午前0時、踏切にて
とまと
第1話 気まぐれ
朝、駅のホームで通り過ぎる電車を見て、ふと思いついた。
ああ、これなら楽になることができる。一瞬で全てを断つことが出来ると思った。
今までに電車の飛び込みを見たことがあるだろうか。僕は一度だけ見たことがある。
耳を劈くようなけたたましい衝撃音、血飛沫、叫び声。人が一瞬でバラバラになる様子を見て、正直羨ましいと思った。そこからだろうか、僕がより一層この世から消え去りたくなったのは。
そして午前0時、僕は踏切に立っていた。このまま電車に轢かれて一瞬で消えてしまおうと言う考えだった。冷たい風が頬を突き刺し、降り注いだ雪は時間とともに溶け、僕の肩を濡らしている。
これまでの人生を振り返ってみる。ずっと独りの身だ、思い返しても良かったことなど浮かぶはずもない。人間嫌なことのほうが記憶に残るらしいし、僕もそのうちの一人だった。
やがてかんかんと踏切の警報機の音が鳴り響き、遮断機が下り始めていた。
電車の前照灯が近づいてきた。それと同時に僕の心臓の鼓動はデスメタルのドラムのように加速している。
後三秒、甲高いブレーキ音が聞こえ、警笛が鼓膜を突き刺した。
後二秒、僕は頭の中を空っぽにし、これからやってくるであろう死に備え目を閉じる。
後一秒、これで終わりだ。そう思った瞬間、なぜか前からではなく横からの衝撃が僕を襲った。
僕の体は大きく吹っ飛び、地面に強く打ち付けてしまった。体が重い、そしてほんのりと甘い香り。
おもむろに目を開くと、こちらをずっと見つめ微動だにしないミディアムボブの金髪の女が僕に覆いかぶさっていた。
その視線に耐え切れず目を逸らした。
「あっぶな、何してんの」
「いきなりなんなんですか・・・」
停止した電車の運転士が運転席の窓から顔を覗かせながら何か叫んでいるが、それに構うことなく彼女は続けた。
「死のうとしたんでしょ」
そう言うと彼女は立ち上がった。まだ起き上がれない僕に手を差し出している。
「話ぐらいなら聞いてやるからさ、うちおいでよ」
「ありがとう。でも大丈夫です」
「待って」
手を借りずに立ち上がると、僕はその場から立ち去ろうとしたが、咄嗟に服を掴まれてしまい動きを止められてしまった。彼女は真剣な眼差しを僕に向けている。
「君、このまま帰したらまた同じことするでしょ。だから絶対帰さないよ」
「ほんとになんなんですか。ほっといてくださいよ!」
思わず声を荒げてしまった。それでも彼女の真剣な眼差しは変わらない。
手を無理やり解こうとしたが、思いの外彼女の力は強く、解けなかった。諦めがついたように僕は大きなため息をついた。
放って欲しかった思いと助けてくれて嬉しかった思いが絡まり、もう訳が分からなくなって涙が浮かぶ。もう一度大きくため息をつき、僕は彼女に問いかけた。
「なんで助けたんですか?」
「何だろうね。気まぐれか何かだと思うけど、なんか放っておけなかったというか」
呆れた。漫画やアニメの中では確かによく目にしていたが、ただの気まぐれで自分の命を懸けてまで赤の他人を助けるおかしい奴など本当にいないものだと思っていた。
がしかし、ここにいたのは紛れもない事実である。
僕が驚きのまま思考を停止させていると、彼女はそのまま僕の袖を引っ張り歩き出した。されるがままに僕も重い足を動かした。電車の運転士の声が後ろから響いている。
「名前は?」
おいおい、名前は先ず自分から名乗るのが筋だろうと思い少し苛ついたが、しょうもないことで喧嘩をするのは嫌いだったのでここはぐっと堪え名乗った。
「洋太」
淡泊な口調でそう答えると、それに続けて彼女も名前を名乗った。
「私、詩織。よろしく」
そう名乗ると彼女はにしし、と怪しげに笑いながら僕をちらりと見た。とんでもない女に捕まってしまった。正直今すぐにでもここから逃げ出したかったが、僕の服の袖はがっちりと掴まれている。一体彼女は何を考えているのだろうか。僕には全く分からなかった。
