龍に逆鱗無し、ささくれあり
まらはる
村が滅びます
住んでいた村が滅んだ。
「なんでだろうなぁ……なんでこんなことに」
むなしい気持ちで、唯一の生き残りであった私は、炭と火の光景を眺める。
――逆鱗って知っておるか?実は龍にそんなものは無いんじゃよ。
村のはずれに住んでいた偏屈じいさんは、以前そんなことを教えてくれた。
変わり者ということで、適当なことを言っているもんだといつもは聞き流していたが、私はその話をなぜか覚えていた。
――……最初に見つけた若者が気づかず、「ははん、アレが龍の急所か何かだな?」と早合点して、広まったわけじゃ。
気づかない、とは。
――そやつ曰く、爪と指の境目に特徴的な鱗があったと。……龍の皮膚は鱗で硬いでのう、「ぺろん」とはしておらなんだわけじゃ。
あ、ささくれ?
――そう、ささくれを何か特別なものと勘違いしたのじゃよ。龍なんぞ近づいて生きて帰っただけでも、充分勇敢な者と扱われる。ハクをつけたかったその若者は、自分の見た……遠目で見た中の特徴をあれやこれやと語って見せた。
それが吟遊詩人なんかに伝わって、ちょっとずつ変わっていって……。
――そう。触れれば龍を怒らせる「逆鱗」のできあがり、というわけじゃ。実際に龍を見て生きて帰ったものは、確かにとんでもなく少ないからのう……。
じゃあそんな、人間に都合よく龍の気持ちを動かせる部位なんてないんだね。
――じゃろうなぁ。わしら人間程度が何をしたところで、龍は気にも留めんよ。
そんな話を思い出す。
偏屈なおじいさん。
その話がどこまで本当だったのか。
皆に嫌われていたおじいさん。
でも私は好きだったんだよな。
この村で一つだけ好きだったところ。
親もない私を、ここまで育ててくれたこと。
とても感謝していた。
でも、死んでしまった。
知ってるところもあるけど、ほとんど聞いた話。
ちょっと前のことで、村で納めるはずの税金が足りないと、徴税官にいわれた。
ホントは村長がチョロまかしていたんだけど、それはいつもの徴税官は知っていた。
ただその日は別の徴税官が来ていて、中途半端にまじめなソイツが帳簿との食い違いを指摘した。
村長も少しボケてきていて、うっかりいつも通りのやり取りを通そうとしたのだが、いつもの徴税官からその日の徴税官には話が通じていなかったらしく、どうにも誤魔化そうとしてこじれた。
そんなとき村長は思いつきで「村はずれの爺さんがあの時こっそり盗んだに違いない!」と叫んだ。
あの時、とは別にどの時でもないのだろう。普通なら、適当なウソと見抜かれそうなものだが、一応聞き込みをした徴税官の前に、偏屈じいさんを庇うものはいなかった。
「あの爺さんが税金を?あぁ、するかもねぇ」
「あー、なるほどねぇ……やっぱり?」
そんな反応をする村人ばかりだった。
徴税官は真面目だったが、頭は良くなかったので、そのままおじいさんを税を横領したとしてひっとらえてしまった。
村長も、村人も、徴税官も、誰もがおじいさんの敵だった。
私は味方になりたかった。
でも、おじいさんは
――知らんのう。こんな小娘。勝手に近くに住み着いて、追い出すのも面倒で放っておいただけじゃわい。
私のことは……無関係だと言った。
それからいつもの方の徴税官はイヤに賢かったらしく、過去の帳簿のズレも何か言われそうだったので、騒ぎに乗じてやはりおじいさんの敵に回ったらしい。
それから、おじいさんは何日も牢に入れられた。
なんとか帰っては来たものの、すっかりボロボロになっていて、数日もしないうちに死んでしまった。
――前から何度も言うておるじゃろ、こんなところにくるな……。
他にももごもご言ってた気がするが、それが最後の言葉だった。
私は吹っ切れた。
私は龍について、ささくれとは別にもう一つの話を聞いていた。
少し離れた山の奥。
村人も立ち入らない場所に龍が住んでいる、と。
私の足は、気づけばその山へと向かっていた。
ほとんど何も考えていなかった。龍を見つけてどうしようとも思いつかなかった。
ただ、教えてもらったことで、覚えていることを確かめに行こうとした。
すぐに人の踏み入れる道はなくなり、獣道すら怪しくなり、足は傷だらけになり、息も切れて、薄暗い森の中では恐ろしい猛獣や魔物の吐息すら聞こえてきた。
具体的ば場所など知るわけもなく、ただただ、闇の深い方へと歩いて行った。
1日かそこらか、歩き続けて森の少し開けた場所に出た。
大きな洞窟の入り口があり、しかしその奥から吹いてくる風には妙な熱気が含まれていた。
