人で良いって言ったのに、千人作るってことになってるみたいよ?」

「は?」

「千人なんて学院の全生徒と来年入学した生徒と教師と職員を含めてギリギリ届くぐらいなのにね。 ほんとバカよね、そんなところも可愛いわ。 可愛さの記録を毎日更新し続けるわね」


 ふふ、とニーケは笑う。

 息子のように育てた弟子の妙な勘違いを、愛らしい失敗だと認識しているらしい。



「せ……千人……千人にそれをやらかすつもり…………いや待て、待て!?」


 ばん、とラングレーは机を叩く。

 


「今年の新入生に誰が居ると思っている!? 五大名門のセルヴェンドネイズ公爵家のヴィクトル、ヴィオーザ侯爵家のエルフリーナ、ライジェット侯爵家のケリスだ!」

「どれも五大名門の次期当主様達ね」

「この三人にちょっかいを出して睨まれるような事があったら大問題だぞ! ライジェット侯爵など魔法騎士団の総団長殿だ! 下手すれば第四魔法騎士団にすら居られなくなる! 庇えない!」


 五大名門。

 それは歴史も血統も領地も何もかもが特に優れた五つの貴族家を示している。

 このうちどれかを敵に回せばこの国に居られなくなってしまう可能性だって十分にある、それほど巨大な権力を持った家だ。



 セルヴェンドネイズ公爵家といえば五大名門筆頭と言われるに相応しいものを多く持っており、王家との関わりも非常に深い。


 ヴィオーザ侯爵家は、魔法関連の土地や道具を多く所蔵しており、ヴィオーザ魔法学院の創立一族であり、商業的な活動も多い。


 ライジェット侯爵家は建国時から全魔法騎士団の総団長を務める一族で、つまりそこに所属するニーケとラングレーとエドゥアルにとっては上司にあたる。


 どれも敵に回したくない家だ。



 他にもこの五大名門の血縁者、平民蔑視で有名な貴族、金銭面でなら五大名門に迫りうる家など、様々な家の子息が居る。


 これらに手を出して睨まれるようなことが起きれば最悪だ。

 現段階でもレグムダイル伯爵家のバティスタールと喧嘩をしたと聞いて肝がおかしくなりそうなのに、これ以上睨まれるなど信じられない。



「大丈夫よ、少なくともそのヴィオーザ侯爵はエドゥアルの存在分かってるんだから。 あの子の後見人をやってもらってるのよ」

「…………ヴィ、ヴィオーザ侯爵にやらせたのか……? エドゥアルの後見人を……!?」


 ラングレーは口をぱくぱくとさせた。

 

 ニーケのような態度がでかいだけのただの平民が、五大名門当主へ『うちの弟子が学院に入るから後見人やって』などと手紙を送り付けて、普通なら通るわけがない。

 あくまでも『普通なら』だが。


「ま、まあお前なら……いやっ、それでもよく通ったな!?」

「通っちゃったわ、通らなかったら別のアテを使おうと思ったのに」

「ヴィオーザよりも使えるアテなどあってたまるか!」

 

 後の現ヴィオーザ侯爵とその未来の夫人がヴィオーザ魔法学院に入学した頃、ニーケとラングレーは既に学院に在籍していた。

 当時から既にニーケは良くも悪くも有名人で、後の現ヴィオーザ侯爵や夫人とそれなりに仲良くやっていたのをラングレーは知っている。


 なので、そこらの平民がいきなり手紙を送り付けるよりは、よっぽど通りやすい。

 のだが。



「エドゥアルは、お前とヴィオーザ侯爵の……『例の事件』を知っているのか?」


 ラングレーは自分達二人しか居ないにも関わらず、声を小さくして尋ねた。


「知らないんじゃない?」

「ではあちらの娘だけが話を知っているという可能性もあるのか?」

「そうなんじゃない?」


 知らないけど、とニーケはどうでもよさそうに言い放つ。

 基本的に機嫌が良いニーケにしてはとても珍しい反応だった。



「ヴィオーザ侯爵のエルフリーナが例の話をエドゥアルに持ち込んで、こじれたらどうする。 ましてや彼女の婚約者はセルヴェンドネイズ公爵家のフランシスだぞ!?」


 五大名門のヴィオーザ侯爵家とセルヴェンドネイズ公爵家、その直系同士。

 ありとあらゆる面で怖すぎる政略結婚だ。


 将来を真面目に考えるのであれば、絶対に敵に回すべきでない二人でもある。 



 そしてニーケは、ヴィオーザ侯爵家を相手に一度やらかした事がある。

 当時のエルフリーナはまだ一歳ほどだが、両親から聞いていてもおかしくない。



「ヴィオーザ家とセルヴェンドネイズ家が同時にかかってきても、エドの実力なら余裕よ。 だってこの最強すぎるアタシの弟子だもの、全部ぶっちぎるわ」

「倒すな!」


 自信たっぷりに自慢の弟子の実力を誇るニーケに、権力に抗えない立場のラングレーは吼えた。

 