お互いに黙ったまま十分ほど歩いたところで、彼女が足を止めた。
「はい、着いたよ」
目の前には少し古い一軒家がずどんとたたずんでいた。
「これ、君の家?」
「そうだよ。すごく古くて申し訳ないけど、さあ入った入った。」
「あと、君じゃなくて詩織ね。」
軽く相槌をつき彼女に着いていき家に入ると、どこか懐かし気のある匂いがした。いわゆるお爺ちゃんやお婆ちゃんの匂いというものだろうか。僕はリビングの椅子に腰を掛けた。
「へえ、すごい風情のある家だね」
「そうでしょ。でもここで一人暮らしだからさ、もう寂しくて寂しくて」
彼女は軽く笑いながらそう言った。その笑顔は明るくもどこか虚し気で、憂鬱なオーラを放っており、僕はこの人は僕と一緒の類の人なんだと思った。
「てことは、ただ寂しかったからわざわざ助けて連れてきたってこと?」
「それもあるかもね。洋太君は歳いくつ?」
「ことし二十歳になったばかりだよ。詩織は?」
「いま十八。この近くの大学に通ってるの」
「いきなり聞くけどさ。なんであんなことしたの。」
唐突に投げられた質問に僕は黙ってしまった。
正直、僕があのような行為に走ってしまった原因は自分でもよくわかっていなかった。考えながら黙り込んでしまう。
「まあ、言いたくないならいいんだけど、話せるようになったら何時でも言いなよ。ご飯食べた?」
黙ったまま首を横に振った。すると彼女は立ち上がって、冷蔵庫の中を漁りながらぶつぶつとつぶやいていた。
「ごめん。何もないや。パスタでもいい?」
「なんでもいいよ」
正直食欲は全く無かったが、余り断ることのできない性格の為頂く事にした。ポケットから携帯を取り出すが、メッセージは誰からも来ていなかった。少し寂しくなり憂鬱な気分のまま空のメッセージボックスを見ていると、
目の前にコトンと大きな皿が置かれた。ミートソースのパスタだった。
「質素でごめんね。でもこのソースおいしいから食べてみて。」
そう言いながら僕を見つめる彼女の右手には缶ビールが握られていた。
「おいおい、まだ十八じゃないの」
「いいんだよ。誰も見てないし。ばれないばれない」
そう言うと彼女はまたにしし、と笑った。
「お茶とビール。どっちがいい?」
即座にビールと答えた。
目の前に置かれた缶ビールはいつもより輝いて見えた。大きなカブを引き抜くようにプルタブを引くとプシュッと気持ちの良い音が聞こえる。それはまさに日々の喧騒から解放されたかのような音のような気もしたし、徒競争のピストルのような音にも聞こえた。
まずは一口、ビールを喉に流し込んだ。止まらない。ごくごくと喉を通り過ぎる度に乾きが潤っていくと同時に、こんなにも喉を乾かせていた自分にも驚いていた。
彼女はその様子を我が子を見守るかのようにじっと見ていた。
「あまり見ないでくれる?恥ずかしいんだけど」
「ええ、だってなんか可愛いんだもん」
「まあ、別に何でもいいけど」
次にパスタを一口、麺を茹でスーパーで売られているソースを絡ませただけのありきたりなパスタだったが、なぜだろう、とてもおいしかった。
「何かいれた?」
「別に?ソース掛けただけだよ」
「強いて言えば・・・愛情?」
「はは、何言ってるんだよ」
「あ、笑ったね」
「いいだろ別に、誰でも笑うことくらいあるだろ」
「まあ確かにそうだけど」
無駄においしかったパスタを食べ終えると、彼女はそのまま食器を片付け洗っている。
部屋にはかちゃかちゃと食器同士がぶつかる音だけが響いていた。この音をBGMにただボーっとしていると、段々と眠たくなってきた。
やけに心が落ち着く家だった。実家のような安心感というか、なんだろう、とても落ち着く。
首を揺らしながらうとうとしていると、詩織が洗い物をしながら僕を見つめていた。
「今日はもう遅いし家に泊まっていきなよ。お風呂入っておいで」
「いや・・・」