熱気はただ温度が高いだけでなく、嗅いだことのない古く懐かしく、しかしおぞましい臭いも漂わせており、その奥に見たことのない生き物がいる、と確信させた。
恐る恐る、洞窟へと入る。
ほとんど暗闇だが、少しだけ光がある。
奥の方へと導かれるように。
進むほどに熱気が強くなる。
何かがいるという気配。
汗を流しながら一歩ずつ進んでいく。
そして、自然と足が止まる。
ぼんやりと光る巨体。
大きく長く鱗の生えた体は、ともすれば蛇のようにも見えるが、威厳が違う。
ひげを生やし、角を生やし、四肢があり、爪と牙がある。
龍であった。
それはとぐろを巻いて寝ていた。
もしも起きれば、私は死ぬだろう。
それだけ生き物の格の違いがあった。
大きさの比較すら難しいが、丸めた全長は村のどの家よりも大きく、そもそもちらりと見える牙や爪は1本ずつが自分と同じ大きさくらいだった。
思わず衝動的にここまで来てしまったが、どうしたものか。
迷いながら眠る龍を観察してみれば、最初に聞いた話を思い出した。
ささくれ。
さっきも見た爪の、その手前の根元の指の部分の鱗が妙な捲れ方をしている。
爪と反対の向きに思いっきり捲れる鱗と、その鱗の生えているべき部分から見える龍の肉。
ささくれだろう。
それを見て、合点して、近づいた。
進むごとに恐怖が増したが、やろう、という意思よりも大きくはならなかった。
だってあの村にもう、未練はなかったのだから。
寝息を立て続ける龍が、もし気まぐれに寝返りか何かで腕を伸ばせば、自分は吹き飛んで死ぬだろう。そんな距離まで来た。
龍の指に触れる。いや、触った。
龍は一瞬身震いして、さすがに私も驚いてとても小さな悲鳴を上げたのだけれど、龍は起きなかった。
もう一度手を伸ばして、ささくれの部分に触れる。いや、つかむ。
ささくれとはつまり皮膚が裂けた状態であり、いまにも取れそうな部分であり、仮にこの龍の鱗が英雄の振るう鋼の剣をはじいたとしても、付け根に裂け目ができている鱗は私の力でも……
「えいっ」
取れた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■----ッ!!!!」
とたん龍が起きた。
叫んだ。私の耳がおかしくなりそうだった。
龍は丸めた体を、一気に伸ばす。しかし曲がりくねった洞窟の壁であるため、体を打ち付けて砕き、思うようにいかない。
驚いているのだろう。
「待っ――」
私の声は聞こえなかったようだ。聞こえたとしても、聞く理由もない。
龍はそのまま宙に浮きながら、勢いよく洞窟の外へと飛び出ていった。
光源であった龍はいなくなり、洞窟には暗さと静けさが戻った。
「……」
どうなってもいい、とは思っていたがまさか喋る間もなく取り残されるとは……。
なんとか壁をつたって、洞窟の外へ出る。
空は暗いが、明かりが見えた。村の方だ。
年に一度の収穫祭でも、ここまで夜に明るくなることはない。
走っていた。
明るい方へ。
炎の方へ。
そうして、村に着いたら、村は滅んでいた。
龍が、滅ぼした。
「人の子よ」
呆然と、何時間経ったのかわからない。
炎がとっくに収まったころ、龍は目の前に浮かび、私に話しかけてきた。
「あいつは、死んだのだな」
龍はささくれを取った私を怒るでもなく、そう言った。
……あいつ。
なぜだか、私はおじいちゃんを思い浮かべていた。
「そうか……名を伏せず、英雄として最後まで過ごせばよかったものを……」
その龍が、何を言っているのかはわからなかった。
でも、きっとたぶん、おじいちゃんと何か思い出があって、それが頭によぎっているのかもしれない。
「吾輩も寝すぎた。かつての友の死に目に会えぬほどにな。龍であるがゆえに、あらゆることを知ることができるが……結局、やれるのはこういう憂さ晴らしくらいよ」
そう言って、龍は少しだけ、私にこの村で起こっていたことを語ってくれた。
おじいさんは、何も悪くなかったのだ。
「お前が、娘なのだな」
「……うん」
さて、どうなるか。
どうなっても構わない、と思っていたが。
「そうか」
龍が言ったのは、それだけだった。
「あの、私には怒っていないんですか?」
さすがに思わず聞いてしまった。
「怒っているぞ。ささくれは勝手に勢いよく他人に引っ張られると、普通に痛い」
「あ、はい、ごめんなさい……」
「だがそれ以上に……」
村を見て、龍は言う。
「どうやら龍に逆鱗があるということを、この村の者たちは知らなかったらしい」
龍に逆鱗無し、ささくれあり まらはる @MaraharuS
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