「やはりエドゥアルが心配だ。 ただでさえあの容姿、そして家名とお前の養子という立場のせいで目をつけられやすいというのに……」

「あ、それ。 あの子、ユリウス・ヴォイドっていう偽名使わせてるから」

「なに!? …………ああいや、それは正解だな。 アマルディの姓を聞けば、お前に迷惑をかけられた人々が黙っていない。 ニーケ・アマルディにしては大正解だ」


 一度怒ってから、ラングレーは冷静に現実を判断する。


 ヴィオーザ魔法学院で名誉ある七人の『色持ち』の一人になり、『魔女』とすら呼ばれ恐れ敬われた女。

 それがニーケ・アマルディという女だ。

 自分本位な理屈で走り回られて、迷惑に思わなかった人間も精霊も居ないだろう。



『アマルディ』を名乗ることは、ニーケがエドゥアルに与えた『友達を百人作る』という目的にとって、とんでもない障害となりうる可能性がある。

 実際、そのせいでニーケの身内は苦労しているようだ。


 だったらいっそ完全に無関係として送り出してあげた方がエドゥアルのためになる。



 つまりエドゥアル――ユリウスという少年とニーケの関係を知る人物は、ごく一部というわけだ。

 


「ではその謙虚で弟子想いな思考が出来たお前だ、つまり入学式には出なかったのだな」

「出てないわね」

「まったく、仕方がないとはいえお前が居ない入学式に出たエドゥアルが可哀想ではないか。 制服を着て入学式に出席している姿を、誰よりもお前に見られたいと思っていただろうに……」



 悔しいが、エドゥアルは戸籍上の養母となっているニーケに最も懐いている。


 次が妹弟子のアンジュ。

 他人どころか師匠にすら普段は淡白なのがエドゥアルのくせに、妹に関してだけは信じられないほど過保護だ。

 普段のエドゥアルしか知らない人間ならば別人を疑うほど、信じられないくらい優しくなる。


 

 もし仮にアンジュとラングレーが同時に人質になれば、エドゥアルは迷わずアンジュを選ぶだろうという自信がある。

 アンジュの将来の配偶者は、まずエドゥアルを納得させなければ家庭の安寧は無いに違いない。


 ラングレーはせいぜいその次、いいや初対面時はどういうわけかエドゥアルに露骨に避けられていたので、もっと下かもしれない。

 残念ながらそこは自覚している。



 卒業生としてヴィオーザ魔法学院の入学式がどんなものか覚えているラングレーは、そこに出席したエドゥアルのことを想った。


 いったいどんな気持ちで出たのだろう。

 誇らしい気持ちになれただろうか、母のようなものであるニーケが居ないと寂しい気持ちになっただろうか。


 今頃、初めての学生寮生活で不安になっていないだろうか。

 行動力と胆力は無限にあるエドゥアルなので、多少のことがあっても大丈夫だとは思うが、やはり幼い頃から見ている身としては不安である。



「だから、入学式に出てないわよ」


 しんみりとしているラングレーに、ニーケがとても冷静に言った。

 視線は完全にパズルに向けられている。


「む、ちゃんと聞いていたぞ。 お前はエドゥアルに迷惑をかけまいと母として謙虚な振る舞いを――」

「エドが、入学式に、出てないって、言った」

「――――――なに? 出てない?」


 ラングレーは思わず聞き返した。 

 その困惑になど構わず、ニーケは新たにパズルをはめている。



「ちょっと手違いがあって、あの子が入学したのはついこの前なのよ。 一ヵ月遅れの新入生ね。 だからその手紙の魔法決闘も、入学二日目のことよ」

「は、何があれば入学二日目で貴族と魔法決闘なんか――――いや、ちょっとした手違い? なんだそれは、ヴィオーザ侯爵がそんな失敗をするわけがないだろう? エドゥアルも物覚えが良い、間違えるはずがない」  


 ラングレーが尋ねれば、ニーケは黙ってパズルを見ている。

 

 創立の一族であるヴィオーザ侯爵が、入学式のお知らせを間違えるわけがない。

 自分が後見人になっているのだ。

 どんな理由であれ、入学式に出席しないのは名誉に関わる。



 ラングレーはじっとニーケを見る。

 ニーケは何故かラングレーを見ない。 目を合わせない。


 何となく嫌な予感がラングレーの頭の中に出て来る。



 思い返してみれば、ニーケは自分の入学式に遅れて現れたのだ。


 式の途中で現れて、周囲の顰蹙を買っても堂々としていた。

 それがニーケ・アマルディという女の最初の奇行だった。



「こういう格言があるわ」

「……言ってみろ」

「『人魚も海で溺死する』。 意味はいかに優れた存在でも、時として間違いや失態を犯すという――――」


 ラングレーは聞くのをやめた。

 ニーケの淡々とした言い訳を聞くのは無駄と判断し、それよりも感情的に、一番最初に思ったことが口を突いて出た。



「ニーケ・アマルディィィィッッッ!!!」





――――――――――――――

あとがき


もし待っていてくれる方が居たら、大変お待たせしました。

エタってません、ちゃんと書いてました。

一年空けるのは流石にまずいと思ったので、焦って投稿してます。


この話から第二章が始まります。

一章にも書いてますが、作者の製作スピードがあまりよろしくないので一つの章を書き終わってから投稿、期間をあけて次の章を書き終わったらまた投稿というスタイルです。

なので二章が終わったらまたしばらく期間をあけさせてもらいます。


二章は全三十七話構成、全体で合計六十五話となっています。

楽しい歓迎会編です。


これだけはどうしても言っておきたいのですが、作者は本作をコメディ作品だと思って書いてます。

スプーン一杯の憂鬱要素、作者はそう信じています。


とにかく本作は努力友情勝利、あるいは笑顔青春友情をテーマにしています。

ユリウスが相手を一方的にボコボコにして勝った!学院最強!する話ではない……というか、それだとすぐ話終わります。

どんなにやる気のない人も、一方的に殴ったら流石に殴り返してきますからね。



期間が空いての投稿なので、せっかく最新まで読んでたけど話の内容忘れちまったわーって人用に一応ニーケ回があるノリです。



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