そう断ろうとしたが、家に帰る気力が少しもない。なんだか申し訳なかったが、お言葉に甘えることにした。しかし風呂の前に煙草が吸いたい。
「煙草、吸っていい?」
「外でね」
靴を履き外に出た。雪が降っているし上着も中に置いてきてしまい少し寒かったが、わざわざ取りに戻るのはめんどくさかったからそのまま煙草に火を付けた。吐き出す青白い煙はゆっくりと冬の夜空に吸い込まれ消えていく。
しばらくするとドアが開く音がして、隙間から詩織がひょこっと頭を出していた。
「これ、上着忘れてるよ」
「私もいっしょにいていい?」
「いいけど、煙草苦手じゃない?」」
「大丈夫だよ」
彼女は少しむせながらそう言う。嘘をつくのが下手な奴だなと思った。
これからどうしていこうか?これからのことなんて心底どうでもよかったが、煙草をふかしながらそんなことばかり考えていた。
「やっぱり元気ないね」
彼女は悲しそうな顔でそう呟いた。
「あんなことした後だもんね。仕方ないか」
「寒いし、もう中入ろうよ」
ちょうど一本吸い切ったところで詩織はそう切り出したので火を消し、一緒に家に入った。
「お風呂沸かしてあるから、先に入っておいで。シャンプーは緑のボトル、リンスは青ね。着替えは悪いけど今着てる服のまま寝てくれる?」
言われるがまま風呂に行き、シャワーを浴びながらさっきまでのことを思い返していた。
邪魔をされてしまった。本当はもうこの世には居ないはずなのに。
彼女は気まぐれなどと言っていたが、本当にそうなのだろうか?
分からなかった。仕方ない、この世を去るのはまたの機会にしよう。それがいい。
風呂を出ると、詩織はまたビールを飲みながら携帯を見て笑っていた。呑気に生きている姿を見て、羨ましく感じた。
「あれ、早いね」
「風呂はシャワーだけ浴びる派だからね」
ふーん、と詩織はつまらなさそうな返事をした。
「ビール、もう一本もらっていい?」
「いいよ。冷蔵庫に入ってるから。」
そう言うと詩織は脱衣所に向かっていった。
冷蔵庫の扉を開け缶ビールを取り出し、一気に飲んだ。やはり風呂上がりのビールは格別だ、すっかり気分が良くなってしまった。
ビールを飲み干す頃に、詩織が風呂から上がってきた。詩織も僕と同じ考えの持ち主のようで、出てきたかと思えばすぐに冷蔵庫からビールを取り出しごくごくと飲んでいる。
ぷはーっと言うその赤い顔はなんだかとても幸せそうだった。
「もう遅いし、今日は寝よっか」
僕に微笑みかけながら詩織はそう言った。
寝室は二階らしい、僕はそのままついていった。二階の寝室にはシングルのベッドがひとつ置かれている。如何にも女の子らしいピンク色だ。詩織は部屋に入るや否やベッドに飛び込んだ。同じベッドで寝るのは風紀上よろしくない気がしたので、床で寝ようかと考えていたところに、詩織が僕を見て手招きした。
「こっちおいでよ」
「いや、僕は床で寝るから・・・」
そう言うと僕は床に寝ころぼうとしたが、詩織が僕の腕をつかみ、強引にベッドへと引き寄せた。抵抗は諦め、疲労で重い体を起こしベッドに腰掛けた。
「いいでしょ。一人で寝ること程寂しいものはないよ」
ものかなしげな雰囲気で僕を見つめながら詩織はそう言った。僕は何も言えずにその眼を見つめていた。そのままベッドに横になると、詩織の表情が一気に明るくなるのが感じ取れる。その表情を見て僕も少し嬉しくなった。
「これでちっとも寂しくないね」
暗闇の中そう言い残し詩織は目を閉じた。まるで安心しきったかのような寝顔だった。
確かに、僕の心もすこぶる落ち着いていた。よく分からないが、とにかく今日は疲れた。もう寝よう。
感じたことのない感情に少し戸惑ったが、なぜだかよく眠れそうな気がした。
そのまま僕は目を閉じ、深い眠りについた。
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