きもち雑貨
水瀬 由良
きもち雑貨
カリカリカリ……
さっきからどうも気になる。
親指にささくれができてしまっている。いつのまにできたのだろうか。触るといたいのだが、かゆい感じもする。
なによりイライラしているためか、さっきから人差し指をひっかけてはカリカリとしてしまう。
だいたい、課長が悪い。
こんなに夜遅くまで残業しなくてはならなかったのは、課長のせいだ。何が急な仕事、だ。それは全然急ぐ必要のない仕事だった。早くやれば得意先は確かに喜ぶだろうが、別にそこまでの必要はない。
そこの得意先が課長を盛大に褒めそやすから、課長はそれが心地いいだけだ。その仕事を早めに終わらせたせいで、他の仕事にしわ寄せがいき、それが今日の残業となって表れたのだ。
カリカリカリ……
それにしても、気になる。薬局はないかと探すが、もうすぐ午前0時。薬局も閉まっている。家に帰っても、ささくれに塗るクリームなんておいてない。対処のしようがないことがより一層俺の気持ちまでもささくれさせる。
カリカリカリ……
ふと、目についた店……だと思う。古びた京町家のような建物から明かりが漏れており、その建物の軒先には品物が並んでいた。
引き寄せられるように、建物に近づき、中をのぞき込むといろいろな物が売っていた。雑貨屋だと思うが、なんか薬っぽいのもおいているようであった。
「『きもち雑貨』か……」
もしかしたら、ちょっとした薬ぐらいはおいているかもしれないと思い、ダメ元で俺は店の中に入った。
「あら? いらっしゃい」
店の中にいたのは、女の子だった。こんな店だから、年寄りがやっているものだと思ったら、意外だ。しかも、かわいい。古い言い方だが、看板娘というのがぴったりとくる。何歳ぐらいだろう、高校生ぐらいにはなっててもおかしくはないが、この店、労働基準的に大丈夫なのか?
「雑多な店でごめんなさい。何かお探しのものはある?」
女の子が聞いてきた。確かに、文房具もあれば、おもちゃもあるし、アンティークランプのようなものも並べられている。これでは目当てのものを探すのに一苦労だろう。
「えっと、ささくれに塗るようなクリーム、薬はあるかな?」
俺は尋ねる。
「ささくれに効く薬……ね。最近品薄状態でちょっと高いのだけど、店長に聞いてみますね。店ちょー、ささくれに効くような薬ってあります?」
女の子が奥に向かって、声をかける。
奥からおじいさんが出てきた。実に怪しげで、この店の店長と言われれば、なるほどと納得できるものがある。
「ささくれに効く薬のぅ。最近、原材料が少ないから在庫は少ないが……」
そういいながら、おじいさんは棚を探る。
「これじゃな」
おじいさんは手のひらサイズの缶と指先サイズの缶を出してきた。いかにも昔の薬に使っていたような容器で、その中にクリームが入っているのだろう。
随分と古そうだが、使用期限は大丈夫だろうか。
「小さい方が500円で、大きい方が1500円。大きい方がお得はお得だよ。それから店長、ちゃんと値段を言わないとお客さん困るよ」
女の子が値段を言う。
……う~ん。少し高いな。しかし、このささくれが治るなら、仕方ないとも思えたし、意外とこういった店の薬は効くかもしれないな。
「じゃあ、小さい方で」
「はい。分かりました。小さい方で、500円になります。後、この薬の使用方法ですが、ここで塗っていきますか?」
俺は、女の子の質問に肯定で返した。
今すぐ何とかしたいというのは間違いなかったし、使用方法に注意しなければならないのであれば、話を聞いた方がてっとり早い。
「ありがとうございます。では、缶を開けさせていただきますね」
女の子がそう言って缶を開けると、エメラルド色の透明な薬が入っていた。やさしそうな色だった。
「お客さん、手を出してください」
女の子に言われるがままに、手を出して、そのまま塗ってもらう。……嬉しいというよりも、気恥ずかしい。
「これはですね、ささくれができている場所だけじゃなくて、手の甲に塗っておく必要があるんです」
そう言って女の子は俺の手の甲にも薬を塗っていく。
効果はてきめんだった。
あれだけ痛かったり、かゆかったりしたささくれの痛みやかゆみがすぐになくなった。傷としてはまだ残っているが、それは仕方ない。
しかも、そのおかげか、イライラした気分まで落ち着いてきた。
「ありがとう」
素直な気持ちでその言葉が出た。
「はい。それでは、この薬を使う時は、必ず手の甲にも塗ってくださいね。どうぞ」
女の子がそう言って、缶を俺に渡してくれた。
よし、また、明日からがんばるとするか。
しかし、いい買い物だった。俺は小さな缶をポケットに確かめてそう思った。
--------
やっぱり店長の薬はすごいね。
手の傷もさることながら、あれだけささくれ立っていた気持ちも随分と治してしまったみたい。
「それじゃ、ちょっと仕入れに行ってくる」
お客さんがいなくなり、そう言って、店長がお手製のリュックを背負って出かける。
「いってらっしゃーい」
私は明るく声を出す。仕入れといっても、店長がお金を出して、何かを買ってくるわけではない。店長が出かけるのは、深夜になる。店長は昼間に出て、町やそこらで転がっている気持ちを拾ってくるのだ。
その気持ちを加工して、商品にする。例えば、ささくれクリームの原材料は思いやりだ。別に、優しさとか、そういう、何ていうかプラスの気持ちだけが原材料ではない。怒りというマイナスの気持ちだって、店長がうまく使えば栄養ドリンクになる。もっとも、市販の栄養ドリンクと同じで用量には注意が必要だけど。
「まったく愛はコンビニでも買えるなんて、最近、誰かが歌っていたような気がしたが、どこの誰が歌っていたんじゃ。本当になかなか見かけなくなって、仕入れにも一苦労じゃわい」
また、店長が愚痴って帰ってきた。いや、それ、最近じゃないですよ。店長。店長にとっちゃここ30年ぐらいは全部最近かもしれないですけどね。
確かに減ったなぁと私でも思う。
思いやりなんてものを街中で拾うことは難しい。やっぱり店長が作る主力製品はやさしさ、思いやり、愛情、落ち着きって感じのものが主成分だからね。
それでも、店長は決して0にはならんのじゃとか言って頑張ってる。
きもち雑貨は変な店長がいる。
でも、いい品ばかりです。
きもち雑貨 水瀬 由良 @styraco
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます